浜コン:「審査員は何を考え、何を聴くか」インタビュー(2)ドミニク・メルレ先生
2009/11/14
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「審査員は何を考え、何を聴くか」、第2回は、フランスのドミニク・メルレ先生です。
メルレ先生は、かつて、ポリーニを上まわり、アルゲリッチと並んでジュネーブ国際コンクールで優勝したこともある名ピアニストでありながら、教育にも長年情熱を傾け、パリ国立高等音楽院とジュネーブ音楽院で多くの才能を育成してきました。ピティナでも、2007年の第3回福田靖子賞選考会の教授・審査員として招聘しています。
演奏と指導を両立させ、今もなお新録音を続々と世に送り出す旺盛な演奏活動の先端にいるメルレ先生に、「何を聴くか」、伺いました。
審査期間中の貴重なお時間をありがとうございます。まず、先生方に同じ質問を投げかけているのですが、コンクールの場で、未知のピアニストたちに初めて出会うとき、先生はどのような点を特に聴いていらっしゃるのでしょうか。
M:私は、コンクールの場で、「強いパーソナリティ」を求めて聴いています。今や技術的に卓越したピアニスト、テクニックの優れたピアニストはいくらでもいる時代です。今は、それ以上の何かが求められていると思います。それは、具体的には、文化的背景から生じるアイデア、つまり絵画、文学、オペラ・オーケストラ・室内楽などの他の分野の音楽などからインスピレーションを受け、創造的な思考を働かせているか、ということだと思います。ピアニストは、非常に多くの場合、「ピアノという楽器を上手に弾く」ことばかりを考えてしまうのですが、それだけでは不十分です。
私にとってピアノの面白いところは、あらゆる楽器の要素を見出すことができるところです。パーカッションのような音、フルート、オーボエ、チェロ、人間の声...多くの楽器の音をピアノから引き出そうとすることで、ピアノというのはとても興味深い楽器になるのです。少なくとも私にとっては、そこがピアノの魅力です。
ですから、私は自分の生徒たちに、「ピアノの音」以上の多くの種類の音を出すように求めます。そのために繰り返し言っているのは、ピアノ以外の音楽を、たくさんたくさんたくさんたくさん聴きなさい、ということです。例えば、私の家にある録音(CDやLP)の大半は、ピアノ以外の分野のものです。もちろん、非常に重要で偉大なピアニストたちの録音は多少揃えていますけれど、それほど多くはありません。それ以上に、圧倒的にピアノ以外のオーケストラやオペラや歌やオルガンなどが多いのです。
それは非常に重要なお話ですね。さて、もし生徒さんがコンクールを受けると言ってきたとき、先生はどのようなアドバイスをし、指導をなさっているでしょうか。
M:ご存知のように、今は、ジュネーブもパリも引退いたしましたので、それほど多くの生徒を持っていませんけれども...。
私は今までに、生徒に「このコンクールを受けなさい」と私から言い出したことは一度もありません。もちろん、生徒がコンクールを受けることを許しますし、そのための助力は惜しみませんが、こちらから強制したことはありません。コンクールというのは、私の指導の目標(ゴール)ではありえませんから、むしろ、先ほど申しましたような多くの表現手法を身に付けることのほうを優先します。ただ、生徒がコンクールに参加したいと言った場合には、特にプログラム(選曲)に対するアドバイスは非常に重視しており、積極的に行います。
ここ浜松で私が改めて非常に驚いたことは、コンテスタントたちが、あまりにも似通ったプログラムであることです。バッハには48曲の平均律があり(注:3声以上のフーガとの注釈はある)、古典ソナタやエチュードにもあらゆる作品があり、どれを選んでもよいのに、どうしてこう似通ってしまうのでしょうか。これは他のコンクールにも言えることです。協奏曲だって、20曲くらいの課題があっても、選ばれるのはいつだってチャイコフスキーの1番、ラフマニノフの2番・3番...です。
プログラミングというのは、非常に小さな要素でがらっと意味合いが変わってしまいます。極端な例で申しますと、面白いことに、同じ曲を選んでいるとしても、それをどう並べるかによって、良いプログラムにも悪いプログラムにもなるのです。ある曲を前半から後半へ持っていった瞬間、効果のないプログラムは、途端に美しいプログラムに生まれ変わります。
私自身、コンサート・プログラムには非常に気を使っています。例えば、私はキャリアの中で、同じコンサートにドビュッシーとラヴェルを並べたことは一度もありません。一度も、です。もちろん、レクチャー企画などで比較して弾くことはありますが、それは例外です。
曲の選択ということで、私が今でも印象深く思い出すのは、私の生徒のセドリック・ペシャがジーナ・バッカウアー国際コンクールで優勝したときの話です。とても面白いケースなのですが。
彼は、1次予選を通過し、2次予選では40分のプログラムという課題でした。周りの参加者たちが、ソナタやらリストの超絶技巧やらを並べて弾く中で、彼は、たった1曲、シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」を弾いたのです。さらに50分の3次予選。参加者たちは、リストやブラームスのソナタを並べています。ここでも彼はなんと1曲だけを演奏したのです。バッハの「ゴルトベルク変奏曲」です。まったく狂気の沙汰としか思えません。ソルトレイクシティ、アメリカの真ん中へ出かけていって、たった1曲、ゴルトベルク変奏曲を弾いてくるなんて!(笑)そうしたら、また通過してしまったんです。
とうとうファイナル。ラフマニノフやチャイコフスキーが並びます。そこで彼が選んだのは、モーツァルトの「ジュノーム」です。それで、1位を取ってしまったのです。まったく私には想像できないことでした!!
