第07回 「力み」を正しく理解する (1)力み(りきみ)とは何か?
演奏していたり、レッスンをしていると、「身体のここが力んでる」と気づかれることがあるかと思います。ピアノに限らず、楽器を演奏する人間にとって、「力み」は切っても切れない関係にあると言っても過言ではありません。では、この「力み」とは、具体的にどんな現象を指すのでしょうか?
身体を動かすためには、筋肉が収縮しなければいけません。ですから、筋肉の収縮そのものを「力み」と言うと、どうも違和感があるかと思います。ここでは、力みという現象を、「演奏に不必要な筋肉の収縮」と定義することにしましょう。そうすると、力みとは、筋肉に起こる2つの現象に大別することができます。ひとつは「同時収縮」、もうひとつは「フォーム保持の収縮」です。
同時収縮については、以前少しご説明しましたが、曲げる筋である「屈筋」と、伸ばす筋である「伸筋」が同時に収縮する現象です。両方の筋が縮もうとする力を発揮しているため、骨は両方向から引っ張られ、動きません。言い換えると、「筋肉は収縮して力を発揮しているのに、関節は動かない」のです。つまり、同時収縮の働きは、関節を動かすことではなく、関節を固めることです。
(図1)
同時収縮を理解するために、模式図を用いて考えてみましょう(図1)。今、ボールの両端に、ロープがくっついているとします。ロープがたるんでいると、ボールを叩けばボールは動きますよね。しかし、ロープを両方から引っ張っていると、ボールを叩いてもボールは動きません。ボールを骨、それぞれのロープを屈筋と伸筋だとすると、両方のロープがボールを引っ張っている状態が、まさに同時収縮です。
レッスンで生徒さんの肘や手首が力んでいるかを調べるために、生徒さんの腕を持ってゆすってみる先生がいらっしゃいますが、これはまさに、上の「ボールを叩く」と同じことをしているわけで、関節の硬さを調べる上での正しい方法です(1)。
さて、脳が同時収縮によって関節を固める意味は、主に2つあります。一つ目は、鍵盤から指先に加わる力に抗するためです。指先が鍵盤に力を加えると、同じだけの力を鍵盤は指先に対して加えてきます。ここで、関節が全く固まっていないと、鍵盤からの力に負けてしまって、音が鳴りません。タコの足を思い浮かべてください。タコの足を思いっきり速く振って、ピアノの鍵盤を叩いても、大きな音は鳴りませんよね(2)。
二つ目は、動作の正確性を高めるためです。私たちは、100%思い通りの動きを正確に作り出すことはできません。その理由の一つは、脳から筋肉に送られる指令にノイズが入っているためです。たとえば、50の力を筋肉が出そうとしても、ノイズのせいで、実際に筋肉が発揮する力は、48とか52とかいった大きさにバラついてしまいます。結果、動作は不正確になるのですが、関節が固ければ、ノイズが脳からの指令に混入しても、筋力のバラつきが動きにあまり反映されないため、狙った動きを生成できるというわけです。これは経験的に理解できることで、針の穴に糸を通そうとすると、指先の震えを減らそうとして、指や腕、あるいは肩に力が入りますよね。この時の同時収縮は、まさに脳が「動作を正確に行おう」と思った結果、起こっています。
(図2)
力みの二つ目は、「フォームを保持するための筋収縮」です。私たちの関節は、筋肉が完全にリラックスした状態から少しでも離れた角度を保つためには、筋肉を収縮させる必要があります(図2)。例えば、指を動かす筋肉が完全に弛んでいれば、指全体がやや曲がった状態になりますので、全ての指を真っ直ぐに伸ばした状態に保つには、関節を伸ばすための筋肉を収縮させ続けないといけません(3)。
身近な例では、コップやグラスを持つとき、小指を立てる人がいます。これは小指を伸ばす筋肉を収縮し続けて、指を立て続けているわけです。
したがって、ピアノを弾くときに「打鍵する指」だけでなく、「打鍵していない指」のフォームも、筋肉の力みを決定する大きな要因になります。コップの例でわかるように、往々にしてこのフォーム保持の筋収縮は"無意識に"起こります。これはとても大切なことです。意識の向けられにくいことだからこそ、しっかり意識を向けられる練習やレッスンのうちに、「本当にその手指のフォームが、目標とする表現を作りやすいのか」についてよく考える必要があります。
