浜コン:「審査員は何を考え、何を聴くか」インタビュー(5)シュ・ツォン先生
2009/11/19
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浜松の会場は今日19日、コンクールの緊張感から一時的に解放され、審査員によるセミファイナリストへのマスタークラスが行われました。また、大ホールでは、ファイナリストとオーケストラとのリハーサルがスタートしました。
審査員は何を考え、何を聴くか。インタビューの第5回はシュ・ツォン先生です。シュ先生は、第1回浜松国際ピアノコンクールの第3位に入賞し、国際的な活躍をスタートした方で、現在は、上海を中心に、指揮活動・ピアニストとしての活動・文化活動を大変精力的にこなしていらっしゃいます。また、若い頃は、ドミニク・メルレ先生の下で研鑽を積み、今回は、浜松に師弟で審査にいらしている、ということも特筆すべきでしょう。
今もっとも勢いのある中国のクラシック音楽業界。その最先端にいるシュ・ツォン先生は何を考え、何を聴くのか。3次予選中の貴重なお時間をいただいて、伺いました。
審査期間中の貴重なお時間をありがとうございます。まず、先生方に同じ質問を投げかけているのですが、コンクールの場で、未知のピアニストたちに初めて出会うとき、先生はどのような点を特に聴いていらっしゃるのでしょうか。
X:私の活動は、教授活動ではなく、たまにマスタークラスなどはいたしますが、どこかの音楽院・音楽大学で教鞭を取っておりませんので、指揮者60%、ピアニスト40%の演奏活動の視点から、審査をさせていただいております。
私たちは、ここ浜松に6名の本物の才能を見つけに参りました。私自身も、浜松の第1回コンクールで入賞させていただき、それがキャリアの出発地点となりました。私と同じように、浜松のステージからスタートしていく、そして素晴らしいピアニストになるべくキャリアを積んでいく、そのような6名を選出するのが、私たち審査員一同の明確な目的です。そこにはこの一時のスポットライト、というだけでない視点も含まれています。
この点を確認したうえで、それをこのご質問の目的に当てはめてみましょう。審査にあたって、「本物の才能」を見つけるにあたっては、私は次の3つのポイントを重視しております。
第一に、「スタイル」です。
1次予選では85名の方が、バッハの平均律を弾かれました。そこで皆様がご覧になったのは、各コンテスタントが、いかに違う方法・解釈でバッハを弾くかということであり、彼ら・彼女たちの演奏の後ろにどのような背景があるのか、であったと思います。そしてさらに、古典のソナタの1楽章という、これも非常に難しい課題があったわけです。さらに残りの時間で自由曲が選択できました。非常に短い時間の間で、これらの課題を、説得力をもって演奏することにより、コンテスタントは、自分が成長していく可能性を見せなければならなかったわけです。この課題により、我々は「スタイル」に対する理解を明確に見ることができたと思います。
「スタイル」というのは一つではありません。クラシック、ロマン(ロマン派においても、シューマン、ショパン、ブラームス、リスト、いくつかのロシアの音楽...それぞれのスタイルは少し異なりますね)、近現代の作品...各時代、各作曲家には、それぞれのスタイルや表現手法があり、そして良いスタイル表現には、それに応じたテクニックが必要です。審査においては、コンテスタントが、正しいスタイルを身に付けているかを重視します。
第二に、「どのように音を生み出すか」つまり、タッチとサウンドの観点ということができます。異なる作品を同じタッチで演奏することを私は良いと思いませんし、異なるタッチを使い分けなければ、ピアノから各作品に応じた音を作り出すことはできません。
第三に、「パーソナリティ(個性、その人なりの持ち味)」の大きさです。コンクールの演奏においては、技術が発展途上だったり、暗譜が飛んでしまったり、トラブルが多く露呈してしまったり、といったことはあるでしょうが、それは私にとってさして重要ではありません。「パーソナリティ」こそが、そしてそれを聴き手である私が楽しむことができたかどうかが、もっとも重要です。
この3つの観点で評価されるコンテスタントは、才能があり、そして偉大なピアニスト、偉大な音楽家へのキャリアの出発点に立つことができる、と申し上げられるでしょう。
「パーソナリティ」ということについて、さらに詳しくお聞かせいただけますか。それはどういうものであり、音楽教育とはどのように関連していくものでしょうか。
X:指導の観点から申し上げましょう。まず「パーソナリティ」とは、その人が持っているか持っていないか、という性質のもの、YesかNoかというものです。演奏を5分も聴きますと、その人がパーソナリティを持っているか持っていないか、ということは分かります。
