イタリア・ウィーン楽譜探訪記~「ピアノ・ブロッサム」の種を求めて 第1回/上田泰史さん
「これらの楽譜はイタリアの図書館にしかないんですよ」----受話器からそんな声を聴いて、旅に出なければ、と思った。フランス滞在中の私に国際電話をかけて来た声の主は、『ピティナ・ピアノ曲事典』関連企画として、目下「ピアノ・ブロッサム」と題するプロジェクトを進めている金澤 攝(かなざわ をさむ)氏。このプロジェクトは、かつてない高みから19世紀ピアノ音楽史を鳥瞰しようという野心的な試みだ。1810年代に誕生した100名の作曲家を精選し、各作曲家の作品を一曲ずつ紹介するというのがその目的。1810年代生まれといえば、ショパン、シューマン、リスト、タールベルク、アルカンといたピアノ音楽の中心人物が一年おきに生まれた「ピアノ世代」であり、わずか10年間にピアノにすべてを託し、その技術を極めようとした音楽家が100名以上、立て続けに登場したということは、まことに驚くべき現象だ。急激な産業の進歩、市民革命、超越的存在への憧れ、ピアノの普及、楽譜販売促進・・・「ピアノ・ブロッサム」の主人公は、ピアノ音楽発展のあらゆる条件が揃った1830年代から40年代に熱き青春時代を過ごした時代の申し子たちである。
さて、百人一首ならぬ「百人一曲」の編纂は、要約すれば次のような手順で行われた。複数の事典等から丹念に拾いだした名前をリストアップし、さらに各人の作品は最低でも4曲程度は集めて選曲する。「ピアノ・ブロッサム」は、この原則のもとにスタートした。しかも、この100曲はタイトルに即して25のカテゴリー(「夢」・「鳥」・「行進曲」・「バラード」等)に分類される。百人の中には、著名作曲家や、すでに金澤氏が楽譜を収集していた作曲家も含まれているが、多くは新たに欧米の図書館で収集しなければならなかった。私を含め、各地で活躍する研究者の助けも借りたおかげで、ウェブ上で企画がスタートする段階で、すでに数名の音楽家を除いて選曲も終わり、氏の録音や解説執筆も始まっていた。
ところが、ウェブで連載が開始という時になっても、どうしても楽譜が手に入らない音楽家が三名だけ残っていた。謎のフランス人作曲家レオン・オノレ(1814~74)とイタリア人作曲家アレッサンドロ・ビアージ(1819~84)、そして、重要作と目される《練習曲集》作品25が未だに発見できないでいるポーランドの作曲家アントン・ド・コンツキである。私はパリの知りうる限りの図書館を当たってみたが、徒労に終わった。ベルリンの国立図書館でも結果は同じ。所蔵場所が分かったのは、金澤氏がイタリアの図書館を検索した時だった。イタリアのオンライン図書館横断検索システム「OPAC SBN」はよく整備されており、イタリア各地の公立図書館や音楽院の図書館の蔵書も登録されている。かくして、オノレとビアージ、コンツキの楽譜は、イタリアの三都市、すなわちローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアを調査する日程を組めば効率よく彼らの作品を集められることが分かった。加えて、どうせヴェネツィアまで行くならウィーンでも調査をしてみようということに話がまとまり、「ピアノの木」を満開にするための「種探し」の旅に出ることとなった。