ピアノを学ぶということは、「音」という空中に存在しては消えていくものを追求することでもあるため、アバウトなことが多いかもしれません。
「楽譜を正しく読む方法」を学ぶだけでも大変ですが、そこから先が本当のピアノのレッスンでしょう。
そうなるとますます、抽象的なことも多くなります。
そのような中で、初歩の頃からすっと必要なことは、「良い」「悪い」の区別ではないでしょうか?
ただし、「良い」には、永遠にさらに「良い」があるかもしれません。
しかし「悪い」ことは、そのままにしていても「良く」ならないことが多いです。
ピアノを習い始めて、徐々に難しい曲になります。その時取り組む曲としては、少し難しくて「練習すれば弾ける」というレベルのものが妥当でしょう。
それが(うまく)弾けない!
その理由としては指の形がよくない、(余分な)力が入る、指番号が怪しいといったことや、「見る」「考える」「弾く」の回路が出来上がってない、音楽的でない、きれいな音でない、練習がいい加減、、、まだまだ原因が考えられます。
これら「悪い」と思われる要因をはっきり伝えてあげることが親切であり、指導者の役目だと思います。
問題がはっきりして解決したいと思わせることが指導。
指導によって、少しでも「上手になったね!」と言ってあげられることが、嬉しい時です。
問題がはっきりしないと、何をすべきかもわかりません。
ただ、問題を指摘、追求されると気分を害する子が増えていませんか?時には保護者の方も。
最初から上手なら学ぶ必要はありません。「悪い」ことがあり、それが「良く」なるということが幸せなことなのに。
もちろん、「今は完璧に出来ないこと」というのもあり、徐々に上達していくものもあります。
指導者は、はっきりと良くするために「悪い」ことを伝え、本人が自覚することが、大切だと思います。
昔、何を言っても、無視する子がいました。
私の教室に移って来た頃は、聴いたことがないほどの乱暴な音で弾きなぐり、びっくりしました。
レッスン3回目くらいの時「そこをもう一度弾いて」といった時また無視をされ、限界を感じて『注意を聞かないならお帰りください』というと、その子は本当に帰ってしまいました。
何故そんな態度だったかというと「先生は僕のことを全部ダメというから」という報告が後日お母様からありました。
「悪い」ばかりでしたから、仕方ありません。
全否定では、あまりにかわいそうでした。
しかしその時お母様は「納得させましたから、そのまま続けさせてください」というので「そのままでは困ります。同じ態度ではお引き受けできません。私は彼のために全て言っているので、それを試みてくれないと指導になりません。指導を「受け」に来るということでなければ」と。
その後、好きなゲームの曲をバリバリ弾くようになるまでレッスンは続き、そのような態度はなくなりました。
やはり、「悪い」ものは「悪い」と指摘しなければなりませんね。
武蔵野音楽大学ピアノ専攻科卒業。武田宏子氏・吉岡千賀子氏に師事。バスティン・ メッソードの講師として全国各地で講座を行う一方、地元鹿児島ではピアノ指導法研 究会を主宰。生徒育成においては、ジュニア・ジーナ・バックアゥワー国際コンクー ル第2位輩出のほか、長年にわたりピティナ・ピアノコンペティションにて高い指導 実績を全国にアピール。特に1999年度は、ピティナ全国決勝大会のソロ・デュオ・コ ンチェルト部門に計7組の生徒を進出させ、ソロF級で金賞、コンチェルト初級で優 秀賞などを受賞した。導入期から上級レベルの生徒までまんべんなく育て上げる指導 法は、全国のピアノ指導者の注目の的となっている。ピティナ正会員、コンペティシ ョン全国決勝大会審査員。ステーション育成委員会副委員長。
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