先生・生徒・保護者のレッスン室コミュニケーション 第2回「優位感覚を生かす」
亮太君(中1) |
私(先生) |
※優位感覚とは
私たちは『五感』(見る・聞く・触る・味わう・匂うなど)を通して物を認識したり、感じたりしています。そしてその中でも特に優位に働く感覚があります。自分にとって優位な感覚は何か、相手はどうか、を知ることで、より効果的なコミュニケーションが生まれます。ここでは、視覚、聴覚、触覚、言語感覚に分けて考えています。一度見たものは忘れない(視覚)、一度聞いたものが頭に残っている(聴覚)、何度も繰り返すことで体に覚え込む(触覚)、自分の言葉に置き換えて考えると理解が深まる(言語感覚)、など、自分や相手の優位感覚を知ることで、効率よく学んだり、提案をすることが出来るのです。
亮太君は聡明な男の子です。瞬発力と集中力に優れています。
同じことの反復にはあまり興味がないので、彼に対する言葉がけは他の生徒たちとはちょっと違います。
「この練習を一日10分、毎日やってね」という言い方よりも、
「これが5回連続で出来たら終わりね!」と言った方が目が輝きます。
こちらからいくつかの練習方法を提案しても、あまり興味を示しませんが、
「どこが問題だと思う?犯人はどの指?」
「ここはマックスどのくらいの速さで弾ける?」
というように質問を投げかけて、自分で答えを絞り出してもらうようにすると、脳が動き始めるようです。
亮太君は、あるコンクールの全国大会で、大曲に挑戦しました。
今の亮太君の力から考えると高いレベルの曲でしたが、逆に彼ならうまく弾けそうな部分も多くあり、一緒に頑張ってきました。
普段はお母さんっ子で、仲良し親子ですが、お母さんと亮太君の優位感覚は違います。
本番直前のレッスンでのこと。
私は要点をいくつかに絞って、レッスンしました。
気になるところは他にもありましたが、そこは目をつぶり、決めてほしいところだけを伝えました。
亮太君も限られた時間の中で持ち前の集中力を発揮し、どんどん素晴らしい仕上がりになりました!
- すごくいい演奏ができたね!本番は一発勝負なので何があるか分からないけれど、今の演奏で先生は大満足!あとは、あまり気負わず、気持ちよく弾いておいで
そして残りの時間は気になるところを自分で練習してもらうことにして、私は亮太君のそばから離れました。
そこまでは良かったのですが、その後事件勃発です。
私が座っていた椅子にお母さんが座り、お母さんが気になるところを練習させ始めました。
それは、すでに亮太君がバッチリ弾けていたところもあれば、私が目をつぶることにした部分もありました。
案の定、だんだん亮太君の機嫌が悪くなり、音が不快感を表していましたが、お母さんはそれでも心配でたまらないようでした。
私は部屋の外に出ましたが、そのうち外にも聞こえるような声で、親子げんかが始まりました。
たまらなくなって「ねぇねぇ、もう練習はやめて会場に行こうよ」と声をかけて、私は亮太君と二人で会場に向かいました。
その道中で・・・
- 母親って厄介な生き物でね、とにかく色んなことが気になって仕方がないの。
お母さんはただただ心配で本番前に言っておかずにはいられなかったから、しつこく念押ししたんだと思う。
ごめんね、母親代表として先生が謝るから、お母さんの気持ち、わかってあげてね! - はい
- お母さんは亮太君とは違って、『女の子の練習』をする人なんだよ。
先生はいつも亮太君には『女の子の練習はしないよ!』って言ってるでしょ?人にはそれぞれ得意な練習方法があるの。 - へ~?そうなんだ・・・
- お母さんは最後に亮太君と、出来ているかの確認をしたかったんだよ。
- わかるけど・・・
- 嫌だなぁとかうるさいなぁ、って思った気持ちを、今、身体の外に流せる?
- う~ん・・・、はい。多分出来ます
- 素晴らしい!さすが亮太君だね~。一度気持ちをリセットしてみてね
- はい
- 頭の中を空っぽにして、もう一度今日私が楽譜に青いペンでマークしていたところだけに集中してくれる? 全部で20か所くらいあったよ。
- はい
- そのうちの半分でも、ステージの上で覚えていたら大したものだと思うよ。亮太君にはそういう力があるからね!
自分の持っている強みをここで発揮してね! - はい
小走りで歩きながら、そんな会話をして会場入りしました。
あれだけ親子喧嘩をした後なので、上手く立ち直れなくて崩壊したとしても、ステージに上がって演奏をしたことに対して、私だけはしっかり承認をしてあげようと覚悟を決めました。
そして演奏スタート。
亮太君の出始めの音を聞いて鳥肌が立ちました。
しっかり気持ちの切り替えをしたんだなぁ。そして彼は青のマークをすべて覚えていました。
さすが亮太君でした。
もちろん欠けている部分はありましたが、今の亮太君の自己ベストの演奏でした。
演奏が終わってすぐに、客席で聴く私のところに来てくれた亮太君。
- どうでしたか?
- 素晴らしかったよ!全部覚えてたね~。本当にすごい!
上手くいったと思わない? - はい。でも夢中で弾いていたので全部弾き終わってから、本当に全部ちゃんと弾いていたのかどうか・・・
と興奮気味に話してくれました。
お母さんには「亮太君に感謝しましょう。たいした息子だね!」と笑顔で話しました。
お母さんにはその後、ゆっくりメールを書きました。
- 本番前に出来ることは何かをもう一度よく考えましょう。
お母さんと私が入れ替わっていなかったでしょうか?
お母さんが気になるところと亮太君が気になるところは同じでしょうか?
どうしてもお母さんの気が済まない、どうしても念を押しておきたい、という時は、『気になるところがあるんだけど、言ってもいい?』と承諾を得てから言いましょう。
主役は亮太君です。どうしたら亮太君の目が輝くか、を一番に考えましょう。
そして亮太君とお母さんの優位感覚の違いも説明し、亮太君の強みを信じて、任せてみましょう、と私の気持ちを話しました。
私自身もこの母親の厄介な気持ちとずいぶん戦ってきましたから、亮太君のお母さんの気持ちは痛いほどわかります。
母親は、出かける間際まで「ハンカチは?ティッシュは持った?忘れ物ない?」と言わずにはいられない、ちゃんと出来るのか心配で仕方がないのです。
でも、言われている本人はハンカチもティッシュも聞き流しています。
その声がけでの気づきはあまり期待できません。
毎日のようにそのセリフを聞いているので、脳が聞き流すように習慣づいているのでしょう。
それならば、どうしたら印象に残るのでしょうか?
亮太君は視覚が優れています。
私は印象に残るように太い青いペンでマークをつけました。
しかもそのマークは本番前の最後のレッスンでパッパッとつけたものです。
「いつも」の注意ではなく「今日だけ」の特別なマークです。
本番に強く、集中力の高い亮太君だからこそ、出来たこと!
亮太君に感謝です。