子どもの可能性を広げるアート教育

第08回 「ラ・ロック・ダンテロン音楽祭リポート」

2008/10/01
【今週のお勧めサイト】 ラジオ・フランス放送局
毎週一人の作曲家を取り上げるコーナー。今週は、フランス革命期に活躍したフランソワ=ジョセフ・ゴセック。過去放送も試聴可。月~金20時~21時半(日本時間)

南仏の素朴な風景は、かつてセザンヌやゴッホを魅了した
南仏の素朴な風景は、かつてセザンヌやゴッホを魅了した
照りつける南仏の太陽、日差しを優しくおおう木々、セミの鳴き声、自然の息吹の中で聴こえてくるピアノの音色・・・。
ラ・ロック・ダンテロン(La Roque d'Antheron)は、アヴィニョンとエクス・アン・プロヴァンスの間に位置する小さな村である。人口5,000人あまりで、車で村を通り抜けるのに10分とかからない。そんな小さな村で音楽祭が始まって28年、世界中の音楽ファンを魅了し、今や世界最大のピアノの祭典の一つとして知られている。 今年は7月19日?8月22日まで開催され、アルフレッド・ブレンデル、アルド・チッコリーニ、グレゴリー・ソコロフ、ダン・タイ・ソン、アルカディ・ヴォロドス、ボリス・ベレゾフスキー、若手のラファウ・ブレハッチ、プラメナ・マンゴヴァ等の国際コンクール優勝・入賞者、ジャズ界の重鎮ハービー・ハンコック等など、アーティスト総勢400名が出演、全99公演が行われた。1ヶ月間でのべ80,403人が来場し、その規模の大きさが伺える。
ラ・ロック・ダンテロン音楽祭リポート
● 南仏の森の中に、音楽が流れる
森の中に作られたコンサートホールは約2300人を収容。
森の中に作られたコンサートホールは約2300人を収容

ホールはまさに森の中にある。約2300人を収容するメイン会場Parc du Chateau de Floranは、半球型のドームでステージが覆われ、その周りをぐるっと細い池が取り囲んでいる。夕方18時、夜21時から行われるコンサートは、昼の暑さから解き放たれ、毎晩のように心地よい音楽の夕べを演出してくれる。
この会場では、主にピアニストによるソロ・リサイタルや室内楽が行われるが、「Nuit du Chopin(ショパンの夕べ)」 「Nuit du Piano(ピアノの夕べ)」「Nuit de la Decouverte(発見の夕べ)」といったテーマ別の催し物も企画されている。中でも「Nuit du Piano」は長い夏の夜を存分に楽しめるよう工夫されており、20時、21時半、23時開演の3枠を、一人のピアニストが様々なアーティストとコラボレーションするというもの。共演者によって音楽の作りが変化し、楽しみが倍増する。

ミッシェル・ベロフによる迫真のメシアン
ミッシェル・ベロフによる迫真のメシアン (c)Jaune PASCAL

さて筆者が到着した日、メイン会場ではミッシェル・ベロフによるメシアン「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」(全曲)の演奏会が行われた。開演は夜21時、すでに日は暮れ、夜風が冷たい。かすかに木がざわめく音が聞こえる。
しかしベロフの澄み切った音色に、自然の音を凌駕する和音の連なりに、いつしか肌寒さも葉擦れの音も忘れて聴きいった。喜び、力強さ、神聖さ、畏怖、・・・壮大かつ深遠な世界観が描き出され、自然の中に放たれていく。しかしそのまま消え去るのではなく、強く静かなる主張をともなって我々の耳に宿った。自然の中で弾くのは「インスピレーションが沸く」と、ベロフ本人は終演後に語っていた。
アンコールが終わり、会場を後にする頃には、すでに23時を過ぎていた。音楽祭の聴衆のために、期間中は朝4時まで店が開いているという。長い夜をゆったり過ごすのにふさわしい、余韻のある演奏会であった。

