浜コン:カン・チュンモ先生特別インタビュー、ファイナリスト3名を出した世界最高峰の教授に聞く
2009/11/21
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今回の浜松のファイナリスト、最大の話題といえば、ファイナリスト発表記者会見でも中村紘子審査委員長が触れたように「韓国のコンテスタントが4名、しかもそのうち3名はカン・チュンモ先生のお弟子さん」ということでしょう。
カン・チュンモ教授は、ソウル国立大学・サンフランシスコ音楽院・ピーボディ音楽院に学び、韓国国立芸術大学の開設と同時に帰国して同校の発展に尽力している、韓国ピアノ界をリードする教授です。韓国の現在のピアノ教育界は、カン・チュンモ先生とキム・デジン先生(今回の審査委員)が圧倒的な実績で引っ張っているといえるでしょう。
ピティナでもその実績に早くから注目し、カン先生を2008年のJr.G級のためのマスタークラスに、キム先生を2006年のコンペティション決勝に招聘いたしましたが、お二人とも、その気品ある優しいお人柄と音楽への深い見識、そして何よりピアニストとしても多忙な演奏活動をこなすなかで、次の世代を育てたいという教育への情熱で、強い印象を残しました。
今回、ファイナルに3名が進んだために、急遽予定を調整して19日夜から来日したカン先生に、特別に貴重なインタビューの機会をいただきました。世界最高峰の教授は、今何を考え、感じているのか、たっぷりお楽しみください。
(※レッスン写真は、Jr.G級マスタークラスのもの。通常写真はインタビュー時撮影)
[INDEX]
1.今回のファイナリスト3名とのかかわり
2.カン先生を導いた3人の指導者
3.若いピアニストを導く指導者として
4.カン先生が考える「パーソナリティ」とは?
5.韓国のピアニスト、ピアノ教育
1.今回のファイナリスト3名とのかかわり
今回の浜松国際ピアノコンクールでの生徒さんたちのご成功、本当におめでとうございます。まずは、先生と3人の生徒さんとのかかわりや生徒さんたちのキャラクターをご紹介いただけますか。
K:ありがとうございます。私も驚きましたよ(笑)。知らせを受けて、これは私も来日しないわけには行かないということで、急遽全ての予定をキャンセルし、荷物を詰めて飛んできました!彼らの成功をとても嬉しく思っています。
まず、ANN Soo-Jung(アン・スジョン)ですが、彼女は小学校5年生のときから大学卒業まで8年間を私とともに勉強し、今は、アイルランドでジョン・オコーナー先生に学んで2年になります。
スジョンは、当初から、プロフェッショナルな意識を持って勉強していましたね。一音一音を確実に練習していくような子でした。賢く、そして自然で清潔感のあるピアニストで、私の大好きな生徒のひとりです。
ただ、音楽に没入できないところのある子でした。自分の感情を100%音楽にこめていくということを恐れているといいますか、ピアノや音楽と一体になることより、ピアノをコントロールしようとするところがありました。けれど、アイルランドへ渡って、彼女は素晴らしい成長を遂げ、今や音楽と本当に一体となるような演奏をするようになりました。その点について、オコーナー先生に私は感謝してもしきれません。本当の音楽性というものを教えてくれました。
ホ・ジェウォンさんについてはどうですか?
K:HUH Jae-Weon(ホ・ジェウォン)は、高校1年からですから、6-7年一緒に勉強しています。他の子より私のもとに来るのが遅く、ある意味では遅すぎたほどで、芸術を教える以前にすべきこと、例えばレガート、ペダル、呼吸、構造を把握する視点、カンタービレで歌うことなど、勉強すべきことがたくさんありました。幸い、テクニック的な面で、粗くはありましたが素晴らしいものを持っていました。
ジェウォンとのレッスン、特に最初の半年のレッスンは、私にとって忘れられないものです。彼は本当に涙ぐましい努力をし、また、素晴らしい知性を発揮し、一回一回のレッスンでは、まるで奇跡を見るかのような進歩を見せました。2007年に上海国際コンクールで1位を取るなど、良いピアニストに成長してきました。
ジェウォンの強みは、第一にテクニックですね。どんなに難しい作品でも、数日でマスターし、一音もはずさずに弾きこなすほどのテクニックは、うらやましいほどです(笑)。弱いところは、精神の弱さでしょうか。今でも、弾き急いで崩壊したり、本番で心がうまくコントロールできなかったりします。彼は、今回、他の2人よりも年上ですから、かえってそれがプレッシャーになっているようですね。年齢が行くということは、多くのことに気が回るようになるということですから。若いほうが無邪気です(笑)。
キム・ヒョンジョンさんについては?
