脳と身体の教科書

第18回 練習の生理学 (3)練習の科学

2011/09/07
練習の生理学 (3)練習の科学

うまくなるためには、練習が必要です。練習すると、脳や身体の構造や機能が変化し、できなかったことができるようになるからです。ニューヨークの路上で、カーネギーホールの行き方を尋ねると、ニューヨーカーは「練習、練習、練習」と答えるというお話があるくらい、素晴らしい演奏と練習は密接に関係しています。

しかし、練習を好きな子とそうでない子がいます。言いかえると、モチベーション(やる気)の高さには、個人差があります。ピアノに限らず、楽器を習い始めた7歳から9歳の子どもを調査した研究によると、モチベーションが高く、練習量が多い子の方が、数ヵ月後により上手になっていました[1]。しかし、音楽的な才能や知性が高いからといって、同じ練習でもより上手になるというわけではありませんでした。したがって、うまくなるためには、才能よりもやる気と練習が大切だとこの研究では主張しています。

また、別の研究によると、生徒の親がどれだけ子どもの音楽活動に協力的であるかも、生徒の演奏能力を左右するそうです[2]。たとえば、お子さんが家で練習しているときに、横について見てあげたり、先生と直接連絡を取り合ったりする親の方が、子どもの上達が早いことが知られています。これは、楽器を習いたてのお子さんのモチベーションを高めることとも関係しているかもしれません。

では、どのような練習をすれば、うまくなるのでしょうか?イギリスで行われた調査の結果、上手な子の方が、単に練習時間が多いだけではなく、音階などの基礎的な練習を午前中にする傾向があることがわかりました[3]。さらに、上手な子ほど、毎日決まった長さの時間を、基礎的な練習に費やしていました。つまり、練習のしかたにムラが少ないということです。ここでも親の果たす役割は少なくありません。小さいお子さんが、自分でしっかりと練習スケジュールを決め、毎日それを守るということは簡単ではないからです。しかし、これは子どもの場合の研究結果であり、年齢を重ねるにつれて、曲や状況に応じて、日々の練習のしかたを調整することも必要になるかと思います。

ピアノ科の音大生を調べた研究では、音階などの基礎的な練習は、練習時間に比例して、音の粒がより揃うようになることが報告されています[4]。つまり、ある程度うまくなったからといって、基礎的な練習が必要なくなるわけではなく、その後も洗練された演奏技術を維持し、さらに磨き上げるためには、練習時間が必要なのです。実際、多くの名ピアニストも、練習の多くを音階に費やしたことが知られています。

暗譜するためにも練習は必要です。暗譜には、3つのステップがあります[5][6]。一つ目は、覚えること、つまり、新しい楽譜を記憶することです。これは、楽譜の中で、同じグループのリズムや和声、アルペジオなどの音列のパターンを見つけることも含まれます。こうすることで、覚えやすくなるからです。二つ目は、覚えたことを思い出すための「きっかけ」を見つけることです。たとえば、「この終止形の和音が来たら、次はこの和声とこのリズム」とか「このアルペジオは1回目と2回目で、次に来る和声が違う」とかいったことです。楽譜の中に何か特徴的なことを見つけて、「この音が鳴ったら、次はこれが来る」といった、楽譜を思い出すきっかけになる情報を作ることで、暗譜はより確固たるものになります。ショパンなど、似たようなメロディが出てきますので、こういった「思い出すきっかけの音」を見つけておくと、暗譜の不安が軽減されます。三つ目は、反復練習をすることで、楽譜を思い出すための時間を短くすることです。たとえば、よく使っている本棚だと、どこに何の本があるのかすぐにわかります。しかし、あまり使っていない本棚だと「あの本はどこにあったっけ」と見つけるのに時間がかかります。暗譜も同じで、たとえ覚えていても、反復練習をしないと、すぐに思い出せません。時々刻々と変化する演奏の中では、思い出すのに時間がかかっていては、その記憶は役に立たないので、演奏中に次に何を弾くかが次々と頭の中に浮かび上がってくるようにするためにも、反復練習は必要と言えます。




<脚注>
[1]
O'Neill SA (1997) The role of practice in early musical performance achievement. In Does Practice Make Perfect? Current theory and Research on Instrumental Practice (Jorgensen H and Lehmann AC ed.), 99-112, Oxford University Press
[2]
Davidson JW et al. (1996) The role of parental influences in the development of musical performance. Br J Dev Psychol 14: 399-412
[3]
Sloboda JA (1996) The role of practice in the development of musical performance. Br J Psychol 87: 287-309
[4]
Jabusch HC, Alpers H, Kopiez R, Vauth H, Altenmüller E (2009) The influence of practice on the development of motor skills in pianists: a longitudinal study in a selected motor task. Hum Mov Sci 28: 74-84
[5]
Ericsson KA and Kintsch W (1995) Long-term working memory. ¬Psychol Rev 10: 211-245
[6]
Chaffin R and Logan T (2006) Practice perfection: How concert soloists prepare for performance. Adv Cog Psychol 2: 113-130

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古屋 晋一(ふるや しんいち)
上智大学 音楽医科学研究センター(MuSIC)センター長,ハノーファー音楽演劇大学 客員教授.大阪大学基礎工学部を卒業後,同大学大学院医学系研究科にて博士(医学)を取得.ミネソタ大学 神経科学部,ハノーファー音楽演劇大学 音楽生理学・音楽家医学研究所にて勤務した後,2014年度より現職.アレクサンダー・フォン・フンボルト財団研究員,日本学術振興会特別研究員PDおよび海外特別研究員などを歴任.音楽家の脳と身体の研究分野を牽引し,マックスプランク研究所(ドイツ)やマギル大学(カナダ),ロンドン大学(イギリス)をはじめとする欧米諸国の教育・研究機関における招待講演や,国際ジストニア学会や国際音楽知覚認知学会,Neurosciences and Musicといった国際学会におけるシンポジウムのオーガナイズを多数行う.また,ヨーロッパピアノ指導者協会(EPTA)をはじめとする国内外の音楽教育機関において,演奏に結びついた脳身体運動科学の講義・指導を行う.学術上の主な受賞歴に,ドイツ研究振興会(DFG)ハイゼンベルグ・フェローシップ,大阪大学共通教育賞など.主なピアノ演奏歴として,日本クラシック音楽コンクール全国大会入選,神戸国際音楽コンクール入賞,ブロッホ音楽祭出演(アメリカ),東京,大阪,神戸,奈良でのソロリサイタルやレクチャーコンサートなど.主な著書に,ピアニストの脳を科学する,ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと.ランランとのイベント,ビートたけし氏との対談,NHKハートネットTVへの出演など,研究成果を社会に還元するアウトリーチ活動にも力を入れている.東京大学,京都市立芸術大学,東京音楽大学にて非常勤講師を併任.アンドーヴァー・エデュケーターズ公認教師.www.neuropiano.net
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