これはちょっと極端な例ですが、この場合、彼の音楽性を表現するのに最適な作品を選ぶことができていたのだと、今にして思います。まさに人と同じ曲を選ぶ必要はまったくない、ということを証明している話ではないでしょうか。ちなみに、今、彼はベルリンに住んで、素晴らしい芸術家として活躍しています。
プログラミングに相当の注意を払い、自分のベストを表現することができる選曲をする、そして指導者もそれに対して真剣にアドバイスをする、ということは、コンクールに出る上では非常に重要です。
なるほど。短い時間の中で、貴重な面白いお話をありがとうございました。
生真面目な学者肌を思わせる風貌からは想像もできないほど、次々とユーモアを繰り出し、興味深いお話をたくさんしてくださるメルレ先生。実は、このほかにも面白いお話をたくさん聞かせてくださったのですが、それはまた別の機会に...。
審査・指導経験豊かな先生方が「何を聴き、何を考えるか」、さらに追究していきます。次回は、ジョン・オコーナー先生の予定です。
メルレ先生は、かつて、ポリーニを上まわり、アルゲリッチと並んでジュネーブ国際コンクールで優勝したこともある名ピアニストでありながら、教育にも長年情熱を傾け、パリ国立高等音楽院とジュネーブ音楽院で多くの才能を育成してきました。ピティナでも、2007年の第3回福田靖子賞選考会の教授・審査員として招聘しています。
演奏と指導を両立させ、今もなお新録音を続々と世に送り出す旺盛な演奏活動の先端にいるメルレ先生に、「何を聴くか」、伺いました。
審査期間中の貴重なお時間をありがとうございます。まず、先生方に同じ質問を投げかけているのですが、コンクールの場で、未知のピアニストたちに初めて出会うとき、先生はどのような点を特に聴いていらっしゃるのでしょうか。
M:私は、コンクールの場で、「強いパーソナリティ」を求めて聴いています。今や技術的に卓越したピアニスト、テクニックの優れたピアニストはいくらでもいる時代です。今は、それ以上の何かが求められていると思います。それは、具体的には、文化的背景から生じるアイデア、つまり絵画、文学、オペラ・オーケストラ・室内楽などの他の分野の音楽などからインスピレーションを受け、創造的な思考を働かせているか、ということだと思います。ピアニストは、非常に多くの場合、「ピアノという楽器を上手に弾く」ことばかりを考えてしまうのですが、それだけでは不十分です。
私にとってピアノの面白いところは、あらゆる楽器の要素を見出すことができるところです。パーカッションのような音、フルート、オーボエ、チェロ、人間の声...多くの楽器の音をピアノから引き出そうとすることで、ピアノというのはとても興味深い楽器になるのです。少なくとも私にとっては、そこがピアノの魅力です。
ですから、私は自分の生徒たちに、「ピアノの音」以上の多くの種類の音を出すように求めます。そのために繰り返し言っているのは、ピアノ以外の音楽を、たくさんたくさんたくさんたくさん聴きなさい、ということです。例えば、私の家にある録音(CDやLP)の大半は、ピアノ以外の分野のものです。もちろん、非常に重要で偉大なピアニストたちの録音は多少揃えていますけれど、それほど多くはありません。それ以上に、圧倒的にピアノ以外のオーケストラやオペラや歌やオルガンなどが多いのです。
それは非常に重要なお話ですね。さて、もし生徒さんがコンクールを受けると言ってきたとき、先生はどのようなアドバイスをし、指導をなさっているでしょうか。
M:ご存知のように、今は、ジュネーブもパリも引退いたしましたので、それほど多くの生徒を持っていませんけれども...。
