スイス・ヴェルビエ音楽祭レポート/恒川洋子さん
アルプスに浮かぶスーパースター達の夏の楽園 リポート◎恒川洋子(ベルギー在住) |
美しい夕暮れ時を迎える、ヴェルビエ音楽祭会場。 |
[前編] 一流アーティストの演奏会
一流アーティストの集まるヴェルビエの夏~音楽家・ダンサー・小説家・哲学者も!
ヴェルビエの「顔」、キーシン ヴェルビエ音楽祭室内楽団 |
冬は一流スキーヤー達で賑わうこのスイスの高級リゾート地ヴェルビエ。この地の夏の定番として定着しつつある音楽祭とマスタークラスも、今年で13年目を迎えた。世界中から集まったアーティストや芸術愛好家達は、大自然(アーティスト達との登山や散歩)、食(チーズ・フォンデュやキノコ料理は勿論のこと、スイス随一のシェフのお店ROSALPもある)、音楽(スーパースター達の夢のような組み合わせによる46ものコンサートやマスタークラス)と三拍子揃ったこの楽園で17日間を過ごす。毎年集まる常連が中心となり、その仲間がさらに新たな仲間を連れてくる、そんな気さくでいながらかつ質の高い音楽祭なのである。そしてここには音楽にとどまらず「芸術家」が集まってくる。ダンスのマスタークラスがあるためダンサーもいれば、画家もおり、その方面の評論家もきている。小説家や哲学者もきていて時々レクチャーがあり、誰でも自由に通える。これは広く芸術を愛するこのヴェルビエ音楽祭&アカデミーの創設者であり、ディレクターであるマルタン・エングストローム(MARTIN T:SON ENGSTROEM)氏の目指してきた姿である。
UBS銀行がスポンサーとして支えるヴェルビエ・ユース・オーケストラの101名を指揮するのは、音楽監督を務めるジェイムズ・レヴァイン。この春、肩の手術を受けたと報道された時には、この夏はおなじみの顔が一人欠けてしまうのではないかと心配されたが、その心配も幸い杞憂に終わり、しっかり最終日にはヴェルビエ・ユース・オーケストラのみならず、ニューヨークから参加した約百名のThe Collegiate Choraleによるベートーヴェンの第九の指揮をとり、大成功の内に幕を閉じた。世界中から集まる楽団員は、フェスティバルの始まる一ヶ月前からヴェルビエに来てリハーサルに励む。今年は「アマチュア室内楽」のコンサートや、ヴェルビエ・ユース・オーケストラの現役団員と元団員から構成されるヴェルビエ音楽祭室内楽団のコンサートも新しくスタート。さらにコンサート中には、子供アトリエの作品発表もあり、注目を集めた。
「今夜はどの演奏会に行く?」・・・贅沢な出演者とプログラム
ラン・ラン、ジョシュア・ベル、キルシュネバウムでドヴォルザークのトリオを。 昨年ショパン国際コンクールで優勝したラファウ・ブレハッチもヴェルビエ音楽祭デビューを果たした。 |
おなじみのミッシャ・マイスキーは、ロシアの曲ばかりをプログラムにした愛娘リリーとのデュオコンサートを行った。特にキュイやグラズノフ等の珍しい選曲が評判をよんだ。
またこの音楽祭を代表する顔の一人であるキーシンが毎日山道やコンサート会場や山荘で楽しそうにおしゃべりをしている姿がみられた。さらに、汗だくになって山道をあがっていくファジル・サイの姿がみえるかと思えば、その横のカフェテラスにはベレゾフスキーが仲間と熱心に何かを話している様子。
ふと目を転じると今度はハンバーガーを注文しているアックスの姿が。その彼が弾いたモーツァルトのコンチェルトは、その夜遅くまで話題になるほど。華やかというよりは透き通った繊細なタッチで一音一音の美しさに耳をすませたいコンサートだった。まったく音楽の原点である 「音」へのこだわりを感じさせられた。
ベレゾフスキーもその「音」に大変にこだわるピアニスト。ただショパンについてはあまりにもあっさり弾きすぎるきらいがあり、その意味では感動が薄かったのが残念であった。今回の彼のプログラムの中で一番注目を浴びたのはゴドフスキーのエチュード。思わずうなりたくなる程の素晴らしいテクニックであった。ショパンのエチュードとゴドフスキーの編曲によるエチュードを並べて演奏するということ自体、凄すぎる。特にショパン/ゴドフスキーの「左手のためのエチュード op.10 No.6 変ホ短調」の演奏は感無量であった。
まったくの新顔で、「心を打つエレガントかつ貴族的なショパンの弾き手」 としてしばしば話題になったのがラファウ・ブレハッチのリサイタル。ラン・ランのプログラムをそのままバトンタッチしたのである。
あいにくの天候のため体調を崩したアーティストが多かったこの夏、ラン・ランもそんな不運から音楽祭前半のコンサート、そして予定されていた一日マスタークラスまでキャンセル。
