2008年度グランプリツアー 佐藤圭奈さんインタビュー
生まれた瞬間に授けられた音楽の道、そして20歳の転機埼玉の音楽一家に生まれた圭奈さん。父は楽器卸業(ギター関係)、母はピアノ指導者、姉は2001年度グランプリの展子さん。実は「圭奈」という名前は、ケーナ(quena)という南米の楽器にちなんで名づけられたそうだ。小さい頃から家の中は常に音楽で溢れており、人前で演奏するのも好き。圭奈さんが音楽の道に進んだのはごく自然なことだった。また幼少よりピアノ、ソルフェージュを当代一流の先生方に師事するなど音楽環境にも恵まれていた。 しかし20歳の時、初めての転機が訪れる。人前でピアノを弾くことの意味を深く考えるようになり、急にスランプに陥ってしまったそうだ。「ピアノを弾くことを何て軽く考えてたんだろう。この先一体どうなるんだろう?ピアノはやりたいけど、本当にやっていていいんだろうか?」考えても考えても答えの出ない日々・・・。そのとき何気なく手に取ったのが、ブラームスだった。 「ある日播本(枝未子)先生のレッスンに、ブラームスop.76(8つのピアノ小品)を持っていったんです。ブラームスなんてまだ早いわよ、と言われるのを覚悟で。でも先生はそのまま受け入れて下さり、さらに『これも読んでみたら?』とリルケの詩集を薦めて下さったんです」。 圭奈さんは特に悩み事を相談したわけではなかったが、播本先生は何かを察して下さったようだ。そしてこの時のブラームスとリルケの詩集は、圭奈さんにとって大きな転機となる。それはピアノに対する前向きな姿勢を取り戻したことと、より意欲的にドイツ音楽に向き合うようになったこと。それは後に、ドイツ留学に繋がっていく。 実はこの1年前、独ハノーヴァー音楽演劇大学*主催サマーフェスティバル演奏会に出演するため、圭奈さんはドイツに2週間滞在していた(*東京音楽大学と姉妹校)。「当時メシアンの『鳥のカタログ』を勉強していたのですが、大学裏手に大きな森があり、そこの鳥のさえずりにインスピレーションをもらえました」。雄大な自然の中で音楽を感じ取った体験、現地学生とのアンサンブル共演やソロ演奏を通しての学び、そして後に東京音大にマスタークラス講師として来たマッティ・ラエカリオ先生との出会いは、圭奈さんを自然にハノーヴァーへと導いた。 独ハノーヴァー留学が開く、新たな1ページハノーヴァーに留学して今年で3年目。「ハノーヴァーは決して都会ではないですが、落ち着いて学べる街です」と静かに微笑む。コンサートは学生料金でほぼ10ユーロ以下。学生はあまり聴きに来ないというが、圭奈さんは意欲的にホールに通っているそうだ。ベルリン等の大都市に比べると演奏会の回数こそ少ないが、その分アーティストが来てくれた時のありがたみを感じると言う。ブレンデル引退記念コンサートの感動も、まだ記憶に新しい。 ラエカリオ先生とのレッスンも実り豊かなようだ。最初はお互いのキャラクターをつかむのに時間がかかったが、1年ほどかけて分かり合えるようになってきた。ラエカリオ先生は現役ピアニストの立場から、その人なりの奏法を探って具体的なヒントを与えてくれると言う。「先生が横で弾いてくれる音が半端ではなく、いつも驚かされます」。 この3年間は主にドイツ・ロシア作品に力を入れて勉強をしてきたが、本来は幻想的であまり形式に捉われていない曲も好むという圭奈さん。最近ラエカリオ先生はイタリア作曲家サルヴァトーレ・シャリーノの作品『de la nuit』を薦めてくれたそうだ。「ほとんど、ラヴェルの『Gaspard de la nuit』(笑)」というこの曲は、シャリーノのユーモアと現代性が融合した作品で、圭奈さんの新しい一面を引き出してくれるに違いない ステージを世界に広げて昨年8月ピティナ特級グランプリとなり、10月から大学院生となった今、次の目標をどのように見据えているのだろうか? 「ドイツに来てから自分で考える時間が増えました。以前とは違って、人に出会い、意見を聞いたりして、ポジティブに考えるようになりました。昔は否定されたらそのまま受け入れていたのですが、今は『自分はこう』と思えるようになった。人に感謝したり、より責任を感じるようにもなりました。とにかくピアノが好き、だからそれに精一杯務めていきたいです」 すでに、国際舞台が視野に入っている。自分の可能性を信じ、様々な音楽や人との出会いを通して、じっくりと一歩ずつ世界を広げていってほしいと願う。 |