2009浜コンレポート

浜コン:「審査員は何を考え、何を聴くか」インタビュー(6)ピオトル・パレチニ先生

2009/11/20
いよいよコンクールも終盤戦。今日の浜松は本選2日目の演奏者たちのリハーサルと審査員によるセミファイナリストへのマスタークラスが引き続き行われています。明日からはいよいよファイナル開幕です。
リハーサル2日目

「審査員は何を考え、何を聴くか」インタビュー、最終回として、今もっとも多くの国際コンクールを審査しているポーランドのピオトル・パレチニ先生にご登場いただきます。パレチニ先生は、今年から来年だけ取っても、浜松・高松・仙台と、日本の主要な国際コンクールに全て招聘されるほか、ショパン国際ピアノコンクールの審査にも加わっていらっしゃいます。ピティナでも、2007年の第3回福田靖子賞選考会の教授としてお招きしました。

大活躍のパレチニ先生は、コンクールの場で、何を聴き、何を考えるのでしょうか。


審査期間中の貴重なお時間をありがとうございます。まず、先生方に同じ質問を投げかけているのですが、コンクールの場で、未知のピアニストたちに初めて出会うとき、先生はどのような点を特に聴いていらっしゃるのでしょうか。

P:まず、ここでは、技術的な能力というのはちょっと置いておくことにしましょう。それは、国際コンクールに出るという場合には、基本的な背景とでも言うべき要素だからです。

パレチニ1やはり、重要なのは、私の心、私の感情に働きかけてくる芸術的な(芸術家としての)パーソナリティです。それを持った才能を、私は探して聴いております。国際コンクールの審査に参りますと、多くの才能あるピアニストに出会うわけですが、時折、彼らの中には、まるでコンピューターのスキャナーのように音楽を捉えていくコンテスタントがいます。正しい音、正しいフレージング、正しい作曲家の意図、すべて「正しい」状態で、楽譜はきちんと再生されています。けれど、その演奏が、「音楽の深さ」に触れてこない、あるいは私たち聴き手の感情や心に触れてこない、という場合があるのです。

ちょっと音楽を、演劇の場合と比較してみましょう。演劇のケースでも、素晴らしい役者は、ほんの少しのセリフ、時にたった一言で、たとえばシェークスピアの「To be, or not to be」のような短い一言であっても、観衆の心に触れることができます。同様に、音楽でも何か聴衆の心に触れなければならないのです。ただし、演劇においては、役者は「言葉」という手段を用いて直接に観衆に語りかけることができますが、その点、音楽では「音符」というを一つ一つの単語のようにして、そしてそれをつなげて「フレーズ(文章)を作る」ということで、聴衆に語り掛けなければなりません。ポイントは、ただ単に鍵盤を押す、という作業ではなく、何らかの伝達であるかどうか、です。そこが最も重要な要素、つまり「芸術家としてのパーソナリティ」ということになります。

「パーソナリティ」を持った芸術家は、ほんの少しの言葉で、ほんの少しの音で、見聞きしている方を感動させ、時に怖がらせ、時に喜ばせることができますし、それを持った若いピアニストは、良い教育によって、素晴らしい芸術家に育っていくことができるでしょう。もし、音符を弾いているだけのコンテスタントがいたら、それは「良い生徒」ではありえても、「良いアーティスト」にはなりません。


なるほど。このインタビューでどの先生に伺っても、「パーソナリティ」というのが一つのキーワードであるようです。パレチニ先生の考える「パーソナリティ」とは何か、そしてそれは教育あるいは指導者の役割とどのように関連しているか、さらに詳しくご説明いただけますでしょうか。


パレチニ2P:1つ説明を付け加えるとすれば、芸術的なパーソナリティを持った音楽家・ピアニストは、作曲家のパーソナリティとは決して争わない、戦わないものなのだ、ということでしょうか。

もちろん、まず第一に作曲家の書いたテクストに従うべきですし、ある意味でスキャナーのように作曲家の意図を再現していくことは必要です。けれど、時に我々アーティストは、作曲家が楽譜に書いたのとは異なるように表現してしまうことで、「パーソナリティ」を発揮してしまう場合もあります。これは避けられないことです。ただし、芸術家としてのパーソナリティを持った人というのは、作曲家のパーソナリティを超えて、あるいは楽譜が演奏者に許している範囲を超えて、自分を表現してしまうということは決してしません。

さらに教育との関連性を申し上げますと、私が働いているワルシャワのアカデミーにも、それこそ何百人という多くの学生がおりますが、アーティストになっていくパーソナリティを持っている、つまり時に「才能がある」と言葉で言われる生徒、というのはほんのわずかであり、残りの多くの学生は、残念ながら程度の差はあれ「良い生徒」でしかありません。そして、特に優れた才能のある子というのは、たった数年で、他の学生が何年もかかって習得することが十代のうちからできてしまうものなのです。それこそ、神から与えられたとでも言うべきものでしょう。これは、教えられる要素ではないのです。

また、パーソナリティを持った生徒というのは、レッスンの際、我々教師に対して、「従う」のではなく、「提案」をしてきます。そこには、ただ良い先生の音楽をコピーしようというのではなく、彼ら・彼女たち自身の想像力が働き、時に先生とはまったく異なるように演奏してしまうのです。そのような生徒を、むしろ私は心から尊敬しますし、それこそ、私にとって、先生と生徒が「パートナー」である理想的な関係といえるでしょう。先生が弾くのをじっと待っていて、先生が弾いてくれたらそれを同じように弾く、ということを私は好みません。私は音楽家であり、「音楽」に本当に興味がありますから、私の演奏とは異なって当然ですし、異なることがむしろ音楽的に面白いし価値がある行為だと思うわけです。一人ひとりが異なる人間、異なるパーソナリティ、異なる才能なんですから、同じように弾こう・弾くべきと考えるほうがおかしいのです。私たち教師は、そこに良いスタイルの理解、良い時代背景の理解があるかどうかを確認し、パーソナリティのある生徒たちが正しい道を進んでいるかを見守ってあげる、というのが役割になるでしょう。

もちろん、パーソナリティの確立、才能の開花ということに関して、生徒たちの育ってきた環境、家族や近隣社会の雰囲気、音楽や他の芸術が常に周りにあったのか、などは深く関わってくるでしょう。人間誰しも、それが開花するかどうか、いつ花開くのかは別にして、何らかの分野の才能を持っているものです。それが一晩で開く花なのか、数年かかって開く花なのか、皆それぞれに異なっているところが、それぞれの人生を面白くしている秘密なのでしょう。


限られたお時間の中で、貴重なお話をありがとうございました。

浜コン審査員として招聘された世界の第一線の先生方のお話は、どれも魅力に富み、引き込まれるようなものばかりでした。

明日は、「審査員は何を考え、何を聴くか」の特別編として、今回のファイナリスト6名のうち、実に3名を指導した韓国国立芸術大学のカン・チュンモ教授の特別インタビューをお送りする予定です。ピティナでも、2008年に「Jr.G級のためのマスタークラス」にお呼びし、若いピアニストたちに大きな影響を与えました。どうぞお楽しみに!



ピティナ編集部
【GoogleAdsense】
ホーム > 2009浜コンレポート > 審査員インタビュー> 浜コン:「審査員は何...