マイスキー、ルガンスキー、今井信子など、豪華な顔ぶれが続く。 アンスネス、レーピン、ディアズ、キルシュネバウム(Carte Blanche Leif Ove Andsnes) photo: MARK SHAPIRO/Verbier Festival&Academy 2006 official photographer |
毎晩二つの会場でコンサートがあるのが少々贅沢な悩み。ルガンスキー(ショパン:プレリュード、ソナタ /ラフマニノフ:楽興の時 op.16 No.1-4、 ピアノ・ソナタ No.2 op.36)と、アンスネスとアックス(シューマン: カノン形式による6つの練習曲 op.56(ドビュッシーが2台のピアノ用に編曲) ) は同じ晩に別々の会場でコンサート!同様にベレゾフスキー、ルガンスキー、スブディン、グルニングによる4,6,8手連弾 (例えばバッハ:「深き渕より、 われ汝に呼ばわる」BWV.686(クルターク編曲、4手連弾)/ラフマニノフ: ロマンス(6手連弾)/ シュニトケ: ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチに捧げる音楽(6手連弾)/リスト: ラコッツィ行進曲(2台のピアノ、8手連弾)等々)のコンサートに行くべきか、それともキーシンの弾くショスタコーヴィッチのコンサートにするか等、悩みはつきない。プログラムとにらめっこした挙句に、決め兼ねた人々は休憩時間に大急ぎでハシゴをした。その晩あちらこちらのレストランでは、遅くまで両コンサートのコメントや情報交換をする人々で賑わっていた。
最終日の最後の楽章が終わると、皆とうとう終わってしまったと一瞬肩を落としたが、「また来年ここでお会いしましょう!」とにこやかに挨拶をし、例年同様立ち去って行った。また、別れを惜しみながら最後の晩を夜更けまで語り合うアーティストや愛好家達は、早速渡された来年度予定されているプログラムを前に早々とコメントを始めるのであった。
[後編] ピアノ・マスタークラス&子供プロジェクト
【マスタークラス】受講生は、世界から8名が選出。聴講も満員に
ジャン・エフラム・バヴーゼと筆者(左) 和やかに会食するアーティスト達。左端が音楽祭主宰のマルタン・エングストローム氏
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ヴェルビエ音楽祭の初年度から開催されており、今年で13年目となる。そのコーディネータを初回から務めているのがCAROLINE HAFFNER女史。毎年50名前後の応募者の中から、CD&DVD審査の結果8名が選ばれる。前半はJOAQUIN ACHUCARRO(ホアキン・アチュカロ)先生、後半は MENAHEM PRESSLER(メナハム・プレスラー)先生が受け持った。
マスタークラスの最終日にはマスタークラス賞が待っている。今年はジュリアード音楽院在学中のGabriella Matinezさんとカーティス音楽院に在学中のPallavi Mahidharaさんにピアノ・マスタークラス賞が授与された。
毎朝9時半から午後1時過ぎまでぶっ通しで行われ、先生、生徒は勿論のこと、会場の席を埋め尽くすほどの熱心な聴講者達がマスタークラスに足を運ぶのである。その中には世界各地から集まったピアノの先生、評論家やメセナもいる。
JOAQUIN ACHUCARRO先生のマスタークラス~ペダルは、音のデザインを決める
常に音作りの原点に立ち戻る、ホアキン・アチュカロ先生のマスタークラス |
特にピアニッシモの時に使うペダルの重要性について、どの生徒にも同じ注意を促していた。ペダルはその音のデザインを決めるとの説明。その他、ルバート、「間」(empty)の大切さ、弾く前にどう自分の指に語りかけたいかを考えることも大事と話す。「蚊のようなタッチ」(mousquito touch)と表現したタッチは、特にシューマンを弾くときの手首の動きをさし、実に分かりやすいアプローチであった。その他にも、ディミニュエンドの後のエネルギーの行き場、抜け方を考えること、曲のクライマックスは広がるだけではなく進むことを忘れないよう注意する点・・・音作りの原点に戻る、考えさせられる授業でした。
MENAHEM PRESSLER 先生のマスタークラス~頭でイメージしてから弾くこと
「各国参加者と交流し、その文化から芸術的な『うまみ』を吸収してほしい」とメナハム・プレスラー先生 音楽祭を記念して、街中のパン屋ではこのような巨大なパンをディスプレイ。 |
