<連載>上海の初等音楽教育 第3回/牛田敦さん
第3回 「近くて遠かった?中国のピアノ教育史とは」
連載第2回の続きで、上海音楽院名誉教授・鄭曙星先生のインタビューをお届けする。ロシアの先生に師事した学生時代、文化大革命で不遇の20年間を過ごし、1980年代から指導を再開した鄭先生。中国のダイナミックな精神性が養われた文化背景が垣間見える。
中国ピアノ教育界の歴史を紐解いて
「肩から指までお水が流れるようにね。力が途中で入ると、お水が止まってしまいますよ」 「ここの力は抜いてね。柔らかく保ちましょう」 レッスン後、必ずおやつを下さる鄭先生「今日のレッスンも頑張りましたね」。左は陳融楽先生。 |
─ 鄭先生がピアノを学んできたプロセスと、教えるプロセスそのものが、中国ピアノ教育界の発展の歴史といわれています。そのプロセスをおきかせいただけますか。
私は、ハルピンで7才の時ピアノを習い始めました。当時のハルピンは、ロシア十月革命時に亡命してきた貴族、名士がたくさんいました。音楽会やバレエなど文化的な催しが活発で、ヨーロッパ的な雰囲気が色濃く漂い、「東方のパリ」と呼ばれていました。私を育ててくれたおじさんは、まず自分がピアノを学習した後、私に楽譜の読み方などを教えてくれました。さらに、ロシア語の家庭教師について半年後、ハルピンで音楽学校を創設したユダヤ系ロシア人の校長先生のもとに通いはじめました。その先生は、十月革命前はロシア音楽院で教鞭をとられていました。
日中戦争後、私は福建音楽専門学校に入学し、アメリカのオ?ブリン音楽学院からきた先生に師事しました。一年後、福建音楽専門学校は上海の音楽学校と合併しました。合併後の上海音楽学院では、ロシア人のブロンシタン先生と、ナチスを逃れ上海にいらしたユダヤ人のウイハンバーガー先生に師事しました。周広仁先生、李名強先生もウイハンバーガー先生から習いました。彼は、ここのところはこのように弾いたほうがいいとか、曲のスタイルからの指導が多く、要求だけを教え、弾く方法は教えないで生徒自身で考えさせました。その後、李嘉禄先生がアメリカから戻り、キーの触り方、ペダルの踏み方(ハーフペダル、1/4ペダルとか、3/4ペダル)、重量奏法とハイ・フィンガー奏法の違いなどを理論的に教えてくれました。このころの授業の体験から思ったことは、理論ばかり教えてもよくないし、全然教えなくてもよくない。理論は基礎として勉強しなければいけないということです。ピアノを弾くことは他の芸術家とちょっと違うところがあって、単純に真似することではないからです。
手探りだった指導1年目
卒業後、音楽学校の附属中学校の教師になりました。私がはじめて教師になった時、どのように学生を教えたらよいのか分かりませんでした。図書館へ行ってたくさん楽譜の本を借り、一晩に一冊ずつ自分で弾き、リズムのいい曲を選んで学生に与えました。このようにして学生に役立つ教本をつくっていったのです。
その後、二年間学生を教えることをストップしました。1950年代末、上海音楽学院はロシアのピアノ教育専門家を招き、私が通訳を担当することになったのです。ロシアのピアノ教育専門家によって、ドヴュッシー、ラヴェル、ベートーベン後期のソナタ、プロコフィエフ、スクリャービンなど、たくさんの曲を知ることができました。レッスンでは、ロシアの伝統にのっとり、一週間で作品を全部暗誦することを要求されました。暗記するためには、無意識の弾き方を避け、頭で考えて弾かなければなりません。その次に、それまで私たちの間であまり強調されていなかった、音のグラデーション、音色の微妙な変化の処理を厳しく要求されました。当時、多くの学生がロシアのピアノ教育専門家の授業を受け、上海はピアノが本当に盛んな時期でした。
文化大革命時代の20年を経て、海外へ広く門戸を開いた80年代
ご主人が描かれた絵 鄭先生、ご主人、二人のお嬢様と。お嬢様二人は現在ドイツ在住、ヴァイオリン奏者として活躍中。 |
60年代以後、「文化大革命」の時は、ピアノを弾くことさえできませんでした。我が家のグランドピアノも、ふたを開けることさえ怖くてできませんでした。20年間近く中断されて、80年代になってからやっと回復しました。
私がピアノ学部長のときに、大規模な国際コンクールへ音楽院の教師を派遣することをはじめました。私は第1次、第2次のコンクールを聞くことが好きです。各国のたくさんの参加者の演奏が聴けて、審査員の考え、求めているものを理解することができるからです。音楽表現に対する要求を高めなくてはならないことも感じます。たくさん見てたくさん感じて、新しいものを増やしています。
さらに、優秀な学生が80年代以降、次々にアメリカに留学し、最近はヨーロッパに留学し、その多くが現在帰国し、後輩の指導にあたっています。
─ 西洋からの影響を受けて発展してきた中国のピアノ教育ですが、東洋にすむ私たちが、西洋の音楽を学ぶとき留意されておられることをお教えいただけますか。
東洋西洋の文化の差ではなく、文化の風土の問題があると思います。自国の楽曲音調に対しては自然にその流れを感じますが、西洋から来ているピアノ音楽を理解するためには西洋文化の「教養」に留意しなければならないと思います。例えば、文学、絵画、バレエ等の芸術が、審美感覚を磨いてくれます。さまざまな芸術の薫陶によって想像力が啓発され、音声に対して色々な連想が生まれ、感情やムードを生みだされるのです。
─ ありがとうございました。
リポート◎牛田敦(上海在住・支持会員)
※次回は、「中国からなぜ人材が輩出されるのか」を予定。
⇒第4回へ