次に、音楽家としてのパーソナリティを持っている生徒がいるとして、そのパーソナリティを、(広い意味での)「音楽の歴史(音楽史)」の中に融合させていく、あるいは両者の折り合いを付けていくために、指導者が必要なのです。パーソナリティと音楽史との結合です。
ここでいう「音楽史」とは、音楽をとりまく環境全てです。バロックは、例えばルネサンス後に対応しています。ルネサンスとバロック音楽との関係性というのは特別なものがあります。そして、バッハから始まりハイドンやベートーヴェンへとつながる流れは、大きな意味を持っているのです。音楽そのものの勉強で止まっていることは、十分ではありません。
例えば、ベートーヴェンの場合には、もちろんロマン・ロランのように後世において多くのことを書き残した作家もおりますが、近い時代の、「ドイツ思想」を形成していく過程という意味では、何と言ってもシラーとニーチェいう2人の大作家・大哲学者のことを考えざるをえません。「ドイツ音楽とは何か」ということを考えるとき、シラーの精神やニーチェの思想など、ドイツの思想、ドイツの文学の流れを無視することはできないのです。美術、文学、建築、社会問題、あらゆる書物をひもとき、これを理解する必要があります。
ほんの一例ですが、これが「音楽史」のストーリーというものです。このストーリーを、個々のパーソナリティと融合させていくことこそ、音楽文化における「指導者」の役割です。
なるほど、指導者の役割にそのような理解があるのですね。最後に、今回の浜松のここまでの印象を簡単にお聞かせください。
X:レベルは特筆すべき高さだと思います。浜松は、間違いなく世界で最も重要なコンクールの一つであり、アジアで最高のピアノコンクールと断言いたします。
貴重なお時間をありがとうございました。
きわめて限られた時間の中で、こちらの質問の意図をすばやく汲み取り、そしてそれを明解に説明してくださったシュ・ツォン先生。まさに、指揮者やプロジェクトマネージャーとしても活躍している優秀さを感じさせるインタビューとなりましたが、その根底には、きわめてオーソドックスで伝統を重んじる謙虚な姿勢が感じられ、まさにこの方が中国の音楽界を牽引しているのだ、ということが実感できました。
審査員は何を考え、何を聴くか。コンクール期間も残り少なくなってきましたが、次回は、今もっとも国際コンクールをよく審査し、よく知る、ピオトル・パレチニ先生(ポーランド)に伺います。
審査員は何を考え、何を聴くか。インタビューの第5回はシュ・ツォン先生です。シュ先生は、第1回浜松国際ピアノコンクールの第3位に入賞し、国際的な活躍をスタートした方で、現在は、上海を中心に、指揮活動・ピアニストとしての活動・文化活動を大変精力的にこなしていらっしゃいます。また、若い頃は、ドミニク・メルレ先生の下で研鑽を積み、今回は、浜松に師弟で審査にいらしている、ということも特筆すべきでしょう。
今もっとも勢いのある中国のクラシック音楽業界。その最先端にいるシュ・ツォン先生は何を考え、何を聴くのか。3次予選中の貴重なお時間をいただいて、伺いました。
審査期間中の貴重なお時間をありがとうございます。まず、先生方に同じ質問を投げかけているのですが、コンクールの場で、未知のピアニストたちに初めて出会うとき、先生はどのような点を特に聴いていらっしゃるのでしょうか。
X:私の活動は、教授活動ではなく、たまにマスタークラスなどはいたしますが、どこかの音楽院・音楽大学で教鞭を取っておりませんので、指揮者60%、ピアニスト40%の演奏活動の視点から、審査をさせていただいております。
私たちは、ここ浜松に6名の本物の才能を見つけに参りました。私自身も、浜松の第1回コンクールで入賞させていただき、それがキャリアの出発地点となりました。私と同じように、浜松のステージからスタートしていく、そして素晴らしいピアニストになるべくキャリアを積んでいく、そのような6名を選出するのが、私たち審査員一同の明確な目的です。そこにはこの一時のスポットライト、というだけでない視点も含まれています。
この点を確認したうえで、それをこのご質問の目的に当てはめてみましょう。審査にあたって、「本物の才能」を見つけるにあたっては、私は次の3つのポイントを重視しております。
第一に、「スタイル」です。
1次予選では85名の方が、バッハの平均律を弾かれました。そこで皆様がご覧になったのは、各コンテスタントが、いかに違う方法・解釈でバッハを弾くかということであり、彼ら・彼女たちの演奏の後ろにどのような背景があるのか、であったと思います。そしてさらに、古典のソナタの1楽章という、これも非常に難しい課題があったわけです。さらに残りの時間で自由曲が選択できました。非常に短い時間の間で、これらの課題を、説得力をもって演奏することにより、コンテスタントは、自分が成長していく可能性を見せなければならなかったわけです。この課題により、我々は「スタイル」に対する理解を明確に見ることができたと思います。
