第15回 加羽沢 美濃さん
華麗なるピアニストステージを彩る豪華アレンジ
ディズニー・ヒッツ作品集
加羽沢美濃編
■ ヤマハミュージックメディア
■ 定価1,995円(税込)
『ビビディ・バビディ・ブー』 ※発展5課題曲
ハーモニー感を大切に、右手の3連符は波に揺られているように柔らかく、内声の動きも意識して滑らかに弾けるように。メロディーが見え隠れする前半と、原曲どおりの後半との対比もうまく出せるとよいですね。その他の曲も、マッチングCDを参考にしてください。
【マッチングCD】
ピアノ・ピュア
ホール・ニュー・ワールド
■ 日本コロムビア
■ 定価1,500円(税込)
華麗なるピアニストステージを彩る豪華アレンジ
クラシック・セレクション
加羽沢美濃編
■ ヤマハミュージックメディア
■ 定価1,995円(税込)
(コンポーザー/ピアニスト)
公式サイト http://www.t-artists.com/
お名前にちなんだ「カバの置物」をはじめ、文房具類、切手、ハンドクリーム&マッサージ器(左)などのコレクションは相当数!趣味はゴルフ、お料理。 |
小さい頃は引っ込み思案で、人とうまく話せなかったんです。でも、その日あったことをピアノで表現すると、母が「そんなに楽しかったの~」とわかってくれる。ピアノはコミュニケーションのツールでしたね。ピアノで自由に遊ぶのは大好きで、絵の具を重ねるような感覚で、「上と下の音を重ねるとどうなるんだろう」「この曲にはこんな和音がついてたかな」「こっちの和音もいいな」なんて遊んでました。私にとって、おしゃべりとピアノを弾くのは同じ感覚ですし、ピアノで表現する方が当時は楽でした。
2才の頃には、トイピアノで、知ってる曲をカラオケみたいに弾くのが好きでした。母がピアノ教師をしていたので、ピアノの上手なお姉さんたちへの憧れがあったのですが、なかなか本物のピアノには触らせてもらえなくて...3才になって初めて許可がおりてからは、小学4年生まで、それこそ学校に行く間も惜しんで一日8時間のピアノの猛特訓が続いたんです。でも目標があるので、辛いと思ったことはなかったですね。
母が入り込む性格な分、父が客観的に判断するタイプだったので、私が外で遊ぶ暇もなく、すべり台のすべり方もわからないような子だったのを心配して、普通の子どもに戻してくれたんです。小5からしばらくはピアノと少し距離を置くようになりました。
いわゆる有名なクラシック曲はほとんどやらず、エチュード少しと、あとは自分のオリジナル曲を、1年ほどかけて弾き込んで深めていくんです。とにかく大会に向けて、オリジナル曲一色でした。今でもその当時の曲はすぐ弾けますよ(実演♪)。小4までに培った音楽力と技術がものすごく濃くて、今もそれが生きていると思います。
ヤマハJOC(ジュニアオリジナルコンサート)の大会を聴きにいくと、同じ世代の子の曲に大いに刺激を受け、「私もあのステージに立ちたい!」と自然に曲のイメージも湧いてくるんですね。小4のときに作曲した『テキサス』は、いとこにテキサスのペンパルから届いた写真集を見せてもらって、「きっとアメリカにはこんな音楽が流れてるに違いない...」と思って作りました。最初はかっこよく始まり、第2テーマはけだるくセクシーなんです(笑)。無調、旋法、ジャズなどに憧れていた時期ですね。今でも、子ども向けのコンサートでこの頃の曲を弾くと、子どもたちが「自分と同じくらいの年に作曲したんだ~」と身近に感じてくれて、好評なんですよ。
3才の頃に、ラフマニノフのピアノコンチェルトを聴いて、「かっこいい~!私も作曲家になりたい」と思ったのが最初で、「どんなものを食べれば、こんな素敵なメロディーを生み出せるようになるんだろう」と真剣に考えてましたね(笑)。
JOC時代には、「いつかあんな風になりたい」と目標となる先輩や競い合う仲間がいて、私の性格にはとても合っていました。それこそ、西村由紀江さんに憧れ、横山幸雄さんとは同じ音楽教室に通った仲なんですよ。小5からは細々と続けていた音楽でしたが、高2の頃に、「やはりこの道に進みたい!」と思い、作曲科を受験しました。
大学では現代曲オンリー、無調や12音技法を追求していたんですが、この当時、母が手を焼くような子どもたちに、少しピアノを教えていたんです。その子たちが弾きたがるポップス曲を、その子のレベルに合わせてアレンジするわけですが、「ただ簡単にするのではなく、どうやったら小さい手でもかっこよく、新しい世界が広がっていくか」と常に考えていました。
私は元々手が小さくて既成曲で弾けるものが少ない、というハンディを持っていたのですが、この手のお陰で逆にいろいろ工夫するようになったんだと思います。その頃、「ポップスをピアノにアレンジする」というお仕事が運良く舞い込み、これがアレンジデビューとなりました。子どもの頃からやっていたことが自然に仕事に結びついたので、本当に恵まれていると感謝しています。
映像と音楽の相乗効果は想像以上のものがあり、映画などは何十年も残っていくので、責任感ややり甲斐、ひとつのものをみんなで創り上げる喜びを感じますし、苦労した分どんな仕事より達成感がありますね。
作品によっては、台本を読んだ時点で、曲が降ってくる感じです。映像を見たらもうピンとくるというか、自分にとっては最初から映像に音楽がついている感じですね。自由にと言われるより、枠の中で要望合わせてオーダーメイドすると、知らない自分の引き出しがキュッと開く感覚で、そういう意味でも楽しんでやっています。
はい。会場のお客様から、5~6曲皆さんのよく知っている曲をリクエストしていただいて、その場でメドレーにしてお届けしています。私自身も毎回ドキドキ!楽しみですね。
学生の頃通っていた英会話学校では、ニックネームをつけなきゃいけなくて、「美濃、ミニ、ミニーって呼んで」(笑)みたいなノリで、ミニーになりたいくらいミッキーが大好きでした。この曲集のお陰で、永ちゃんとも共演することになったんですよ。ある日突然、「矢沢です!」と電話がかかってきて、「今度50才の記念ライブを7万人の前でやるんだけど、途中でナイアガラの花火をあげるんで、そこでガラッと雰囲気を変えて、君にディズニーを弾いてもらいたい」とオファーがあり、この曲集の『いつか王子様が』を弾いたんです。その後も矢沢さんから、「ピアノだけでこんな世界が表現できることに感動した」というようなお電話もいただきましたね。