ピアノステージ

Vol.10-1 Stage+人(10) 伊藤 恵さん

2009/06/10
Vol.10-1 Stage+人(10) 伊藤 恵さん
好評の<アクセスパス特別企画>子どもたちによるピアニスト・インタビュー。今回は、忙しい公演の合間をぬって、女性ピアニストの第一線で活躍する伊藤恵さんが、関西の子供たちのインタビューに答えてくださいました。一人ひとりの質問に熱心に頷き、丁寧に答えてくださる伊藤さんのお人柄に、終了後、参加した子供たちや保護者の皆さんから感激の声が寄せられました。
伊藤恵さん
小さい頃は?

生熊─ 伊藤先生は、小さいころから毎日どのようなことを心がけて練習されていたんですか?


生熊茜(いくま あかね)
夕陽丘高校音楽科2年。2006ピティナ・ピアノコンペティションJr.G級金賞。

伊藤─ どうだったかしら・・・。そんなにいい子ではなくて練習したくなかった方だったから、厳しかった母を困らせていました(笑)。何がイヤって、"レッスンに持っていく曲"を練習すること。でも、ピアノを弾いて遊ぶことは、すごく好きでしたね。レッスンに持っていかない曲を好き勝手に弾いたり、即興演奏したり。あ、こんな答えでは、教育上良くないね、
・・・困ったなぁ(笑)。


杉本沙織(すぎもとさおり)
大阪信愛女学院中学校1年。2008ピティナ・ピアノコンペティションD級ベスト賞。
作品への思い入れ

杉本─ シューマニアーナのCDで、シューマンのピアノ曲全曲を録音されていますが、特に思い入れのある曲は、どの曲ですか?

伊藤─ 全曲取り組んでいくと、"どの曲"というだけではなくて、シューマンの"音そのもの"がとても大切になりました。どの曲のどの音も、全部シューマンが書いた音だと思うと、もうすべてが私にとっては大切と思えるようになったというか。例えば、最後の方に録音した《フーガ》という曲。彼が尊敬していたバッハのような形式を用いてはいますが、『音』はやっぱりシューマンの音楽なんですね。だから、「最後にとっておいてよかった」と思いました。二十年という長い間かけて取り組んできて、シューマンの音楽の素晴らしさというのが分かってから、この曲を録音できて良かった、と。一枚目に入れた《クライスレリアーナ》という曲も、私がヨーロッパで習ったハンス・ライグラフ先生から初めていただいた曲という意味で、すごい思い入れがあります。


上野真里亜(うえのまりあ)
奈良育英中学校3年。2007ピティナ・ピアノコンペティションE級銅賞。

上野─ このCD(『ピアノ通信』~伊藤先生セレクトの名曲集)は、どのような思いで選曲されたんですか?

伊藤─ このアルバムは、私の中ではとても内面的なもので、大観衆の前で弾くというよりは、たった一人の人の前で弾きたい曲を選んだものですね。けれど、二千人入るホールでも、私一人が二千人を相手にするのは難しいこと。だから、たまたま今目の前に二千人いるだけ、たまたま今一人しかいないだけという違いだけで、たった一人の人のためにいつも弾いていたいというのが、私の気持ちかもしれません。

今、挑戦してほしいこと...

水谷桃子(みずたにももこ)
神戸海星女子学院高校3年。2008ピティナ・ピアノコンペティション特級準金賞。

水谷─ 伊藤先生は、日本を代表する音楽家でいらっしゃって、私たちから見ると華麗なイメージなんですが、ピアニストになって、良い所と悪い所、光と影のようなところはありますか?