K:KIM Hyung-Jung(キム・ヒョンジョン)は、小学校5年生、12歳の頃から私のもとに来ていますから、6年くらいになるでしょうか。ヒョンジョンは、私の指導歴の中で、唯一、「あなたを教えたい」と私のほうから伝えた生徒です。他の生徒は、程度の差はあれ、生徒たちや親御さんが連絡してきたり、紹介されたり、大学に入ってきたりして知り合いましたが、ヒョンジョンの場合、「私に彼女を教えさせていただけませんか」とご両親に連絡をしたのです。初めてあるオーディションで聴いたとき、彼女の信じられないほどの可能性に圧倒されました。
ヒョンジョンは、ステージにおいて、独特の存在感を見せます。ステージでは、彼女は一回りも二回りも大きく見え、すさまじい集中力で、聴衆を支配するかのようです。舞台上では常に自信に満ちています。これは稀有な才能です。それでいて、舞台を降りると、彼女はかわいらしくて謙虚な性格の持ち主です。
本当に、3人とも、そして他の生徒たちも、1人ひとりがまったく異なる才能の持ち主ですね。
2.カン先生を導いた3人の指導者
カン先生ご自身は、どのような先生に教えを受けてこられたのですか?
「大きな構成・枠組みを教えてくれたチュン先生」
K:私自身、3人の素晴らしい先生に、理想的な順序で指導を受けてくることができました。韓国では、私はCHUNG Jin-Woo先生に教えを受けました。彼は韓国ピアノ界の「ゴッドファーザー」のような存在です(笑)。
彼のレッスンは変わっていて、彼は、私が演奏するのに合わせて歌ったり演奏したりするだけなのです。むしろ私が彼の歌に合わせて演奏した、というほうが正しいともいえます。「ここのスタッカートはこう、ここの弾き方はこう」といったテクニカルなことの詳細は、いっさい仰いません。とにかく、一緒に演奏するだけなのです。とても変わった指導だと今でも思います。
私は最初のうち、彼の歌を注意深く聴き、そしてそれをなぞるということに集中しました。数年のうちにいつのまにか、音楽の大きな構成・枠組みを感じ取ることができるようになり、自分自身のやり方で音楽を作ることができるようになっていました。
「芸術的な想像力の素晴らしさを教えてくれたマクレイ先生」
K:その後、私はサンフランシスコ音楽院に留学し、Mack McCray先生に出会います。もちろん彼は素晴らしいピアニストでもあったんですが、あらゆる芸術、特に絵画と詩に精通し、ご自身も素晴らしい絵を描き、詩を書いていらっしゃいました。
ここでも私は、テクニカルな指導なまったく受けませんでした(笑)。彼は、私の楽譜の隅に、ちょっとした絵を描いてくれるのです。それは時には印象派的なイメージであり、時には愛らしいイラストであり、どれもその音楽に対する想像力をかき立てるような見事な絵でした。
また、サンフランシスコはご存知のように美しい街ですが、晴れた日には「散歩に行こう」と仰って、私を外へ連れ出し、丘の上から風景や街並みを見て、「あのちょっとピンクがかった雲を見てごらんよ。あれはまさにドビュッシーだ」と空想にふけっていました。彼の想像力は素晴らしいもので、彼は私に、ピアノ演奏とは、単に鍵盤を押していることではなく、他の芸術と密接につながっている行為なのだということを教えてくれ、また、私の心を開いてくださいました。
「鍵盤とのコンタクトを教えてくれたマック先生」
K:ピーボディ音楽院に進んで師事したのが、Ellen Mack先生です。初めて彼女に聞いてもらったときの一言は忘れられない衝撃的なものでした。「あなたは素晴らしい音楽家ね。でも、あなたは素晴らしいピアニストではない」そう言われたのです。
彼女が言うには、私は曲の構成を理解し、想像力豊かに音を奏でていましたが、頭の中にある音を、実際にピアノから引き出すことができていないというのです。確かに、メカニック的に不自由はしていませんでしたが、私のフォルテは時に割れ、ピアニッシモは時に不揃いなもので、演奏は安定していませんでした。彼女は、私に、「どのように体を使って鍵盤とコンタクトするのか」を一つ一つ丁寧に教えてくれました。イスの座り方、腕のポジション、手首の使い方、脱力の仕方、あらゆる筋肉の使い方...これらを矯正して、鍵盤へのコンタクトの仕方を教え、それを私のイマジネーションと結びつける方法を教えてくださいました。ようやく私は自分が思い描く音が出せるようになっていったのです。