土曜日の午前中にたつ村のマルシェ。新鮮なオリーブが並ぶ。
土曜日の午前中にたつ村のマルシェ.新鮮なオリーブが並ぶ.
「ダダダ・・・」という音に振り返ると、ピアノがトラクターで運ばれてゆく最中
「ダダダ...」という音に振り返ると,ピアノがトラクターで運ばれてゆく最中
プログラムを配るパパのお手伝い。
プログラムを配るパパのお手伝い。
公演の写真や掲載紙が掲示板に貼り重ねられていく。作業はボランティア・スタッフ。中には各地の音楽祭でボランティアを務めるベテランも。
公演の写真や掲載紙が掲示板に貼り重ねられていく.作業はボランティア・スタッフ.中には各地の音楽祭でボランティアを務めるベテランも.
● 8万人の聴衆を魅了する企画~プロヴァンス一帯に広げて

それにしても、この小さな村のどこに、世界中のアーティストを集め、数万人の聴衆を受けとめる力があるのだろうか?
今回は、同音楽祭の創設者であり、現在も芸術監督として全公演を企画・統括するルネ・マルタン氏にお話を伺った。氏は日本でもおなじみラ・フォル・ジュルネを、1995年にナント市で立ち上げた立役者である。1981年に始めたラ・ロック・ダンテロン音楽祭に、氏のプロデューサーとしての原点があるといえそうだ。

「この28年間、聴衆はどんどん増えています。ここ10年間は平均して6万人、今年はのべ約8万人の方にご来場頂きました。」
メイン会場だけでなく近郊の教会や古城も利用し、会場は合計12箇所。ホールという「点」ではなく、ラ・ロッ ク・ダンテロンを中心としたプロヴァンス地方という「面」を余すことなく生かしている。聴衆は地元住民が約半数だそうだが、パリや国内の地方都市、海外からやってくるファン人も多い。車で会場を移動しながら、音楽とともに南仏の雰囲気全体を味わっているのだ。

聴衆の数は28年間でほぼ9倍の成長を遂げているが、アーティストの魅力や演奏力に加え、企画にも工夫があるのだろう。全99公演のうち、14公演は無料である。また未来の聴衆を育てるべく、大人チケット1枚に対し、子供1人が無料入場できる演奏会もある。
では、プログラムはどのように構成されているのだろうか。

「同じエスプリのものを同じ日に組み合わせるなど、プログラムには関連性を持たせています。たとえば今年は、2005年ショパン国際コンクール優勝者ラファウ・ブレハッチを招聘しましたが、同日の夕方18時の部には、次期優勝候補と私が期待する若いピアニストを入れました。
現代曲を集めることもありますし(ジャズもある)。ジャンルが違うものでも、一本の糸でつなげるようにしています。
全体構成、出演アーティスト、演奏曲目の選択は、すべて私一人で手がけています。これは大変やりがいがあります。ラ・フォル・ジュルネの時は約700曲ありました。そのために、日ごろから沢山音楽を聴くようにしています。自宅には、2万枚のCDを所有しています。最近は日本に行く度に、毎回50枚ほどのCDを購入しているんですよ。マックス・レーガーなど、まだ聴いたことがない曲もありますので。とにかくすべてのジャンルの音楽を聴くようにしています。」

氏はバルトーク作品との出会いによって、ロックからクラシック音楽に転身した経歴を持つ。時代・様式・ジャンルを自在に超える柔軟な企画力は、そこで養われたものだろう。

ラファウ・ブレハッチはショパンの24の前奏曲、ドビュッシーの版画などを演奏。
ラファウ・ブレハッチはショパンの24の前奏曲,ドビュッシーの版画などを演奏
(c)Jaune PASCAL
2008年グラミー賞年間最優秀アルバム賞を受賞した、ハービー・ハンコックのステージ
2008年グラミー賞年間最優秀アルバム賞を受賞した,
ハービー・ハンコックのステージ.(c)Xavier Antoinet
チッコリーニ演奏 (c)Jaune PASCAL
チッコリーニ演奏
(c)Jaune PASCAL
● 現代曲も多くプログラムに~メシアン生誕100周年に際して

プログラムはバッハベートーヴェンブラームスリストなどの古典やロマン派も多いが、現代曲が多く演奏されるのも同音楽祭の特徴の一つ。今年はメシアン100周年にあたるが、思い入れはいかに?

