「心から表現する」「感じるままを大切に表現する」など、ピアノという楽器を使って曲を演奏する楽しさを書いてきました。
「自分はこう感じた。これを伝えたい」というのが表現の源だと思います。
少しオーバーに、はっきり表現しないと、他人には伝わりにくいということも述べました。
しかし、自分の感じたことを伝えて、人は感動してくれるのでしょうか?
そこにはいわゆる「センス」が必要だと思います。
センスを磨く事がとても大切になります。
たとえば「曲のどの部分もステキだ!」「どの音にも魂をこめて!」と思う気持ちは分かりますが、全ての音を同じ想いで演奏してしまっては、曲のクライマックスに達した時にはエネルギーが尽きてしまっているかもしれません。
作曲者の一番言いたいところをはっきりと把握し、いかに盛り上げていくか?クライマックスの効果を最大限に活かすためには、その前に何をすべきか?そのように考えるセンスも必要です。
ピアノはよくオーケストラに例えられます。音を重ねて出す事が可能で、メロディーも伴奏も一人で演奏できます。違う音量、音質を同時に出すことができますが、それらを組み合わせるセンスがないと、とてもわかりにくい音楽になります。
ハーモニーの中でどの音を一番際立たせるか?そのやり方によって随分響きや美しさが違います。
ポリフォニーの場合、テーマと対旋律のバランスが大事です。常にテーマばかり強くてもどうでしょうか?対旋律も聴かせるところも時には効果的でしょう。バスのラインが太く鳴っていると、とても心に響く事がありますが、バランスを欠いてそこだけが大きく聴こえても、不自然なことがあります。
自分の指をコントロールして、絶妙なバランスを作り出さなくてはなりません。
抽象的で、しかも一瞬で通り過ぎていくのが音楽です。「一瞬のうちにわかる」ように演奏することも必要だと思います。「明るさ」対「暗さ」、「はっきりした音」対「柔らかい音」、「男性的」対「女性的」、「強い音」対「弱い音」などさまざまな対比をつけることは、とてもわかりやすく、伝わりやすい表現です。どんな対比が最もふさわしいか?それを決めるセンスも必要でしょう。
それらのことをすべて考慮しつつ、自分の出している音を聴き取り、調整して演奏していきます。常に自問自答し、反省し、演奏を立て直して次に最良の音を出そうと努力する、という作業をすべての瞬間で行い続けるのが、演奏と言うものでしょう。
その上で大切な事が、そのように神経を使いながらも、自分の出す音に感動して良い気持ちになるということです。(テクニックの(1)参照)
しかし一方で、自己満足に陥ることなく、常に美しさに対する「センス」を磨かなくてはならないと思います。
美しさに法則はありません、経験により、美意識は養われます。
また、生理的に美しいと感じる音というのもあると思います。
そして私は「美しさに上限はない」と、常に言い続けています。「ここまで」と決めてしまったらそれ以上にはなりませんが、「常にもっと美しく」と願い続けることで、可能性も限界がなくなります。
経験とともにセンスを磨きましょう。
そのための努力を重ねて演奏した時、それは、きっと他の人にも伝わるはずです。
ヨーロッパを旅していた時、偉い彫刻家の先生が、ある作品を見て、「良い作品には、よく作りこんである部分と、そうではなく大胆に、大まかに作ってある部分とがあるものです。そのことによって、作者が作品で言いたいことがより伝わるものです。」と、おっしゃいました。
そのとき「芸術と言うのは美術も音楽も変わらないのだ。音楽もまさに同じだ!」と感動したことを思い出します。
その音楽が好きなら「これでもか!」と、頑張って聴かせたくなるものですが、心地よく、眠くなるような平和な美しさと、力のこもった部分が混在してこそ、「言いたい事がより強く伝わるのかな?」と、思ったりします。
武蔵野音楽大学ピアノ専攻科卒業。武田宏子氏・吉岡千賀子氏に師事。バスティン・ メッソードの講師として全国各地で講座を行う一方、地元鹿児島ではピアノ指導法研 究会を主宰。生徒育成においては、ジュニア・ジーナ・バックアゥワー国際コンクー ル第2位輩出のほか、長年にわたりピティナ・ピアノコンペティションにて高い指導 実績を全国にアピール。特に1999年度は、ピティナ全国決勝大会のソロ・デュオ・コ ンチェルト部門に計7組の生徒を進出させ、ソロF級で金賞、コンチェルト初級で優 秀賞などを受賞した。導入期から上級レベルの生徒までまんべんなく育て上げる指導 法は、全国のピアノ指導者の注目の的となっている。ピティナ正会員、コンペティシ ョン全国決勝大会審査員。ステーション育成委員会副委員長。
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