脳と身体の教科書

第11回 「力み」を正しく理解する (5)エコ・プレイ:力まずに弾くスキル(2)

2010/10/29
「力み」を正しく理解する (5)エコ・プレイ:力まずに弾くスキル(2)

前回は、必要最小限のエネルギーを使って、最大限の音楽・音響効果を創り出すための技能(エコ・プレイ)の中でも、特に鍵盤から受ける力に関連したものについてご紹介しました。今回は、腕の使い方に関連したお話をご紹介します。

(4) イメージしてから打鍵する

「打鍵する前に、これから鳴る音をイメージする」。そのメリットについて調べた研究が、今年に入って、ドイツのKeller博士らによって発表されています。ピアノの場合、どの鍵盤を押せば、どの音が鳴るのか、あらかじめ容易に予測できます。しかし、同じ鍵盤を打鍵しても、毎回デタラメな音が鳴るような"ヘンテコな"ピアノを弾く場合を考えてください。この時、どの鍵盤を押せば何の音が鳴るのか、あらかじめイメージすることはできませんよね。Keller博士らはこのような状況を意図的に作り出して、「打鍵する前に、あらかじめ音をイメージするかしないかで、指の動きがどう変化するか」について調べました。

研究の結果、あらかじめこれから鳴る音をイメージして打鍵した方が、イメージせずに打鍵するよりも、指先が鍵盤に衝突する瞬間の加速度が小さくなることがわかりました。つまり、これから鳴る音をイメージせずに打鍵すると、必要以上に強く叩いてしまうということです。したがって、「頭の準備」も、エコ・プレイを実現する上で重要な技術の一つだと言えます(1)

(5) 重力を利用する

"重量奏法"といって、腕の重さを利用して打鍵するというアイデアがあります。「重力を使いなさい」、「腕を落としなさい」といった表現を、ピアノを弾く方であれば、一度は聞かれたことがあるかもしれません。この重量奏法は20世紀初頭に提唱されたのですが、演奏者や指導者の経験的な感覚と合致することも相まって、またたく間に世界中に広まりました。しかし、「重力を使っているように感じているだけで、実際には使っていない」という可能性も否定できず、100年近くの間、その真偽は教育者、科学者の議論の的でした。その長年の問いに答えるべく、私は打鍵時に腕に作用する力の大きさを算出し、同時に腕の筋肉がいつ、どの程度収縮しているかを計測することで、ピアニストが本当に重力を使って打鍵しているかについて詳細に調べました(2)

その結果、実験に参加してくださった国内外のコンクールで入賞歴のあるピアニストは、上腕の力こぶの筋肉を弛めることで、重力を利用して打鍵していたのに対し、ピアノ初心者は、上腕の二の腕の筋肉を収縮させることで、筋力によって打鍵していることがわかりました。さらに、より大きな音を出そうとするときほど、ピアニストは力こぶの筋肉を弛める量を増やし、重力をより多く利用していたのに対して、初心者は二の腕の筋肉をより多く収縮させていることが明らかになりました。

したがって、「重力を利用して打鍵し、筋肉の仕事を減らす」というのは、どうやら真実だということはわかったのですが、より詳細にデータを見てみると、指先と鍵盤が衝突する約0.02秒前には、ピアニストがたとえフォルテで打鍵する際でも、二の腕の筋肉は収縮し始めていました。つまり、完全に重力だけで打鍵しているわけではないということです。同時に、力こぶの筋肉も収縮し始めたことから、「重力をギリギリまで利用して腕を加速し、鍵盤を押さえる直前に関節を固めることで、腕のエネルギーを鍵盤に効果的に伝達する」というのが、私の実験に参加してくださったピアニストの方達のしていたことです。

ただし、腕の重さを全て使っても足りない大きな音を出すときには、ピアニストであっても当然、二の腕の筋力を使わざるを得ません。実際、fffで打鍵してもらうと、ピアニストであろうと二の腕の筋肉は初めからフルに収縮していました。重力が腕を回転させる力の大きさは、「腕の重さ」と「腕のフォーム」に伴って変化しますから、ある程度体重を増やして腕の重さを増やすことは、楽に大きな音を出すために役立ちます。また、重力を最大限に利用して肘を回転させるための腕のフォームは、「前腕が鍵盤と水平にある状態」だということも、覚えておくと良いかもしれません。