3人の先生方は、それぞれ、構成力・想像力・体の使い方、という、私が持っていなかった重要な3つの要素を教えてくださいました。素晴らしい環境に学んだことに感謝しています。
3.若いピアニストを導く指導者として
今では、カン先生自身が、素晴らしい若い才能を導く指導者として、偉大な業績を残していらっしゃいますが、彼ら・彼女たちを「指導する」ということについて、どんなことに注意していらっしゃいますか。
「想像力を刺激するのが指導」
K:まず、「教える」ということは、非常に大きな危険が伴う行為であるということを、私たち若者の指導者の立場にある者がいつでも肝に銘じておかなければならないと思います。「ここはクレシェンド、ここのアクセントを忘れてる、ペダルはここからここまで...」こういった事柄を教えて真似させるのは容易ですが、果たしてそれが指導でしょうか。
例えばここにリンゴがあるとします。私が生徒に、「これはリンゴという果実の一種で、少し酸っぱくて、けれど甘くて...」というようなことを説明したとします。そこで生徒が、「ふーん、これはリンゴといって、酸っぱさと甘さがあって...」と復唱するだけであったら、私は指導者としての役割を果たしていないといえます。指導者としては、「そうか、これはリンゴという果実なのか」という反応を引き出し、そして「味わってみたいなぁ」と彼らの口の中に思わず唾液がたまるような想像力を刺激するような伝え方でなければなりません。「反応、リアクション」というのが、指導では常に最も重要です。
「指導者に求められるのは、反応を観察する力」
K:さらに言うならば、指導者に第一に求められるのは、この「反応・リアクション」を観察する力だと思います。
例えば、私が演奏を聴いて「ちょっとうるさいな。もっとソフトに」という要求をしたとします。この一言で、生徒がどのような方向に反応を示すか、常に注意深く観察し、彼・彼女がどのような性質・性格を持っているかを考えるのです。次の要求では、想像力豊かな子には、抽象的なイメージやストーリーを伝えてあげたほうが、より良い音が出るようになるかもしれません。シャイで反応が小さい子には、少し誇張した表現で伝えますし、逆にすぐに反応しすぎてしまう子には慎重に「ちょっとだけソフトにしてごらん」と伝えれば、それ以上言わなくても十分に反応してくれるでしょう。
ポイントは、生徒の感じ方・考え方を理解しようと努力する、ということだと思います。人間は一人ひとり異なり、感じ方の程度は違って当然ですから、生徒の感じ方・反応にこちらが合わせていくことが大切ではないでしょうか。
「コミュニケーションこそが、演奏の目的」
K:もう一つ、私がとても大切にしているのは、演奏は「コミュニケーション」だということです。もし聴いてくださる方がいなければ、我々演奏家というのは無意味な存在です。聴衆がいるのに、ステージ上で「お客は関係ない。これが自分の音楽だ」という演奏をするとしたら、それは単なる自己満足であって、「演奏」ではありません。演奏家は、聴衆と結びついてこそ、はじめて価値を持ってきます。
例えば演劇、日本ではカブキもありますね、そういった劇を思い浮かべてみましょう。演劇の役者の場合、たとえ2人の役者で小さな声で話している場面でも、その会話が観客に届かなければ何の意味ももちません。役者たちは、客席に向けてもアンテナを立て、その反応を機敏に感じ取っているはずです。演奏も、同様に聴衆に向けてのアンテナを敏感にしておかなければなりません。その意味で、先に申しましたキム・ヒョンジョンの才能というのは特別なのです。
「クラシック音楽におけるオリジナリティ」
K:コミュニケーションにおいて、一つ注意しておかなければならないのは、何が演奏者のオリジナリティ・個性なのか、ということでしょう。好き勝手に弾いて、それが「オリジナリティ」だと勘違いしている演奏者もおりますが、私は、それはクラシック音楽における本来のオリジナリティではないと思います。クラシック音楽は、スタイルや構造といったある種の「制約」の中で「オリジナリティ」「個性」「自分の言葉で表現する」といったことを実現する、いわば「制約の中での自由」こそが魅力となる芸術であり、その「制約の中での自由」の美しさによって、聴き手とコミュニケートしている芸術であると理解しています。
4.カン先生が考える「パーソナリティ」とは?
