日々雑感~レッスン現場で思うこと その6 ピアノで「歌う」ことについて
おそらく、最も重要なことだが、書くのが難しい。「歌いなさい」と先生が生徒に言えても「では、どうすればいいのですか?」ということになってしまう。
「歌う」というのは「のびやかに声を届けたい」ということだろう。人間の本能や呼吸と関係していると思う。出した声が延ばされて拡がるイメージを持っている。そこから考えると曲の中で「どこに拡がりがあるか」を見つけて、そこに表現のポイントを置けば「歌う」表現のヒントになる。「歌う」というのは、「音に息を注ぎこむ」と定義すればいいのではないか?
「歌う」ことは「ピアノには苦手」なことである。ピアノは「叩く音」であり「物理的に音は出てから時間とともに減衰する」宿命から、逃れることはできない。ピアノを「道具」としてみた場合、人間の「手の延長(打楽器)」なのか「声の延長(弦楽器)」なのか、問題である。ピアノの使われ方を見ると「声の延長(弦楽器)」のほうが圧倒的に多いと思われる。チェンバロも「弦楽合奏の模倣」として演奏されていた。私は、ピアノは「機構的には打楽器(手の延長)」「使われ方としては弦楽器や管楽器(声の延長)」だと考えている。ピアノで歌う場合、自分から楽器に向かって動き(息)を伝えるようにしている。
ここで一つ重要な注意、「自分が動くのではない。楽器に動きを伝える」のである。多くの「ピアノ演奏時の無駄な動き」は、このことが理解されていない時におきる。「自分が動くことによって心理的な満足」や「自分が動いても音に反映されないので、さらに大きく動いてしまう。力が入りすぎる原因でもある」これに対し、教師は「生徒の動きを止める」のでなく「楽器に動きを送る」ように流すのが理想である。というのも演奏者は「表現したい」から動くのであって「止める」ことは「表現したい気持ちを止める」ことにつながりかねない。
いわゆるヨーロッパ音楽は「機能和声」によって発達した。だから「機能和声」の基本である「カデンツ」の中に「テンションの変化」がある。「テンション(緊張)の高いところに膨らみを持たせる」曲をよく観察してみると「メロディーと伴奏」というとらえ方よりも「カデンツの進行」ととらえたほうがよいケースが多い。つまり「カデンツを歌う」ことをしないと「無表情」に聞こえてしまうのだ。譜例は、ハーモニーだけで推移している例である。また、ハーモニーの変化がリズムを作っていることも多い。
音に集中し「音が膨らみ空中に漂う」のをイメージしよう。「息を注ぎこむ」というのは「生命を与える」に通じる。 「歌う」ことは音楽に「生命を与える」ことだと思う。
※本稿は大竹道哉先生がご自身のfacebookページに掲載された文章を加筆修正のうえ転載したものです。
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