アルド・チッコリーニ セヴラックの世界を120%教えてくれたひと
偉大なピアニスト、アルド・チッコリーニ氏が亡くなられてから、およそ10日ばかり経ちました。
私がその訃報を受けた2月1日というのは、ちょうど私が5年間のフランス留学生活を終えて、日本へ帰ってきた次の日でありました。
これから再び、日本で音楽の生活をどのように進めていこうかと、意気込んでいるところへ、一つのショックが私を襲ったのです。
私は昨年、彼にセヴラックの作品のレッスンを受ける機会を得ました。
当時私が在籍していたエコールノルマル音楽院の最後の試験の前に、私は彼のご自宅へ赴き、セヴラックの弾き方や解釈を、彼より直接ご教授いただくことができました。
そもそも、私がセヴラックという作曲家を知ることになったのは、彼が録音したCDに出会ったことによります。
以後、私はたちまちその南仏の作曲家の、豊かな音の色彩に魅了され続けました。チッコリーニ氏がセヴラックの世界を120%私に教えてくれたのです。
私が感じていますのは、当のチッコリーニ氏自身も、セヴラックという作曲家に特別な愛着があったということです。
(写真参照:文章最後に
que j'affectionne beaucoup 私が深い愛情を寄せる(セヴラック)という意。とある)
彼は、他の多くの作品の録音と同様に、セヴラックのピアノ曲の全集を、1968年-1977年の間に録音しています。
セヴラックといえば、日本ではしばしば「近代フランスの田園詩人」と言われています。その作品の特徴は、南仏の独特な自然の陽陰を、見事な色彩で音に表しているところにあります。
南仏と同じように地中海沿岸(ナポリ)で生れたチッコリーニ氏の中にも、どこか、その作品に求めた、親しみやすいニュアンスがあったと私は考えています。
もともとイタリア人として生を受けたチッコリーニ氏ですが、フランスに帰化し、最後はパリのマドレーヌ教会で多くの関係者やファンと別れを告げました。そして今、セヴラックの生まれ故郷であるSt-Félix Lauragais という小さな町に眠られています。
私のフランス生活の最後に、大きな音楽のギフトをくださったチッコリーニ氏が、自らの演奏で言わんとしていたことを、これから私自身演奏会にて実現できれば、この上ない幸せだなと、夢を見ているところです。
(田口翔 ピアニスト PTNA演奏会員・ピアノ曲事典編集)