今回、審査員の先生方に「審査員は何を考え、何を聴くか」というインタビューをしてきました。表現の仕方は多少異なりましたが、先生方は一様に「パーソナリティ」ということに触れていらっしゃいました。カン先生は、アーティストの「パーソナリティ」について、どのようなお考えをお持ちでしょうか。
「演奏者独自の【第六感】=パーソナリティ」
K:それは非常に興味深いインタビューですね。抽象的で難しい質問です。
そうですね、芸術家・アーティストにとっての「パーソナリティ」とは、言い換えれば、「何か対象を見るときの、もう一つの感覚」とでも申しましょうか。ご存知のように、人間には五感(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚)があるとされていますが、それ以外に対象を感じ取る、第六の感覚、その人独自のフィルター、それがパーソナリティではないかと思います。
例えばここに花がありますが、赤い、良い匂いがする、少し葉っぱがざらざらする、枯れている、といったことは多くの人が共通に感じることですが、それを絵に書き起こすとき、それをその人独自のフィルターを通じて変換し、ある人は印象派的に表現するかもしれないし、ある人はとても具体的な線や色を使って表現するかもしれません。アウトプットの際、その人独自のフィルターを通すときに、パーソナリティが発揮されるように思います。演奏においては、それは聴衆とコミュニケーションを図るときに現れるといえるでしょうね。
このパーソナリティを磨くには、よく言われるように、本を読み、演劇や映画を見、他の文化や芸術を理解し...、とにかく人生の喜びと苦難を味わって、「より良い人間」になろうと努力するということになってくるのだと思います。
5.韓国のピアニスト、ピアノ教育
話は180度変わりますが、今回の浜コンの大きな話題は、ファイナリスト6名のうち4名が韓国のピアニストだということです。カン先生は、韓国のピアニスト・音楽家に共通する性質をどうお感じになりますか? また、韓国国立芸術大学の教育の特徴を教えてください。
K:韓国のピアニスト、音楽家は、情熱的で感情の起伏が特に激しい、とは言えるでしょうね。また、韓国の人々は、民族的に、歌うことが本当に好きですし、音楽を特に好む国民の一つといえるでしょう。そして、「競争が好き」という一面はありますね(笑)。つい勝負に熱くなりすぎるところがあります。
私の学校の良い特徴を一つ挙げるとすれば、長い時間の計画を立てて生徒を見ることができるということがあると思います。韓国国立芸術大学には、「予備科 preparatory division」があり、非常に若い生徒でも、才能が認められればこの予備科に入学することができます。
ピアノ科でも、尊敬する同僚のキム・デジン教授、イム・チョンピル教授と私の3名の教授が、予備科から大学・大学院に至るまで、非常に有能な生徒を数年単位の長いスパンで教育できるシステムになっています。もちろん、「パートタイム」と呼ばれるアシスタントの先生方はいらっしゃいますが、非常に優秀な生徒の場合、私たち教授陣が直接に担当することが多く、国際コンクールの審査などの長期の不在の際にアシスタントにフォローをしていただいたりしています。
この仕組みにより、数年単位で「この時期には演奏の機会を用意してあげよう」「この時期にはこの種類のコンクールを受けさせよう」と考えることができます。特に、私はコンピュータで記録をつけておくのが好きで(覚えきれないから、というのが正直なところですが(笑))すべての生徒について、年齢・レパートリー・全レッスンの記録をつけて、iPodに入れて持ち歩いています。「○月○日、リストのバラード2番、主にフレージングの注意」とかね。それを常に見ながら、次に何をしていくべきか、長いスパンで考えるようにしています。
私たちにとって、生徒一人ひとりが特別の存在ですし、教師は、生徒の将来・未来を託されているという大きな責任を負っています。その責任感をいつも感じながら、指導を行っています。
指導者は、生徒を舟に乗せて灯台に向かって自らがボートを漕ぐのではなく、生徒がボートを漕ぐのを、方向を間違えないように見守ってあげるしかありません。そして、生徒がもはや一人で立つことができるようになり成功を収めたならば、教師はその栄光の影になるべきなのです。