「メシアンはとても好きな作曲家です。『峡谷から星たちへ・・・』『トゥランガリーラ交響曲』『神の御前における3つの小さな典礼(Trois Petites liturgies de la presence divine)』など、プログラムに入れたことがあります。『幼子イエスに注ぐ20の眼差し』は、これまで5回入れてますね。すべて違うピアニストが演奏しました。」

児玉桃やダヴィッド・グリマル(vn.)ら
(c)Jaune PASCAL

今回は8月中旬の2日間、メシアンのレクチャーを午前中に、夜にコンサートを組んだ。レクチャーはフローラン・ボファールが、コンサートは前述のベロフ、そして児玉桃やダヴィッド・グリマル(vn.)らが「ピアノとヴァイオリンのための幻想曲」*、「世の終わりのための四重奏曲」等を演奏した。 (*2006年、児玉桃らにより同音楽祭で世界初演)

昨年もシュトックハウゼン等、20世紀音楽を多くプログラムに入れたという。来年は1週間にわたり、ボファールによる現代曲のアナリーゼ講座が予定されている。

3夜に渡るモーツァルト協奏曲の夕べ(ソリストはセヴェリン・フォン・エッカードシュタイン)(c)Xavier Antoinet
3夜に渡るモーツァルト協奏曲の夕べ(ソリストはセヴェリン・フォン・エッカードシュタイン)(c)Xavier Antoinet
終演後、多くの聴衆にサインを求められるアンドレイ・コロベイニコフ
終演後、多くの聴衆にサインを求められるアンドレイ・コロベイニコフ
● 新しい価値観の発信~ピアノ協奏曲の世界初演も

常に新しい曲、新しい企画に挑戦するマルタン氏だが、コンチェルトの作品選択にも工夫がある。
モーツァルトのコンチェルトは、毎年3、4公演入れています。ここプロヴァンスでは夏の夜、よくモーツァルトが演奏されるのですが、本当に素晴らしいですよ。
来年は3つの新しい協奏曲を予定しています。普通のコンサートでは、一度たりとも演奏されたことがない作品です。19世紀初頭にフランスで活躍したフェルディナンド・エロール(1791~1833)という作曲家で、シューベルトと同時代人です。オペラを作曲しオペラ・コミックで演奏されたこともありますが、ピアノ協奏曲も素晴らしいのです。(来年の)ラ・ロック・ダンテロン音楽祭が、世界初演になります。」

ラ・ロック・ダンテロン音楽祭から、新しい人や価値観を生み出したいという意志は、若手アーティストの発掘・支援にもつながっている。
今年もショパン国際コンクールやエリザベト王妃国際コンクールなどの優勝者や入賞者を招聘し、その才能に活躍の場を与えている。また「La nuit de la Decouverte(発見の夕べ)」と題されたコンサートでは、2006年ダブリン国際コンクール優勝者で、来日経験もあるロマン・デシャルム等が出演した。
マルタン氏曰く、「ラ・ロック・ダンテロン音楽祭で若手アーティストのクオリティを保証し、世界に向けて発信するのです。まだ勉強中の若いピアニストにも注目しています。たとえばジャン・フレデリック・ヌーベルジェとか、アンドレイ・コロベイニコフ等も才能がありますね。」

ロシアの新鋭コロベイニコフは、5年前(当時17歳)から知っているという。すでに2004年スクリャービン国際コンクール優勝という経歴を持つが、コンサートではスクリャービンの鋭敏な感性と激情を音楽の細部に盛り込み、満員の聴衆は拍手喝采と足踏みでその演奏を讃えていた。マルタン氏には数年前から、その光景が見えていたのだろう。「若いアーティストに成長の機会を与え、末永く見守るのも楽しみの一つ」と語る。

マルタン氏
ルネ・マルタン氏
(c)Yoko TSUNEKAWA


この音楽祭には、何年も通い続ける常連の聴衆やボランティア・スタッフも多い。ここには世界中から集まる一流アーティスト、演奏者の魅力やピアノ曲の面白みを引き出す企画、そしてアットホームな雰囲気がある。音楽は楽しむものという原点、そして童心に帰れる空間なのかもしれない。 来年は2009年7月24日~8月22日に開催予定。ピアノ協奏曲(エロール)の世界初演もあり、新しい音楽と出会う場としても、楽しめるだろう。


<お知らせ>

ルネ・マルタン氏プロデュース
「Le Journal Musical de Chopin~ショパンの音楽日記」

2008年11月27日~30日 東京オペラシティ・コンサートホール

2009年度ラ・ロック・ダンテロン音楽祭
2009年7月24日~8月22日

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筆者ブログ:パリの音楽・アート雑記帳


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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