もう一つ大切なのは、自分にとって自然な手のフォームについてです。曲げる筋と伸ばす筋がリラックスした状態が、自然な手のフォームですが、これは筋肉そのものの硬さや他の解剖学的な特徴によって決まります。筋肉の硬さは人によって違いますし、練習によってやわらかくなったり、疲労して硬くなったりもします。ですから、自然なフォームは一人ひとり違いますし、今日と1ヵ月後では多少変わっているかもしれません。演奏時の力みに悩まれてらっしゃる方は、まず自分の自然な手のフォームはどんなものかをよく観察してみることが、力みを理解する手がかりになるかと思います。
今回お話した「同時収縮」と「フォーム保持の筋収縮」をどうすれば軽減できるかについての科学的知見は、後の「エコ・プレイ」の章で詳述します。
【脚注】
- (1)
- 科学の分野でも、関節の硬さを調べるために、「外部から身体に力を加える」という手法が使われており、関節の硬さは「ある一定の力を外から加えたときに動く量」と定義されています。(Lacquaniti et al. 1992 Journal of Neurophysiology; Milner et al. 2002 Exp Brain Res)
- (2)
- 全くの蛇足ですが、タコが餌を取る時には、足を部分的に固めて人間の関節のように足を使うことが知られています。(Sumbre G, Fiorito G, Flash T, Hochner B. "Octopuses use a human-like strategy to control precise point-to-point arm movements" (2006) Curr Biol)
- (3)
- 屈筋と伸筋がそれぞれ発揮する力のバランスによって、関節の角度は決まります。これを、「平衡点」と呼びます。まず、図1のヒモが「バネ」になったと考えてください。片方のバネだけが硬くなると(=筋肉が収縮して硬くなると)、ボールは、硬くなったバネのある方に移動しますよね。これをよりわかりやすくしたのが図2です。手のフォーム(=指の関節の角度)が変わるとき、こういうことが筋肉では起こっているのです。
上智大学 音楽医科学研究センター(MuSIC)センター長,ハノーファー音楽演劇大学 客員教授.大阪大学基礎工学部を卒業後,同大学大学院医学系研究科にて博士(医学)を取得.ミネソタ大学 神経科学部,ハノーファー音楽演劇大学 音楽生理学・音楽家医学研究所にて勤務した後,2014年度より現職.アレクサンダー・フォン・フンボルト財団研究員,日本学術振興会特別研究員PDおよび海外特別研究員などを歴任.音楽家の脳と身体の研究分野を牽引し,マックスプランク研究所(ドイツ)やマギル大学(カナダ),ロンドン大学(イギリス)をはじめとする欧米諸国の教育・研究機関における招待講演や,国際ジストニア学会や国際音楽知覚認知学会,Neurosciences and Musicといった国際学会におけるシンポジウムのオーガナイズを多数行う.また,ヨーロッパピアノ指導者協会(EPTA)をはじめとする国内外の音楽教育機関において,演奏に結びついた脳身体運動科学の講義・指導を行う.学術上の主な受賞歴に,ドイツ研究振興会(DFG)ハイゼンベルグ・フェローシップ,大阪大学共通教育賞など.主なピアノ演奏歴として,日本クラシック音楽コンクール全国大会入選,神戸国際音楽コンクール入賞,ブロッホ音楽祭出演(アメリカ),東京,大阪,神戸,奈良でのソロリサイタルやレクチャーコンサートなど.主な著書に,ピアニストの脳を科学する,ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと.ランランとのイベント,ビートたけし氏との対談,NHKハートネットTVへの出演など,研究成果を社会に還元するアウトリーチ活動にも力を入れている.東京大学,京都市立芸術大学,東京音楽大学にて非常勤講師を併任.アンドーヴァー・エデュケーターズ公認教師.www.neuropiano.net