たくさんの貴重なお話をありがとうございました。
カン・チュンモ教授は、ソウル国立大学・サンフランシスコ音楽院・ピーボディ音楽院に学び、韓国国立芸術大学の開設と同時に帰国して同校の発展に尽力している、韓国ピアノ界をリードする教授です。韓国の現在のピアノ教育界は、カン・チュンモ先生とキム・デジン先生(今回の審査委員)が圧倒的な実績で引っ張っているといえるでしょう。
ピティナでもその実績に早くから注目し、カン先生を2008年のJr.G級のためのマスタークラスに、キム先生を2006年のコンペティション決勝に招聘いたしましたが、お二人とも、その気品ある優しいお人柄と音楽への深い見識、そして何よりピアニストとしても多忙な演奏活動をこなすなかで、次の世代を育てたいという教育への情熱で、強い印象を残しました。
今回、ファイナルに3名が進んだために、急遽予定を調整して19日夜から来日したカン先生に、特別に貴重なインタビューの機会をいただきました。世界最高峰の教授は、今何を考え、感じているのか、たっぷりお楽しみください。
(※レッスン写真は、Jr.G級マスタークラスのもの。通常写真はインタビュー時撮影)
[INDEX]
1.今回のファイナリスト3名とのかかわり
2.カン先生を導いた3人の指導者
3.若いピアニストを導く指導者として
4.カン先生が考える「パーソナリティ」とは?
5.韓国のピアニスト、ピアノ教育
1.今回のファイナリスト3名とのかかわり
今回の浜松国際ピアノコンクールでの生徒さんたちのご成功、本当におめでとうございます。まずは、先生と3人の生徒さんとのかかわりや生徒さんたちのキャラクターをご紹介いただけますか。
K:ありがとうございます。私も驚きましたよ(笑)。知らせを受けて、これは私も来日しないわけには行かないということで、急遽全ての予定をキャンセルし、荷物を詰めて飛んできました!彼らの成功をとても嬉しく思っています。
まず、ANN Soo-Jung(アン・スジョン)ですが、彼女は小学校5年生のときから大学卒業まで8年間を私とともに勉強し、今は、アイルランドでジョン・オコーナー先生に学んで2年になります。
スジョンは、当初から、プロフェッショナルな意識を持って勉強していましたね。一音一音を確実に練習していくような子でした。賢く、そして自然で清潔感のあるピアニストで、私の大好きな生徒のひとりです。
ただ、音楽に没入できないところのある子でした。自分の感情を100%音楽にこめていくということを恐れているといいますか、ピアノや音楽と一体になることより、ピアノをコントロールしようとするところがありました。けれど、アイルランドへ渡って、彼女は素晴らしい成長を遂げ、今や音楽と本当に一体となるような演奏をするようになりました。その点について、オコーナー先生に私は感謝してもしきれません。本当の音楽性というものを教えてくれました。
ホ・ジェウォンさんについてはどうですか?
K:HUH Jae-Weon(ホ・ジェウォン)は、高校1年からですから、6-7年一緒に勉強しています。他の子より私のもとに来るのが遅く、ある意味では遅すぎたほどで、芸術を教える以前にすべきこと、例えばレガート、ペダル、呼吸、構造を把握する視点、カンタービレで歌うことなど、勉強すべきことがたくさんありました。幸い、テクニック的な面で、粗くはありましたが素晴らしいものを持っていました。
ジェウォンとのレッスン、特に最初の半年のレッスンは、私にとって忘れられないものです。彼は本当に涙ぐましい努力をし、また、素晴らしい知性を発揮し、一回一回のレッスンでは、まるで奇跡を見るかのような進歩を見せました。2007年に上海国際コンクールで1位を取るなど、良いピアニストに成長してきました。
ジェウォンの強みは、第一にテクニックですね。どんなに難しい作品でも、数日でマスターし、一音もはずさずに弾きこなすほどのテクニックは、うらやましいほどです(笑)。弱いところは、精神の弱さでしょうか。今でも、弾き急いで崩壊したり、本番で心がうまくコントロールできなかったりします。彼は、今回、他の2人よりも年上ですから、かえってそれがプレッシャーになっているようですね。年齢が行くということは、多くのことに気が回るようになるということですから。若いほうが無邪気です(笑)。
キム・ヒョンジョンさんについては?
