ドイツ音楽事情レポート~旧東独・ツァイツ市より/池川礼子先生
「ドイツ音楽事情レポート~旧東独・ツァイツ市より リポート◎池川 礼子先生 |
田上景大さんとツァイツ市長 |
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◎ツアー参加者:田上景大(2005年ランプリ受賞者)/木村貴紀(共栄学園短大専任講師,2004年市長賞受賞者)/池川 直(鳥栖コンクールトロフィー制作者)/池川礼子(田上景大、指導者)/田上万佐子(田上景大、母)
前編
ピアノが橋渡しする日本とドイツ、そして昔と今
市長との歓迎レセプションにて
アンナマグダレーナ音楽学校
今回鳥栖ピアノコンクールのグランプリ褒賞として、田上景大君がツァイツ市に招かれました。このコンクールは太平洋戦争の末期、特攻隊員がフッペルというドイツ製のピアノでベートーヴェン「月光」を弾いて、敵陣へ飛び立ったという実話から、佐賀県鳥栖市が平和記念として開催しているものです。そのフッペルのピアノが生まれたのが、このツァイツ市というわけです。
今回滞在したのは、1月9日から14日の6日間ですが、その間現地の方が心のこもった接待をしてくださり、音楽学校、幼稚園、小学校訪問そして授業参加と貴重な経験ができました。
コンサートに先立ち、ツァイツ市長による歓迎レセプションが開かれ、気さくな市長としばし歓談の場を持ちました。鳥栖市長の親書を名代である主人がお渡しし、「フッペルのピアノから日本とドイツ、鳥栖市とツアイツ市という交流につながり、今後とも友好を深めていければ」とスピーチ致しました。市長も、「今後もこのような音楽の交流を続けていきたいと鳥栖市長にお伝えください」と述べられました。またツァイツ市長自ら案内役を買って出て市庁舎を、その後は市議長のシュウナイダー女史らが、地下道、アンナマグダレーナ音楽学校(アンナマグダレーナが生まれた町です)、図書館、乳母車博物館、教会を案内して下さいました。教会ではパイプオルガンを弾かせて頂きました。
小学校の音楽授業に参加、ベートーヴェン『月光』を弾く
ツァイツ市内の小学校にて「月光」を弾く
小学校の壁にはカラフルな落書きが
1月12日(木)ツァイツ市内の小学校(セカンドスクール)を訪問しました。校長先生とご挨拶した後、音楽と体育の授業に参加させていただきました。小学校といえども、6才~18才まで就学年齢は幅広く、参加した音楽のクラスは16?18歳が対象でした。
この日は偶然にもベートーヴェンがテーマ。『喜びの歌』を歌唱指導後、「他の作品は?」との先生の問いかけに、「月光!」と景大君が答え、CDを流し始めましたが、ざわざわ。そこで「弾かせてもらえませんか?」とこちらから提案したところ、音楽の先生や生徒たちは驚きながらも、快く演奏の場を与えて下さいました。余りよい状態のピアノではありませんでしたが、やはり生。全員静かに聴いてくれ、弾き終わると「ブラボー!!」先生も「すばらしい緊張感と、虹が架かっていくようなところがあり、、、」と、すてきなコメントを下さいました。ピアノの音を通じて、心が伝わったかな?と思う瞬間でした。
幼稚園にピアノが無い!日本の豊かさを実感して
また木村さんの希望で幼稚園も見学しました。私たちのために可愛い園児たち(0~6歳)が、自分たちで振り付けを考えたダンスを披露してくれました。日本がどこにあるかもお勉強していました。そして30分ほど日独の違い等についてディスカッションしました。
ところで音楽院や公共施設に置いてあるピアノはどれも状態が良くなかったのですが(ロシアを旅したときも同じ感想を持ちましたが)、昔は市内に200もあったピアノ工場が、今は一軒もないそうです。日本の豊かさを再認識し、ピアノの状態が悪いと上手くならない、とピリピリしている自分を反省しました。
また幼稚園にはキーボードすらなく、先生方はほとんどピアノが弾けないとのことに驚きを隠せませんでした。代わりにギターを弾くそうですが。。
いよいよ、コンサート本番!ドイツの聴衆から喝采
12日午後から夜にかけて、今回のメインである演奏会が行われました。まずは、シルバーハウスにて。車椅子の方を含め、50人くらいの方が楽しみに集まってくださいました。素敵な空間にアップライトピアノ1台。短いコメントをつけて、景大くんと木村さんが交互に弾く形で、楽しく演奏できました。皆さんに歓んでいただけたと思います。また18時からの芸術発表会は、劇場のようなホールで行われ、250~300人の市民が集まりました。
