先生・生徒・保護者のレッスン室コミュニケーション 第3回「正論の裏に隠れているもの」
美紗ちゃん(小2) |
お母さん |
私(先生) |
先週、頑張り屋さんの美紗ちゃん(小2)のお母さんから電話がありました。
お母さん(美紗ちゃんのおばあちゃん)が転んで入院したとのこと。
高齢で、転んだショックもあり、昼夜逆転していて、しばらく付き添いで病院に寝泊まりするので、レッスンをお休みします、ということでした。
次の日がレッスンの予定日だったので、今週はどうするのかな?おばあちゃんの容体はいかがですか?というお伺いのメールを送りました。
以下はメールのやり取りです。
- 母の容体も落ち着いてきましたので、今週はお伺いしたいと思っています。コンクールの事でご相談もありますし・・・
- そうですね。美紗ちゃんも不安定になっている事でしょうから、あまり無理をしなくてもいいのではないかと思いますよ
- 美紗は、出来る限りはやった方がいいんだろうなぁ、でも曲が難しくて・・・と、思っているようです。トンネルのど真ん中にたたずんでいます
- なるほどね。本人の気持ちが一番だよね。
- 私自身、事情が事情なので無理をしないという思いと、出ることに意味があるという思いで交錯しています。本人は曲が難しいのでやめたい思いもいっぱいで・・・。迷っています。
- そうか・・・。本人がやめたい、と思っているのなら、今回はそうしてもいいかもしれないね。美紗ちゃんは今、他の人の事はわからないから、自分だけが出来ないと思っているのかもしれないけど、みんなけっこう暗礁に乗り上げているんだよ(笑)
- はい。他の人たちもみんな苦労している事や頑張っている事は口が酸っぱくなるほど伝えてはいるのですが・・・。先生、私の方がやめる勇気が出ないです。でも、それが無理をしているということでしょうか?
- あ??わかる!母親って厄介な生き物だよね。頑張る事が大事、なんて正論を言うけど、ただただ自分の子どもに頑張ってほしいんだよね。きっとそんなお母さんの気持ちを美紗ちゃんは痛いほどわかっているから『やめる』って言えないんだよ。途中でやめないで頑張った方がいい、頑張らなければいけない、と思っているんじゃないかな。
- 私がそのように仕向けているんですね
- ここは、正直に『コンクールをやめたくないのは本当はお母さんなの。苦しめてごめんね。美紗ちゃんがやめたかったら、やめてもいいよ』って伝えてみたら?すっきりするよ!
- やってみます!有難うございました<(_ _)>
そして次の日、美紗ちゃんは明るい顔で元気にレッスンに来ました。お母さんもすっきりした表情でした。
- 先生、今回はコンクールやめます。
- そうなんだ。では、今回はみんなの応援に回ろうね!
私がそう言った時の美紗ちゃんの表情が少し寂しそうだったので、ちょっと質問をしてみました。
- 美紗ちゃんはコンクールに出たくなかったの?それとも曲が嫌だったの?それとも両方嫌だったの?
- 曲が嫌だった・・・
- 曲を変えたらコンクールに出たいの?
- 出たい(即答で)
- そういう方法がありましたか・・・・(驚)
- それだったら、これからでもできそうな曲を見つけてみようか!?
- うん!
美紗ちゃんは元気な笑顔でピアノに駆け寄ってきました。
おばあちゃんの怪我は大変なハプニングでしたが、美紗ちゃんの重荷をおばあちゃんが背負ってくれたのかもしれません。
お母さんも自分の思いを美紗ちゃんに正直に話せた事で、「こうでなければいけない」の呪縛から解き放たれたような気がしました。
本当に母親と言うのは困った生き物です。
「正論」という便利な言葉を使って、子どもの選択肢を狭めていたり、知らず知らずのうちに手かせ足かせを作ったりしています。そしてお母さん自身もその「正論」の呪縛から抜け出せないでいるのです。
正論は頭の片隅に置きつつ、「今回はこの選択」「この子にはこの道」というような、その場、その子の合わせた勇気ある選択が出来るといいな、と思います。
結局美紗ちゃんは、短期間で新しい曲を仕上げる、ということになり、前よりも、かなりいばらの道を歩く羽目になりました。
しかし、自分で選択し、自分でやってみようと思ったことだからか、表情はとても明るいのです。
そして必死に練習をしています。
レッスンお休みする、と言っていたことは、今では、なかったことになっています(笑)