K:KIM Hyung-Jung(キム・ヒョンジョン)は、小学校5年生、12歳の頃から私のもとに来ていますから、6年くらいになるでしょうか。ヒョンジョンは、私の指導歴の中で、唯一、「あなたを教えたい」と私のほうから伝えた生徒です。他の生徒は、程度の差はあれ、生徒たちや親御さんが連絡してきたり、紹介されたり、大学に入ってきたりして知り合いましたが、ヒョンジョンの場合、「私に彼女を教えさせていただけませんか」とご両親に連絡をしたのです。初めてあるオーディションで聴いたとき、彼女の信じられないほどの可能性に圧倒されました。
ヒョンジョンは、ステージにおいて、独特の存在感を見せます。ステージでは、彼女は一回りも二回りも大きく見え、すさまじい集中力で、聴衆を支配するかのようです。舞台上では常に自信に満ちています。これは稀有な才能です。それでいて、舞台を降りると、彼女はかわいらしくて謙虚な性格の持ち主です。
本当に、3人とも、そして他の生徒たちも、1人ひとりがまったく異なる才能の持ち主ですね。
2.カン先生を導いた3人の指導者
カン先生ご自身は、どのような先生に教えを受けてこられたのですか?
「大きな構成・枠組みを教えてくれたチュン先生」
K:私自身、3人の素晴らしい先生に、理想的な順序で指導を受けてくることができました。韓国では、私はCHUNG Jin-Woo先生に教えを受けました。彼は韓国ピアノ界の「ゴッドファーザー」のような存在です(笑)。
彼のレッスンは変わっていて、彼は、私が演奏するのに合わせて歌ったり演奏したりするだけなのです。むしろ私が彼の歌に合わせて演奏した、というほうが正しいともいえます。「ここのスタッカートはこう、ここの弾き方はこう」といったテクニカルなことの詳細は、いっさい仰いません。とにかく、一緒に演奏するだけなのです。とても変わった指導だと今でも思います。
私は最初のうち、彼の歌を注意深く聴き、そしてそれをなぞるということに集中しました。数年のうちにいつのまにか、音楽の大きな構成・枠組みを感じ取ることができるようになり、自分自身のやり方で音楽を作ることができるようになっていました。
「芸術的な想像力の素晴らしさを教えてくれたマクレイ先生」
K:その後、私はサンフランシスコ音楽院に留学し、Mack McCray先生に出会います。もちろん彼は素晴らしいピアニストでもあったんですが、あらゆる芸術、特に絵画と詩に精通し、ご自身も素晴らしい絵を描き、詩を書いていらっしゃいました。
ここでも私は、テクニカルな指導なまったく受けませんでした(笑)。彼は、私の楽譜の隅に、ちょっとした絵を描いてくれるのです。それは時には印象派的なイメージであり、時には愛らしいイラストであり、どれもその音楽に対する想像力をかき立てるような見事な絵でした。
また、サンフランシスコはご存知のように美しい街ですが、晴れた日には「散歩に行こう」と仰って、私を外へ連れ出し、丘の上から風景や街並みを見て、「あのちょっとピンクがかった雲を見てごらんよ。あれはまさにドビュッシーだ」と空想にふけっていました。彼の想像力は素晴らしいもので、彼は私に、ピアノ演奏とは、単に鍵盤を押していることではなく、他の芸術と密接につながっている行為なのだということを教えてくれ、また、私の心を開いてくださいました。
「鍵盤とのコンタクトを教えてくれたマック先生」
K:ピーボディ音楽院に進んで師事したのが、Ellen Mack先生です。初めて彼女に聞いてもらったときの一言は忘れられない衝撃的なものでした。「あなたは素晴らしい音楽家ね。でも、あなたは素晴らしいピアニストではない」そう言われたのです。
彼女が言うには、私は曲の構成を理解し、想像力豊かに音を奏でていましたが、頭の中にある音を、実際にピアノから引き出すことができていないというのです。確かに、メカニック的に不自由はしていませんでしたが、私のフォルテは時に割れ、ピアニッシモは時に不揃いなもので、演奏は安定していませんでした。彼女は、私に、「どのように体を使って鍵盤とコンタクトするのか」を一つ一つ丁寧に教えてくれました。イスの座り方、腕のポジション、手首の使い方、脱力の仕方、あらゆる筋肉の使い方...これらを矯正して、鍵盤へのコンタクトの仕方を教え、それを私のイマジネーションと結びつける方法を教えてくださいました。ようやく私は自分が思い描く音が出せるようになっていったのです。