なお、MRIを用いた研究によると、ある狙った量だけ力を入れるよりも力を抜く方が、脳にとっては「難しい」ということが、最近になってわかってきました(3)。例えば、10の大きさだけ力を入れるよりも、力を入れた状態から10の力を弛める方が、より多くの脳部位が活動することが報告されています。「なぜ脱力できないの!」と生徒さんに言い過ぎて、生徒さんの脳を怒らせないようにしてくださいね。

(6)まとめ

このように、科学技術の力を正しく借りてピアノ演奏を見てみると、肉眼では確認できない様々なスキルを詳細に記述することができます(4)。こうして得られた知見を知っていただくことで、皆さんに動きのレパートリーを増やしていただいたり、技術の習得をサポートすることが、『ピアノ演奏における身体教育』の果たすべき役割だと私は考えています。ただし、これらを、いつ、どの程度利用するかは、個々人によっても、何を弾くかによっても違ってきますので、それらは練習の中で探していかないといけません。「わかる」と「できる」の違いを練習によって埋めることで、思い描いた音楽を、思い描いた身体の動きで創造していただきたいと思います。



【脚注】
(1)
Keller PE, Dalla Bella S, Koch I (2010) Auditory imagery shapes movement timing and kinematics: evidence from a musical task. J Exp Psychol Hum Percept Perform 36(2):508-513
余談ですが、論文には「イメージせずに打鍵すると、無駄なエネルギーを使う」と書かれているのですが、Keller博士とお会いした際に、「鍵盤を叩いてしまうがゆえに、音が汚くなるリスクもあるのではないでしょうか」と申し上げたところ、彼もそのように考えてらっしゃるとのことでした。このあたりは、今後の研究で明らかになっていくかと思います。
(2)
Furuya S, Osu R, Kinoshita H (2009) Effective utilization of gravity during arm downswing in keystrokes by expert pianists. Neuroscience 164(2):822-831
(3)
Spraker MB, Corcos DM, Vaillancourt DE (2009) Cortical and subcortical mechanisms for precisely controlled force generation and force relaxation. Cereb Cortex 19(11):2640-2650
(4)
ちなみに、本稿でご紹介しているのは、「エコ・プレイ」のための基本的な技術の一部についてです。オクターブの連打やトレモロ、アルペジオにおいても、無駄な力を減らすスキルについて現在研究しておりますので、成果がまとまり次第、改めてお話させていただきます。

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古屋 晋一(ふるや しんいち)
上智大学 音楽医科学研究センター(MuSIC)センター長,ハノーファー音楽演劇大学 客員教授.大阪大学基礎工学部を卒業後,同大学大学院医学系研究科にて博士(医学)を取得.ミネソタ大学 神経科学部,ハノーファー音楽演劇大学 音楽生理学・音楽家医学研究所にて勤務した後,2014年度より現職.アレクサンダー・フォン・フンボルト財団研究員,日本学術振興会特別研究員PDおよび海外特別研究員などを歴任.音楽家の脳と身体の研究分野を牽引し,マックスプランク研究所(ドイツ)やマギル大学(カナダ),ロンドン大学(イギリス)をはじめとする欧米諸国の教育・研究機関における招待講演や,国際ジストニア学会や国際音楽知覚認知学会,Neurosciences and Musicといった国際学会におけるシンポジウムのオーガナイズを多数行う.また,ヨーロッパピアノ指導者協会(EPTA)をはじめとする国内外の音楽教育機関において,演奏に結びついた脳身体運動科学の講義・指導を行う.学術上の主な受賞歴に,ドイツ研究振興会(DFG)ハイゼンベルグ・フェローシップ,大阪大学共通教育賞など.主なピアノ演奏歴として,日本クラシック音楽コンクール全国大会入選,神戸国際音楽コンクール入賞,ブロッホ音楽祭出演(アメリカ),東京,大阪,神戸,奈良でのソロリサイタルやレクチャーコンサートなど.主な著書に,ピアニストの脳を科学する,ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと.ランランとのイベント,ビートたけし氏との対談,NHKハートネットTVへの出演など,研究成果を社会に還元するアウトリーチ活動にも力を入れている.東京大学,京都市立芸術大学,東京音楽大学にて非常勤講師を併任.アンドーヴァー・エデュケーターズ公認教師.www.neuropiano.net
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