伊藤─ ピアニストとしては、良いことしか思いつかないかな。よく門下の生徒たちには、私は二十四時間ピアノのためだけに生きているのよ、と話すと、生徒たちはすごく驚くんです。でも、おいしいものを食べることも、健康のために家の近くを走ることも、自然の中を散歩することも、すべて音楽につながっているんですね。子供の頃は、努力は嫌いだったんですが、今は一日じゅうピアノ弾いてると、すごく幸せですね。
常に自分の心を磨いて、ピュアな心を目指さないと、良い音楽はできないような気がします。言うのは簡単!だけど自分の心を常にピュアにするというのは、なかなか難しいことですね。お坊さんの修行と一緒かもしれません。あなた方はまだ若いけど、ピアノという形で"修行"しているのね。今、不況で、たくさんのお金や物を失って、というような話が、テレビでもしょっちゅう聞こえてくるけれど、私たちがピアノを練習して、何か新しい曲を弾けるようになったら、それは他の誰にも奪い取れない、絶対に失われない、素敵なことですよね。確かにもうイヤだなと思うこと、もちろん私もあるんですが、例えば何か弾けなかった曲を新しく勉強して、それが弾けるようになった時ってすごく嬉しくないですか?それ以上に嬉しいことって案外見つからないくらい、本当に嬉しい経験ですよね?それが、あなた方の本当に大切な"財産"だと思うんです。私たちの"修行"は、素晴らしいものなのよね。
だから、あなた方の年齢の頃にやれる限りの曲に取り組んで、自分のものにしておくことが大切だと思います。あなた方が今勉強した曲って、一生忘れません。特に二十代までかな。素直に、どんどん挑戦することが、全部自分の血となり、肉となって、人生をすごく豊かにすると思います。ですから、"影"はなし!

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聴く人が演奏者の存在を忘れるようなピアニストに...

小嶋稜(こじま りょう)
明星中学校3年。2008ピティナ・ピアノコンペティションJr.G級銅賞。

小嶋─ 伊藤先生がこれからなりたい理想のピアニストのイメージ像は、どんなものですか?

伊藤─ そうだなぁ...。聴いてる人が、私が弾いているということを完璧に忘れて、たまたまそこでシューマンを弾いていたら、そこにシューマンがいるみたいな、ブラームスを弾いていたら、そこでブラームス自身が弾いているような、そんなふうになりたいですね。これはもうずっと言い続けて、いつも願い続けていて、いつか叶ったらいいなと思っていることです。
例えば、なぜここにブラームスがフォルテを書いたかということを、私たちは一生懸命考えなくてはいけないと思うんですね。それが『情熱的に』なのか、『広々とした』なのか、『運命に抗うように』なのか、可能性がいくつもあるでしょ?その可能性を、一番作曲家が意図したであろうところとして読み取りたいわけです。けれど、それってやっぱり難しいし、ブラームスには質問できないでしょ?だから、結局は弾いている人の解釈になるとは思います。
私はアルフレッド・ブレンデルがすごく好きなんですが、彼の演奏って、まぎれもなく彼の解釈だと思うんです。だけど、ブレンデルを通して見えてくる偉大なベートーヴェンの心とか、シューベルトのものすごい世界観というのは、やっぱりブレンデルが弾いてるということを忘れて見えてきます。それでいて、私は『ブレンデルという媒体』を通して、それ聴くのが好きなわけですね。だから、もしかすると、『私という媒体を通して、作曲家の音楽が聴こえてくる』というのが、理想なのかなと思います。

音楽から教わる

小嶋─ 僕は今シューベルトを勉強してるんですが、メロディーラインだけでなく、隠れた線を見つけ出すような音楽の構成力は、どのように身に付ければいいんでしょうか?

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伊藤─ シューベルトの《冬の旅》(歌曲集)、聴きました?私の門下の子にも、シューベルトの曲を持ってきたら、《冬の旅》を聴いて~って言います。それで、もうレッスン要らず。そのくらい、歌を聴けばシューベルトの音楽の真髄が分かるんです。
ベートーヴェンも同じ。彼のシンフォニーを聴いたら、ソナタをどのように弾いたらいいか、自然と見えています。なぜかというと、オーケストレーションが思い浮かんでくるから。この部分はオーボエ、フルート、ここは弦...、色々な楽器の音で聴こえてくるはずです。
例えば、今、ある和音に5つの音があるとしたら、それを5人で弾いてると考えて、それぞれの人の横のラインで見ていきます。そうすると、例えばここにミ~ラ~レ~ミ~♪ってメロディを弾いてる人がいて、ド~ド~レ~シ~♪って内声の人たちが弾いてる、という見方で見えてくるわけです。私たちピアノ奏者は一度に同時の音をジャンって出せるので、その見方で見過ぎていますが、指1本1本がオーケストラ1人1人だと思って楽譜を読むと、ちょっと違う音楽、になると思います。 本や映画や絵に触れることもとても大切だけど、やっぱり一番大事なのは『音楽聴いて!』ということ。それも、自分が勉強している曲を聴くのではなくて、別の曲を聴くことが大切。シューベルトのソナタを弾くなら、もちろんそのソナタのCDも聴いた方がいい、けれどそれよりは、別のソナタを聴いてみたり、別のピアノ小品を聴いてみたり、《冬の旅》や《死と乙女》(弦楽四重奏曲)のような他の分野の曲を聴いてみてほしいです。私は、全部そうやって音楽から教わっています。ですから、今とても忙しいけれど、音楽会だけは年間五十回くらいは行ってるかもしれません。音楽祭にも行くし、オペラも観ます。あなた方も学校も部活もレッスンもあって忙しいとは思うけど、是非音楽会に行ってみてください。