3人の先生方は、それぞれ、構成力・想像力・体の使い方、という、私が持っていなかった重要な3つの要素を教えてくださいました。素晴らしい環境に学んだことに感謝しています。
3.若いピアニストを導く指導者として
今では、カン先生自身が、素晴らしい若い才能を導く指導者として、偉大な業績を残していらっしゃいますが、彼ら・彼女たちを「指導する」ということについて、どんなことに注意していらっしゃいますか。
「想像力を刺激するのが指導」
K:まず、「教える」ということは、非常に大きな危険が伴う行為であるということを、私たち若者の指導者の立場にある者がいつでも肝に銘じておかなければならないと思います。「ここはクレシェンド、ここのアクセントを忘れてる、ペダルはここからここまで...」こういった事柄を教えて真似させるのは容易ですが、果たしてそれが指導でしょうか。
例えばここにリンゴがあるとします。私が生徒に、「これはリンゴという果実の一種で、少し酸っぱくて、けれど甘くて...」というようなことを説明したとします。そこで生徒が、「ふーん、これはリンゴといって、酸っぱさと甘さがあって...」と復唱するだけであったら、私は指導者としての役割を果たしていないといえます。指導者としては、「そうか、これはリンゴという果実なのか」という反応を引き出し、そして「味わってみたいなぁ」と彼らの口の中に思わず唾液がたまるような想像力を刺激するような伝え方でなければなりません。「反応、リアクション」というのが、指導では常に最も重要です。
「指導者に求められるのは、反応を観察する力」
K:さらに言うならば、指導者に第一に求められるのは、この「反応・リアクション」を観察する力だと思います。
例えば、私が演奏を聴いて「ちょっとうるさいな。もっとソフトに」という要求をしたとします。この一言で、生徒がどのような方向に反応を示すか、常に注意深く観察し、彼・彼女がどのような性質・性格を持っているかを考えるのです。次の要求では、想像力豊かな子には、抽象的なイメージやストーリーを伝えてあげたほうが、より良い音が出るようになるかもしれません。シャイで反応が小さい子には、少し誇張した表現で伝えますし、逆にすぐに反応しすぎてしまう子には慎重に「ちょっとだけソフトにしてごらん」と伝えれば、それ以上言わなくても十分に反応してくれるでしょう。
ポイントは、生徒の感じ方・考え方を理解しようと努力する、ということだと思います。人間は一人ひとり異なり、感じ方の程度は違って当然ですから、生徒の感じ方・反応にこちらが合わせていくことが大切ではないでしょうか。
「コミュニケーションこそが、演奏の目的」
K:もう一つ、私がとても大切にしているのは、演奏は「コミュニケーション」だということです。もし聴いてくださる方がいなければ、我々演奏家というのは無意味な存在です。聴衆がいるのに、ステージ上で「お客は関係ない。これが自分の音楽だ」という演奏をするとしたら、それは単なる自己満足であって、「演奏」ではありません。演奏家は、聴衆と結びついてこそ、はじめて価値を持ってきます。
例えば演劇、日本ではカブキもありますね、そういった劇を思い浮かべてみましょう。演劇の役者の場合、たとえ2人の役者で小さな声で話している場面でも、その会話が観客に届かなければ何の意味ももちません。役者たちは、客席に向けてもアンテナを立て、その反応を機敏に感じ取っているはずです。演奏も、同様に聴衆に向けてのアンテナを敏感にしておかなければなりません。その意味で、先に申しましたキム・ヒョンジョンの才能というのは特別なのです。
「クラシック音楽におけるオリジナリティ」
K:コミュニケーションにおいて、一つ注意しておかなければならないのは、何が演奏者のオリジナリティ・個性なのか、ということでしょう。好き勝手に弾いて、それが「オリジナリティ」だと勘違いしている演奏者もおりますが、私は、それはクラシック音楽における本来のオリジナリティではないと思います。クラシック音楽は、スタイルや構造といったある種の「制約」の中で「オリジナリティ」「個性」「自分の言葉で表現する」といったことを実現する、いわば「制約の中での自由」こそが魅力となる芸術であり、その「制約の中での自由」の美しさによって、聴き手とコミュニケートしている芸術であると理解しています。
4.カン先生が考える「パーソナリティ」とは?
