第06回 「「感」から「知」に変える、音楽の聴き方~フランスの小学校で行われた実験」
音楽を聴いた時に感じる情動(感動)を、動きで表現する―リトミックの考え方は主に幼児音楽教育に取り入れられていると思います。今回ご紹介するのは、フランスの一般小学生を対象に行われた「音楽聴取と動きの相関性」に関する実験。身体を動かしながら音楽を聴くことで、ただリズム感や音楽性が高まるだけでなく、より高度な知覚を働かせる効果があることが分かりました。さて、それは・・・・? |
よく、「子どものうちから、良い音楽をたくさん聞きなさい」と言います。良い音楽は、情操教育に効果がある、精神を向上させる、耳が養われる、楽器で良い音が出せるようになる等、様々な説があります。
では、良い音楽とは何でしょうか?誰もが美しいと認める音楽、あるいは、何度も聴いているうちに面白さを発見できる音楽、ある特定の状況が想起されて気分が高揚する音楽、自然に涙が出てくる曲・・・。
人それぞれ、音楽を聴いた時に生じる情動は異なります。例えば、「あのピアニッシモに鳥肌が立った」「突き刺すようなリズムで、心臓がばくばく高鳴った」、また「自分がお花畑にいるような楽しい気分」「空を羽ばたいているような気持ち」など、子どもにも様々な感情レベルでのリアクションがあります。どの場合も、程度の差はありますが、音楽と自分の感情が結びついています。それは、世間的に高く評価されている音楽や演奏、といった外部による価値判断ではなく、自分自身の内にある潜在的な判断基準に委ねられています。
チュイルリー公園:広い空間で身体を動かしてみると、音楽の感じ方がちょっと変わる? |
では音楽の聴き方によって、感情は変化するのでしょうか?又それは、知覚にどのような影響があるのでしょうか?
フランスに、音楽の聴取と身体の動きの相関性を研究した本「Musique & Mouvement a l'ecole」(Simonne Marques著)があります。これはパリ市内のある小学校で行った実験を基にしています。(対象は一般の小学生100人で、音楽経験がない子が多い)
まず何もない広い空間で、小学生に音楽を2回聞かせます。音楽は、現代作曲家が実験用に書き下ろした5小節のトランペット曲。1回目は座ったままで、2回目は聴きながら自由に動いてもらいます。そして聴取した後、白紙に自分の感想を書き(各10分)、その後あらためて1回目と2回目の感想の違い、つまり自分の感情にどのような変化があったかを、自分で分析して書き記します(10分)。
すると、どの児童も1回目と2回目で、驚くほどの違いが出ました。1、2回目と異なるシチュエーションを想像した子、1回目は第三者を、2回目は自分を主人公にして場面描写した子、2回目は細かい音やリズムまで聴きとって反応した子・・・、子ども達のリアクションは実に様々です。
下記にその一部をご紹介します。
|
|
人間は数千年前から、様々な動きをしていた・・・!(ルーブル美術館/チュイルリー公園) |
Benoit君の場合は、1回目と2回目で違うイメージを思い浮かべています。これは音楽から受けた刺激は同じでも、自分の中に蓄積された異なる心像(イメージ)と結びついた結果です。このように、動物や人間が登場する情景と結びつけた感想は多かったようですが、2回目の方が登場する生き物と自分の距離が近いのが伺えます。
一方Nathalieちゃんの場合は、座ったまま聴いた1回目は、客観的に音楽を評価する内容で、やや冷静な聴き方。2回目では音楽と一体化し、メロディやフレーズ、強弱といった音楽の諸要素にもっと意識を向けています。
この児童たちの反応から、身体動作を通じて能動的に感情移入することで、音楽をより的確に理解しようと努めています。
筆者は同様の実験をドビュッシー前奏曲第1巻5曲目「アナカプリの丘」でも行い、やはり同じような結論を引き出しています。児童の一人は、「1回目は自分が音楽を"見ている"感じ、2回目は音楽に"触れている"感覚がした」と記しており、音楽が身体に内在化してきているのが分かります。
音、響き、フレーズ、メロディ、リズム、表現方法・・・、どれに反応するかは子ども次第。筆者はそれらをより敏感に感じとるための「動き」の重要性について、こう分析しています。
「動きはアナリーゼの一手段であることが、明らかになった。心の中のイメージを意識的に参照しているか否かに関わらず、子どもは判断し、評価し、感じ取り、身体で記憶する。動きは単に、よりよく音楽を理解するための手段、というだけではなく、むしろ音がどう鳴っているのかを正確に知るための方法なのである。」
さらに、この実験は音楽知識を問うものではないとした上で、「問題はどの作曲家を選ぶか、あるいはどの作品を選ぶかではなく、教育プランの水準なのである。子どもが何を聴き、知覚し、感受し、理解したか、なのだ。このように定義すると、作品や音響の選択はより広がる」と述べています。
街角音楽隊:シテ島の橋の上で、ちょっと演奏を。道行く人は足をとめて聴いたり、ミュージシャンをデッサンしたり。 |
つまり、音楽をどう聴くかが大切、と示唆しています。馴染みのない音楽や響きであれ、自分の身体をその音楽に合わせて動かすことで、耳と身体感覚を研ぎ澄ませるだけでなく、より高度な知覚の働きへと繋げることができる。自分が感じたことを紙に書きとめることも、重要なプロセスでしょう。
この実験は一般小学生を対象にしたもので、音楽を学んでいる皆さんは、もっと耳が肥えていると思います。
音楽をより的確に理解するためのアナリーゼも重要ですが、一度鍵盤を離れ、広い空間で、音楽を聴きながら身体で思い切り表現してみるのもいいかもしれませんね。
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/