市長の開会宣言に続いて、いよいよ景大くんの演奏。ところがなぜかマイクが入っており、何ともおもしろい音が響きました。よく言えばチェンバロのような音でしょうか。ペダルも利かなかったらしく悪条件の中での演奏となりましたが、表現豊かに演奏でき、鳥栖コンクールグランプリの重い責任を果たせて、ほっと安堵しました。木村さんもすばらしい英雄ポロネーズを披露。二人ともブラボー!カーテンコールで、再びステージにて喝采を浴びました。
終演後、市長主催パーティー、打ち上げが行われ、市長はじめ、ツァイツ市の方々と心温まる交流ができました。
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後編
ドイツ大都市の街並みに宿る影、バッハ時代~世界大戦まで
今回はドレスデン(ツァイツ市からミニバスで約2時間)も観光しました。こちらは400年ほど前、ザクセン公国の首都として栄えた街にふさわしく立派で、ヨーロッパらしい建物が多く残っていました。ただ、白と黒の石組みが不思議な色合いでしたが、それは第二次世界大戦で建物が壊され、戦後修復した時に、新旧の石が入り混じったものだそう(新しい石はまだ白く、古い石は黒い)。戦争という歴史の事実を思い出し、平和を考えるきっかけとなりました。その他、オペラ座、マイセン焼きの壁、ツインガー宮殿など、美しくすばらしい景色の街でした!
また別の一日、ライプツィヒを見学し、運良くゲバントハウスオーケストラの演奏会を聴くことができました。すばらしいホールで、響きが独特。午後には、バッハが1723年より1759年に死ぬまで勤めたトーマス教会や、東西ドイツ統一の第一歩となったニコライ教会(1989年、この教会で平和の祈りを捧げた後、ライプツィヒ市民が大規模なデモを繰り広げた)を案内していただきました。そこでは、足が凍る寒空の教会前で、市民が武力なしの心で、自由を勝ち取った話を熱く語って下さいました。私たちには当たり前の自由がなかったという事実、それを獲得したのがほんの15年前だという現実、その想いの強さに深く感銘しました。
いずれも、歴史の重みを感じる町並みでした。
今回のドイツ滞在では、ドイツの人々が持つ素朴さや、いつも温かい言葉をかけて下さる親切な心に触れることができました。景大くんたちの寄宿アパートでは、初日の夜ウインナーとパンという質素な食卓でしたが、生のミンチなど珍しく、ドイツらしい雰囲気が味わえて楽しくアーベンブローという夕食を頂きました。また「東ドイツの頃は、物と自由がなかった。統一後、それらを手にしたが、今は、物がたくさんあるが、買えないの。物がないから買えないのと、どちらが良いかわからないわ」と率直なお話も聞けたのも貴重でした。
でも質素だけでない味わい深さもあり、ツァイツ市内のレストランで頂いた郷土料理や、そしてドレスデン観光中に街角で食べたフランクフルトとグルーワイン(温かいワイン)も、忘れられない美味しさでした。
ツァイツ市長の、音楽・芸術への温かい眼差し
今回行われた芸術発表会は、文学、ダンス、写真、ブラスなど様々な芸術活動をしている12歳から27歳までの方を応援し、活動資金をプレゼントするというもの。皆活動内容をたたえられ、賞金をいただき、その後スピーチや、活動発表を行います。楽しいレセプションで、そこにゲストとして出演できてとても光栄でした。
市長は、「このイベントは、互いに評価しあうことを推進しています。実力を伸ばすことは大切だが、競争は大人になってからでいいのです。それより<ギブアンドテイク>が必要。人からもらうだけでなく生かして返すことが大切。」「幸せを周りと分かち合えればよい」「日本からいただいた幸せは返しきれない物がある」等と、大きな暖かい人間性を感じるお話をして頂き、強く心に刻まれたひとときでした。
言葉こそ通じませんでしたが、心と音楽は確実に伝わる。感動も分かち合えると再確認し、「音楽を職業としたことに誇りに思い幸せだ!」とおっしゃっていた福田靖子先生のお言葉を思い出す旅行でした。また景大君にとっても、小学生という若いときに経験できたということが、彼の人生にとって、計り知れない成長につながることと思います。
人間と人間のつながりで、心を尽くしてお互い接することができ、このような小さなことから、世界の平和も可能なのではないかと思いました。