私は今までに、生徒に「このコンクールを受けなさい」と私から言い出したことは一度もありません。もちろん、生徒がコンクールを受けることを許しますし、そのための助力は惜しみませんが、こちらから強制したことはありません。コンクールというのは、私の指導の目標(ゴール)ではありえませんから、むしろ、先ほど申しましたような多くの表現手法を身に付けることのほうを優先します。ただ、生徒がコンクールに参加したいと言った場合には、特にプログラム(選曲)に対するアドバイスは非常に重視しており、積極的に行います。
ここ浜松で私が改めて非常に驚いたことは、コンテスタントたちが、あまりにも似通ったプログラムであることです。バッハには48曲の平均律があり(注:3声以上のフーガとの注釈はある)、古典ソナタやエチュードにもあらゆる作品があり、どれを選んでもよいのに、どうしてこう似通ってしまうのでしょうか。これは他のコンクールにも言えることです。協奏曲だって、20曲くらいの課題があっても、選ばれるのはいつだってチャイコフスキーの1番、ラフマニノフの2番・3番...です。
プログラミングというのは、非常に小さな要素でがらっと意味合いが変わってしまいます。極端な例で申しますと、面白いことに、同じ曲を選んでいるとしても、それをどう並べるかによって、良いプログラムにも悪いプログラムにもなるのです。ある曲を前半から後半へ持っていった瞬間、効果のないプログラムは、途端に美しいプログラムに生まれ変わります。
私自身、コンサート・プログラムには非常に気を使っています。例えば、私はキャリアの中で、同じコンサートにドビュッシーとラヴェルを並べたことは一度もありません。一度も、です。もちろん、レクチャー企画などで比較して弾くことはありますが、それは例外です。
曲の選択ということで、私が今でも印象深く思い出すのは、私の生徒のセドリック・ペシャがジーナ・バッカウアー国際コンクールで優勝したときの話です。とても面白いケースなのですが。
彼は、1次予選を通過し、2次予選では40分のプログラムという課題でした。周りの参加者たちが、ソナタやらリストの超絶技巧やらを並べて弾く中で、彼は、たった1曲、シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」を弾いたのです。さらに50分の3次予選。参加者たちは、リストやブラームスのソナタを並べています。ここでも彼はなんと1曲だけを演奏したのです。バッハの「ゴルトベルク変奏曲」です。まったく狂気の沙汰としか思えません。ソルトレイクシティ、アメリカの真ん中へ出かけていって、たった1曲、ゴルトベルク変奏曲を弾いてくるなんて!(笑)そうしたら、また通過してしまったんです。
とうとうファイナル。ラフマニノフやチャイコフスキーが並びます。そこで彼が選んだのは、モーツァルトの「ジュノーム」です。それで、1位を取ってしまったのです。まったく私には想像できないことでした!!
これはちょっと極端な例ですが、この場合、彼の音楽性を表現するのに最適な作品を選ぶことができていたのだと、今にして思います。まさに人と同じ曲を選ぶ必要はまったくない、ということを証明している話ではないでしょうか。ちなみに、今、彼はベルリンに住んで、素晴らしい芸術家として活躍しています。
プログラミングに相当の注意を払い、自分のベストを表現することができる選曲をする、そして指導者もそれに対して真剣にアドバイスをする、ということは、コンクールに出る上では非常に重要です。
なるほど。短い時間の中で、貴重な面白いお話をありがとうございました。
生真面目な学者肌を思わせる風貌からは想像もできないほど、次々とユーモアを繰り出し、興味深いお話をたくさんしてくださるメルレ先生。実は、このほかにも面白いお話をたくさん聞かせてくださったのですが、それはまた別の機会に...。
審査・指導経験豊かな先生方が「何を聴き、何を考えるか」、さらに追究していきます。次回は、ジョン・オコーナー先生の予定です。
ピティナ編集部
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