一音一音、一フレーズ一フレーズをなぞるような授業進行。頭の中で考えた音が指先に伝わって音になるのであって逆はありえない。また作曲家によってニュアンスの異なるアクセントのあり方を事前によく理解し、イメージしてから弾くことも大切と教えられていた。
受講生の多くは、いずれかのコンクールで受賞した猛者揃い。国籍はブラジル、ロシア、トルコ、アルゼンチン、中国、ドイツ、インド、ベネズエラ。 2004年度には関本昌平さんも参加された。
「この大自然を大いに満喫し、大いにコミュニケーションをし、色々な意味で成長して欲しい。どうも真の芸術を追求する目や心をどこかに置き忘れている。ピアノを弾くこと以外については全く経験不足。競争意識が強いためか生徒同士の交流が少なく残念に思う。」とCAROLINE HAFFNER女史は語る。 「各国からこうして集まってきているなんとも貴重な機会。是非芸術的な「うまみ」をそれぞれの文化の中から吸収し、研究心に磨きをかけ、これからの ピアノ界を楽しませて欲しい」と巨匠MENAHEM PRESSLER 先生は付言した。その言葉の背後には、ぎっしり詰まった豊かな人生経験や共に歩んだ仲間であるリヒテル、ミルシュタイン、シェリング達の面影を感じさせるものがあった。
ドイツ新鋭のマルティン・シュタットフェルト。photo:MARK SHAPIRO ベレゾフスキー、ルガンスキー、スブディン、グルニングによる4、6、8手連弾。こんな顔合わせもヴェルビエならでは。 スイスの美しい景観に鳴り響く音楽、日常を忘れるひと時。 |
アルベニス | 「アルバイシン」(イベリア組曲より) |
バッハ | 「前奏曲とフーガ ホ長調、ニ長調」 「ゴルドベルク変奏曲」 |
バラキエフ | 「イスラメイ」 |
ベートーヴェン | 「ソナタ op.10 No.3」 「ソナタ 変イ長調 op.26」 「ソナタ ハ長調 op.53」 |
ショパン | 「幻想曲 へ短調」 「練習曲 op.25」 「夜想曲 ハ短調 op.49」 |
ドビュッシー | 「ベルガマスク組曲」 |
リスト | 「超絶技巧練習曲 幻影」 「メフィスト・ワルツ」 |
メシアン | 「幼な子イエスに注ぐ20のまなざし 10」 |
モーツァルト | 「ソナタ K330」 「ソナタ K576 ハ長調」 「ピアノ協奏曲 ハ長調 K503」 |
ラフマニノフ | 「ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18」 「前奏曲 op.23 No.7 - op.32 No.12」 |
ラヴェル | 「夜のガスパール」 |
シューマン | 「ピアノ協奏曲 op.54」 「謝肉祭 op.9」 「クライスレリアーナ op.16」 「ソナタ 嬰へ短調」 |
シューベルト | 「ソナタ ハ短調」 「即興曲 op.90 3-4」 |
ストラヴィンスキー | 「ペトルーシュカ」 |
【その他催し物】子供アトリエ<
1)The sonic postcards project(9歳以上)~皆で音のコラージュ製作、ラン・ランのリハ中の声も!
大自然の中、自分の周りの環境の中で聴こえてくる「音」を意識して拾い 、それらの「音」のコラージュをするアトリエが二日半行われた。12才前後の子供達が二十数人程集まり、二班に分かれてヴェルビエ中の音拾いをしたのである。牛の鈴、教会の鐘、店のチャイム、滝の音、車の走り去っていく音・・ ・等など。傑作だったのがその中で拾われていたラン・ランのリハーサル中の声。 このコラージュはラン・ランのコンサートの日、演奏の前に発表された。詳しくはこちらへ。
2)モーツァルトの肖像画を描く(原則6才以上)
モーツァルトの肖像を共同してパネルに描くアトリエもあった。ここでも「色」と 「音」との共存を子供なりに感じとるアプローチであった(最年少は特別参加の四歳の女の子)。描き終えたパネルは最終日まで会場の壁に飾られていた。
【最後に】
昨今の国際情勢のため多くの音楽家の活動に支障がでているようです。例えば飛行機の機内に楽器が持ち込めないとなるとオーケストラの遠征にも二の足を踏むことになってしまうのではないでしょうか?音楽には世界中の人々の心に感動を与える力があると信じています。あらためて世界の平和の大切さを感じます。
お知らせ
◆来年度のヴェルビエ音楽祭&アカデミーの日程は、2007年7月20日- 8月5日です。詳しくは以下のサイトをご参照下さい。
【関連サイト】
http://www.verbierfestival.com
http://www.verbier.ch (VERBIER 観光局)