海外レポート「ウィーン体験記」/原 佳大先生
リポート◎原 佳大先生 |
受講生とのひとこま |
カーレンベルクからのドナウ川 ツァヤック先生クラスと パーティーでのひとこま (中央はハイニッシュ先生) クラス演奏会後のひとこま |
「オーストリア航空ウィーン行き52便は、まもなく○番ゲートより出発いたします」
私は、再び機中の人となった。いつものフライトである。一昨年よりヴィーナー・ムジークセミナーの客員教授として、夏はウィーンで過ごす日々が続いている。聞くところによると、日本は40℃だったとか!ウィーンは、7月は猛暑だったと聞くが、8月は涼しい。気温が上がっても29℃位でしのぎやすい。しかし、例年雨が降るとグッと気温が下がり、薄手のコートがほしくなるが、今年はそれがない。やはり、エルニーニョ現象のせいか?
ローゼンホテルでの生活が始まった。共用の台所があり、簡単な調理もできる。
何より、オペラ座まで地下鉄で2駅と立地条件がよく、便利である。心配していたユーロ高も、スーパーにいけば、ほぼ日本並みの物価というところか。
セミナーの受講生、ウィーン在住以外の教授陣も、皆同じホテルに泊まり、朝食時のレストランは、社交の場と化す。山のように積まれたゼンメルをほおばりながら、学生同士、また、教授陣も交えて話が弾む。ウィーンは、歴史的にも、交渉(社交)により、栄えてきたところだ。パリのように革命が起きなかったのも、戦争ではなく、「話をテーブルに持ち込めば」という、交渉術にたけた民族である所以だろう。そのせいか、ウィーン人は、よく喋る。音大で教授陣同士が出会うと、「元気?」の挨拶に始まり、ジョークを交えた会話が弾む。ウィーン国立音大の廊下は、小さな社交場と言ってもいい。
セミナーは、1ブロック2週間、60分×4回のレッスンが行なわれる。その運用は、すべて担当教授に一任される。規定通り4回のレッスンで修了というクラスもあれば、クラス演奏会等をおこなう和気藹々としたクラスもある。
私のクラスは、「折角ウィーンに来たのだから」ということで、40分?45分のレッスンを毎日というスケジュールでやっている。昨年は、ウィーン国立音大教授ハイニッシュ先生と合同で、今年はさらに、ポーランド人の同音大准教授ツァヤック先生をお迎えし、3クラス合同のクラスコンサートをした。
リヒテンタール教会 (ここでシューベルトが洗礼を受けたという) アイゼンシュタット/ エステルハージー城 ウィーン国立音大 (ここでレッスンがおこなわれる)
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街を歩けば、どこを向いても絵になるような風景、いくつかの教会の鐘の音が石畳や建物に重なり合って反響し、美しい響きを作り出す。そんな中での生活は、音楽と100%向き合うことができ、人を真面目にさせる。本当の意味での音楽に対する真面目さ、厳しさを体験できるのも、この街ならではのことかもしれない。
日曜日、参加者全員と教授陣で、ローラウのハイドンの生家にバスで出かけた。そこでは、各クラスから選ばれた代表によるコンサートが開かれ、その後、美味しいオーストリア料理とともに、話に花が咲いたのである。一行は、ハイドンが30年間仕えたというアイゼンシュタットのエステルハージー城を訪ね、ハイドンの住家へ。ウィーン古典派のパパ様に一礼!というわけだ。
2週目は忙しい。水曜日にクラス演奏会、翌日はディヒラーコンクールの審査、夜は各クラス代表者のコンサート、金曜日はコンクール受賞者のコンサート、パーティーと続く。コンクールの課題曲は2曲。1つはウィーン古典派、もう1つは自由曲である。結果はともかく、目標にむかって一途に努力する姿は美しい。
セミナーは、受講生が、いろいろな教授陣と顔を合わせることが多く、皆よく喋り、大変アットホームな雰囲気の中で行なわれた。学生たちの「もっとウィーンにいたい」「また来たいよね」という声が多いのも、そういうところからなのだろう。
セミナーの合間に街に出た。リンク内のヨハネスガッセにあるウィーン国立音大Mensa(メンザ=学食の意)に久しぶりに行ってみた。元修道院だったところで、都心のど真ん中にありながら、ゆったりとした時の流れを感じさせる場所である。中庭で日本人の小学生の女の子が、お母様と食事をしていた。「セミナーを受けているのですか?」と聞くと、「いいえ、作曲家が生まれ育ったウィーンに、ぜひ、この子と一緒に来たかったので」という返事が返ってきた。私は、かつてムジカノーヴァの特集記事の最後に、「時間とお金があれば、ぜひヨーロッパの作曲家が息づく街に」と書いたことがある。作曲家の足跡を訪ね、今もなお、ウィーンゆかりの音楽家たちの魂が生き続ける街、ウィーン。人を惹きつける魅力は、とどまるところを知らない。