脳と身体の教科書

第14回 練習の生理学 (1)脳や筋肉がどのように変化するか?

2011/02/24
練習の生理学 (1)脳や筋肉がどのように変化するか?

ピアノを練習すると、繰り返し演奏しても筋肉が疲れなくなったり、楽譜を覚えて自動的に指が動くようになったりするかと思います。この時、脳や筋肉ではどのようなことが起こっているのでしょうか?今回は、練習の生理学についてお話します。

1.筋繊維の変化

筋肉には、大きな力を発揮できるけれども、疲労しやすい「速筋」と、あまり大きな力は発揮できないけれど、疲労しにくい「遅筋」という2種類があります。これらは、トレーニングによって増えたり減ったりするため、短距離選手やボディビルダーは速筋が多く、マラソンランナーやクロスカントリーの選手は遅筋が多いことがよく知られています。

では、ピアノの練習を積むと、どちらの筋肉が増えるのでしょうか?速く指を動かすためには、速筋が必要ですし、演奏しても疲れないためには、遅筋が必要です。この問いに正しく答えるには、ピアニストの筋肉の繊維の一部を削って組織を調べる検査(バイオプシー)が必要なのですが、なかなかそんなことはできません。そこで、筋電図という装置を使って、筋肉の疲労しやすさを間接的に評価した研究があります(Penn et al. 1999)。それによると、ピアニストは、速筋よりも遅筋の方が発達していることを示すデータが報告されています。これは、ピアノを弾く上では、筋肉にとって、指を素早く動かせることよりも、疲労しにくいことの方が大切だということを意味しています。

これは、不思議に思われる方もいるかもしれません。といいますのも、練習すれば速く弾けるようになるからです。しかし、これは、第5回でご紹介したように、指を動かす脳細胞の数が増大するといった、むしろ脳の中で起こる変化によるものと考えられています。

2.指の動きのパターンの記憶

練習を積むと、次にどの指を動かすかを意識しなくても、あたかも指が楽譜を記憶するように自動的に動くようになります。暗譜する上では、楽譜を覚えることと同じくらい、この動きを覚えるということは重要なのですが、その脳の働きはどうなっているのでしょうか。

「指をどの順番で動かすか」を記憶するにつれて、運動に関連する脳部位(運動野)の活動が強くなることが知られています(Karni et al. 1998)。これを運動記憶の増強(Consolidation)といいます。運動記憶の増強には、2つの興味深い性質があるので、ここでご紹介しましょう。

一つは、睡眠との関連です。練習して覚えた動きが脳の中で定着し、忘れないように増強されるためには、レム睡眠が必要だと言われています(Stickgold and Walker 2005)。ですから、睡眠を取らずに練習し続けると、動きを覚える上で効率が悪いということになります。よく指導の現場で、「一度弾いた曲をしばらく寝かせてから本番で使う」という言葉がありますが、実際、そういった曲は、舞台で暗譜が飛びにくいといった経験をお持ちではないでしょうか?これは、睡眠が動きの記憶を増強するためです。

もう一つは、せっかく覚えた動きの記憶が、脳に定着されず、忘れ去られてしまうことがあります。例えば、少し極端な例になりますが、ある音列A「ドミファソラソファミ」を何度も練習した直後、別の音列B「ファソファミファミレミレドレド」をすぐ練習し始めると、初めに弾いた音列A(ドミファソラソファミ)が脳に定着しないことが知られています。これを、運動記憶の干渉(Interference)といいます。しかし、音列Aを練習して、例えば数時間後に音列Bを練習すると、両方の動きの記憶が脳で定着することが知られています(Doyon and Benali 2005; Stickgold and Walker 2005)。したがって、新しい曲を覚えるときには、こまめに休憩を取ることが良いと言えるでしょう。



<参考文献>

Penn IW, Chuang TY, Chan RC, Hsu TC (1999) EMG power spectrum analysis of first dorsal interosseous muscle in pianists. Med Sci Sports Exerc 31(12):1834-1838
Karni A, Meyer G, Rey-Hipolito C, Jezzard P, Adams MM, Turner R, Ungerleider LG (1998) The acquisition of skilled motor performance: fast and slow experience-driven changes in primary motor cortex. Proc Natl Acad Sci U S A. 95(3):861-868
Stickgold R, Walker MP (2005) Memory consolidation and reconsolidation: what is the role of sleep? Trends Neurosci 28(8):408-415
Doyon J, Benali H (2005) Reorganization and plasticity in the adult brain during learning of motor skills. Curr Opin Neurobiol 15(2):161-167

| 目次 | TOPページ |


古屋 晋一(ふるや しんいち)
上智大学 音楽医科学研究センター(MuSIC)センター長,ハノーファー音楽演劇大学 客員教授.大阪大学基礎工学部を卒業後,同大学大学院医学系研究科にて博士(医学)を取得.ミネソタ大学 神経科学部,ハノーファー音楽演劇大学 音楽生理学・音楽家医学研究所にて勤務した後,2014年度より現職.アレクサンダー・フォン・フンボルト財団研究員,日本学術振興会特別研究員PDおよび海外特別研究員などを歴任.音楽家の脳と身体の研究分野を牽引し,マックスプランク研究所(ドイツ)やマギル大学(カナダ),ロンドン大学(イギリス)をはじめとする欧米諸国の教育・研究機関における招待講演や,国際ジストニア学会や国際音楽知覚認知学会,Neurosciences and Musicといった国際学会におけるシンポジウムのオーガナイズを多数行う.また,ヨーロッパピアノ指導者協会(EPTA)をはじめとする国内外の音楽教育機関において,演奏に結びついた脳身体運動科学の講義・指導を行う.学術上の主な受賞歴に,ドイツ研究振興会(DFG)ハイゼンベルグ・フェローシップ,大阪大学共通教育賞など.主なピアノ演奏歴として,日本クラシック音楽コンクール全国大会入選,神戸国際音楽コンクール入賞,ブロッホ音楽祭出演(アメリカ),東京,大阪,神戸,奈良でのソロリサイタルやレクチャーコンサートなど.主な著書に,ピアニストの脳を科学する,ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと.ランランとのイベント,ビートたけし氏との対談,NHKハートネットTVへの出演など,研究成果を社会に還元するアウトリーチ活動にも力を入れている.東京大学,京都市立芸術大学,東京音楽大学にて非常勤講師を併任.アンドーヴァー・エデュケーターズ公認教師.www.neuropiano.net
【GoogleAdsense】
ホーム > 脳と身体の教科書 > > 第14回 練習の生理...