今回、審査員の先生方に「審査員は何を考え、何を聴くか」というインタビューをしてきました。表現の仕方は多少異なりましたが、先生方は一様に「パーソナリティ」ということに触れていらっしゃいました。カン先生は、アーティストの「パーソナリティ」について、どのようなお考えをお持ちでしょうか。
「演奏者独自の【第六感】=パーソナリティ」
K:それは非常に興味深いインタビューですね。抽象的で難しい質問です。
そうですね、芸術家・アーティストにとっての「パーソナリティ」とは、言い換えれば、「何か対象を見るときの、もう一つの感覚」とでも申しましょうか。ご存知のように、人間には五感(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚)があるとされていますが、それ以外に対象を感じ取る、第六の感覚、その人独自のフィルター、それがパーソナリティではないかと思います。
例えばここに花がありますが、赤い、良い匂いがする、少し葉っぱがざらざらする、枯れている、といったことは多くの人が共通に感じることですが、それを絵に書き起こすとき、それをその人独自のフィルターを通じて変換し、ある人は印象派的に表現するかもしれないし、ある人はとても具体的な線や色を使って表現するかもしれません。アウトプットの際、その人独自のフィルターを通すときに、パーソナリティが発揮されるように思います。演奏においては、それは聴衆とコミュニケーションを図るときに現れるといえるでしょうね。
このパーソナリティを磨くには、よく言われるように、本を読み、演劇や映画を見、他の文化や芸術を理解し...、とにかく人生の喜びと苦難を味わって、「より良い人間」になろうと努力するということになってくるのだと思います。
5.韓国のピアニスト、ピアノ教育
話は180度変わりますが、今回の浜コンの大きな話題は、ファイナリスト6名のうち4名が韓国のピアニストだということです。カン先生は、韓国のピアニスト・音楽家に共通する性質をどうお感じになりますか? また、韓国国立芸術大学の教育の特徴を教えてください。
K:韓国のピアニスト、音楽家は、情熱的で感情の起伏が特に激しい、とは言えるでしょうね。また、韓国の人々は、民族的に、歌うことが本当に好きですし、音楽を特に好む国民の一つといえるでしょう。そして、「競争が好き」という一面はありますね(笑)。つい勝負に熱くなりすぎるところがあります。
私の学校の良い特徴を一つ挙げるとすれば、長い時間の計画を立てて生徒を見ることができるということがあると思います。韓国国立芸術大学には、「予備科 preparatory division」があり、非常に若い生徒でも、才能が認められればこの予備科に入学することができます。
ピアノ科でも、尊敬する同僚のキム・デジン教授、イム・チョンピル教授と私の3名の教授が、予備科から大学・大学院に至るまで、非常に有能な生徒を数年単位の長いスパンで教育できるシステムになっています。もちろん、「パートタイム」と呼ばれるアシスタントの先生方はいらっしゃいますが、非常に優秀な生徒の場合、私たち教授陣が直接に担当することが多く、国際コンクールの審査などの長期の不在の際にアシスタントにフォローをしていただいたりしています。
この仕組みにより、数年単位で「この時期には演奏の機会を用意してあげよう」「この時期にはこの種類のコンクールを受けさせよう」と考えることができます。特に、私はコンピュータで記録をつけておくのが好きで(覚えきれないから、というのが正直なところですが(笑))すべての生徒について、年齢・レパートリー・全レッスンの記録をつけて、iPodに入れて持ち歩いています。「○月○日、リストのバラード2番、主にフレージングの注意」とかね。それを常に見ながら、次に何をしていくべきか、長いスパンで考えるようにしています。
私たちにとって、生徒一人ひとりが特別の存在ですし、教師は、生徒の将来・未来を託されているという大きな責任を負っています。その責任感をいつも感じながら、指導を行っています。
指導者は、生徒を舟に乗せて灯台に向かって自らがボートを漕ぐのではなく、生徒がボートを漕ぐのを、方向を間違えないように見守ってあげるしかありません。そして、生徒がもはや一人で立つことができるようになり成功を収めたならば、教師はその栄光の影になるべきなのです。
たくさんの貴重なお話をありがとうございました。
ピティナ編集部
【GoogleAdsense】