手当たり次第に音楽を聴いてみて!
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平成21年4月19日、新大阪にて。兵庫でのコンサートを終えて帰京する貴重な時間を割いて行われたインタビューでは「それは素敵なことよね」「あなたはどう思う?」と子どもたち一人一人に優しく語りかける伊藤先生の温かいお人柄に、皆が魅了された。

今日、私が言いたかったのは『音楽を死ぬほど聴いて!』ということ。何でもいいから手当たり次第、うん、手当たり次第、というのが一番いいかもしれないね。例えば、オーケストラの定期会員になるといいですよ。私もオーケストラの定期会員になってるんですが、『何この曲?』っていう知らない曲の公演のときもありますよ。本当に面白いのかなと思いながら、おそるおそる行くんです。そうしたら素晴らしい曲で!自分が興味がない曲ほど、自分の新しい世界に出会えます。その未知の世界に、大切なことがいっぱい詰まっているんです。自分が今やらなくてはいけないことに目を向けていないといけないけれども、そこで終わらないで、そこにたくさんの枝葉を付けていってほしい。「生」の音楽っていうのは、空気で伝わってきますし、そうやって私たちが聴いて心の中に入った音楽は、他の誰にも取れない、奪えないもの。それってすごく素敵なことだと思います。
それから、音楽の勉強って、すごく時間がかかるんですよね。そのことはみんなに覚えておいてほしい。けれど、時間をかけて理解しないと、作曲した人に失礼だと思う。私たちは、やっぱりそこに時間をかけるべきだし、わからなくて、『なぜ?』って何度でも問いかけることが大切なことなんだと思いますね。じっくり考えて、分からなくて、でも『なぜ?』と問い続けながら音楽のことを考えるのが、今、私には一番楽しくて大切な時間かな。

文・構成・写真 加藤 哲礼


伊藤 恵
伊藤 恵(いとう けい)

幼少より有賀和子氏に師事。桐朋学園高校を卒業後、ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽大学、ハノーファー音楽大学において名教師ハンス・ライグラフ氏に師事。エピナール国際コンクール、J.S.バッハ国際音楽コンクール、ロン=ティボー国際音楽コンクールと数々のコンクールに入賞。1983年第32回ミュンヘン国際音楽コンクールピアノ部門で日本人として初の優勝。サヴァリッシュ指揮バイエルン国立管と共演し、ミュンヘンでデビュー。その後もミュンヘン・シンフォニカ、フランクフルト放送響、ベルリン響、チェコ・フィルの定期公演などに出演。日本では「若い芽のコンサート」でNHK響と協演をはじめ、各オーケストラとの共演、リサイタル、室内楽、放送と活躍を続けている。録音はシューマン・ピアノ曲全曲録音「シューマニアーナ(1?13)」、「ブラームス: ピアノ協奏曲」、「ショパン: エチュード」、最新版として「シューベルトピアノ作品集1」がフォンテックからリリースされている。2007年秋には、シューマン・ピアノ曲全曲録音完成記念コンサートが行われ好評を博した。2008年からはシューベルトを中心としたリサイタルを開始。1993年日本ショパン協会賞、1994年横浜市文化賞奨励賞受賞。2003年より東京藝術大学准教授。

【今後のコンサート予定】
6月13日(土) 横浜みなとみらいホール (18:00開演)
6月14日(日) 東京芸術劇場 (14:30開演)
日本フィルハーモニー交響楽団
シューマン : ピアノ協奏曲 イ短調 op.54 ほか


ピティナ編集部
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