「スタイル」というのは一つではありません。クラシック、ロマン(ロマン派においても、シューマン、ショパン、ブラームス、リスト、いくつかのロシアの音楽...それぞれのスタイルは少し異なりますね)、近現代の作品...各時代、各作曲家には、それぞれのスタイルや表現手法があり、そして良いスタイル表現には、それに応じたテクニックが必要です。審査においては、コンテスタントが、正しいスタイルを身に付けているかを重視します。
第二に、「どのように音を生み出すか」つまり、タッチとサウンドの観点ということができます。異なる作品を同じタッチで演奏することを私は良いと思いませんし、異なるタッチを使い分けなければ、ピアノから各作品に応じた音を作り出すことはできません。
第三に、「パーソナリティ(個性、その人なりの持ち味)」の大きさです。コンクールの演奏においては、技術が発展途上だったり、暗譜が飛んでしまったり、トラブルが多く露呈してしまったり、といったことはあるでしょうが、それは私にとってさして重要ではありません。「パーソナリティ」こそが、そしてそれを聴き手である私が楽しむことができたかどうかが、もっとも重要です。
この3つの観点で評価されるコンテスタントは、才能があり、そして偉大なピアニスト、偉大な音楽家へのキャリアの出発点に立つことができる、と申し上げられるでしょう。
「パーソナリティ」ということについて、さらに詳しくお聞かせいただけますか。それはどういうものであり、音楽教育とはどのように関連していくものでしょうか。
X:指導の観点から申し上げましょう。まず「パーソナリティ」とは、その人が持っているか持っていないか、という性質のもの、YesかNoかというものです。演奏を5分も聴きますと、その人がパーソナリティを持っているか持っていないか、ということは分かります。
次に、音楽家としてのパーソナリティを持っている生徒がいるとして、そのパーソナリティを、(広い意味での)「音楽の歴史(音楽史)」の中に融合させていく、あるいは両者の折り合いを付けていくために、指導者が必要なのです。パーソナリティと音楽史との結合です。
ここでいう「音楽史」とは、音楽をとりまく環境全てです。バロックは、例えばルネサンス後に対応しています。ルネサンスとバロック音楽との関係性というのは特別なものがあります。そして、バッハから始まりハイドンやベートーヴェンへとつながる流れは、大きな意味を持っているのです。音楽そのものの勉強で止まっていることは、十分ではありません。
例えば、ベートーヴェンの場合には、もちろんロマン・ロランのように後世において多くのことを書き残した作家もおりますが、近い時代の、「ドイツ思想」を形成していく過程という意味では、何と言ってもシラーとニーチェいう2人の大作家・大哲学者のことを考えざるをえません。「ドイツ音楽とは何か」ということを考えるとき、シラーの精神やニーチェの思想など、ドイツの思想、ドイツの文学の流れを無視することはできないのです。美術、文学、建築、社会問題、あらゆる書物をひもとき、これを理解する必要があります。
ほんの一例ですが、これが「音楽史」のストーリーというものです。このストーリーを、個々のパーソナリティと融合させていくことこそ、音楽文化における「指導者」の役割です。
なるほど、指導者の役割にそのような理解があるのですね。最後に、今回の浜松のここまでの印象を簡単にお聞かせください。
X:レベルは特筆すべき高さだと思います。浜松は、間違いなく世界で最も重要なコンクールの一つであり、アジアで最高のピアノコンクールと断言いたします。
貴重なお時間をありがとうございました。
きわめて限られた時間の中で、こちらの質問の意図をすばやく汲み取り、そしてそれを明解に説明してくださったシュ・ツォン先生。まさに、指揮者やプロジェクトマネージャーとしても活躍している優秀さを感じさせるインタビューとなりましたが、その根底には、きわめてオーソドックスで伝統を重んじる謙虚な姿勢が感じられ、まさにこの方が中国の音楽界を牽引しているのだ、ということが実感できました。
審査員は何を考え、何を聴くか。コンクール期間も残り少なくなってきましたが、次回は、今もっとも国際コンクールをよく審査し、よく知る、ピオトル・パレチニ先生(ポーランド)に伺います。
ピティナ編集部
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