第03回 「Fete de la Musique~音楽と戯れる1日」
6月21日は「音楽フェスティバルの日」。この日は日照時間が一番長い夏至の日にあたり、これを境に、暦の上でも夏に入る。全ての公共施設、道路が無料開放され、あらゆる世代・年齢・国籍の人が、プロ・アマ問わず、演奏者または聴衆として、様々なジャンルの音楽に触れることができる。 このフェスティバルは1980年代のミッテラン政権下、当時文化大臣であったジャック・ラング(Jack Lang、現社会党)と、音楽・舞踊部門ディレクターのモーリス・フルーレ(Maurice Fleuret)が1982年に始めたものである。当時の調査によれば、子どもの2人に1人が楽器を習っているにもかかわらず、「音楽は至るところにあるのに、演奏の場がない」とフルーレ氏。そこで、「アマチュアにもプロと同じく、演奏の場を提供しよう。クラシック、ロック、ジャズ、合唱、伝統音楽、世界の民謡、全てのジャンルを取り込もう」と大胆な計画が打ち立てられたのである。その後、音楽界の潮流の変化に伴い、ワールド・ミュージック、ラップ、テクノなど、新しいジャンルの音楽も次々取り入れられていった。まさに、音楽にはヒエラルキーが存在しない、ことを体感する日ともいえる。 |
さてこの日の午前中、ある小学校の合唱発表会へお邪魔した。1年前にできたばかりのこの新しい小学校は、半地下階に小さなホールがあり、大きなカーブを描いたガラス窓から光が差し込み、明るく開放的だ。見学したのは、小学校1・2年生合同クラス。
この日のために子ども達が練習したきたのは、フランスのシャンソン4曲(Mamadou,Casimir et Tintin、Mon ane、Une chanson douce、La sorciere Grabouilla)と、最後は自分たちで作詞した1曲。
入場行進の前、隣の部屋で「おー!」という気合を入れる声に続いて、約35人の小さな合唱団が登場!先生の身振りの大きな指揮にしたがって、身体でリズムを刻みながら歌ったり、ノリノリの子がいたり、ちょっとはにかみながら歌う子がいたり。とても元気な歌声に、保護者の表情もつい緩む。まだ幼稚園くらいの小さな子が、「あたしも、歌いたい?」と客席でお母さんの袖をひっぱていた。
3曲目では、魔法使いの格好をした子2人が前に出てきて、歌詞に合わせて面白いポーズをする。もう2人は、ミニ・ドラムでタッカタカタカ・・とリズムを取る。とても楽しい曲で会場が沸いた。
そして最後の曲『Athena(アテナ)』になると、子どもたちの声がひときわ大きくなった。「昔むかし、アテナという女神がいました・・・」という歌詞で始まる。実はこの曲、学校で習ったギリシャ神話をもとに、子ども達が自分たちでアイディアを出し合って、約3ヶ月かけて創り上げた歌なのだ。そこにお母様の一人が音楽をつけ、ギターで伴奏し、とても雰囲気ある1曲に。自分たちが作った歌を合唱する嬉しさと、歌にこめられた皆の愛情が伝わってきた。ある子は、お風呂の中でもこの歌をずっと口ずさんでいたそうだ。録音されたCDは、この夏の思い出とともに、子どもたちの一生の宝物になるだろう。
この作詞プロジェクトについては、また今後の連載でご紹介したいと思う。
小学校を後にして街中に出ると、ギラギラした日差しが目に飛び込んでくる。「そうか、今日から夏なんだ・・・!」
そんな暑さもお構いなく、街中では至るところでミュージシャンが楽器を鳴らしながらステージ・セッティングをし、観客が周りを少しずつ取り囲みながら、開演の時を待っている。
メトロに乗ってパリ20区に移動。Cite de la Musique(第1回連載で紹介)では、外に子ども用のトランポリンが置かれていて、たくさんの子どもがぽんぽん跳ねて遊んでいた。館内では、ロック、ジャズ、クラシック等、コンサートが1時間毎に楽しめる。子ども向けのロックコンサートに顔を出すと、「みんな、楽しんでる??」という歌手の掛け声に、「ウィー!」と子どもたちの元気な声が聞こえた。このコンサートは、いつ入っても、いつ出てもOK。しかも、全て無料なのだ。他にもスティール・ドラムやガムランを弾くアトリエなど、楽器に実際に触れて楽しむコーナーもあった。
さてこの日はルーブル美術館でも、Fete de la Musique特別企画として、パリ管弦楽団によるコンサートが開かれた。
午後21時20分、ガラスのピラミッドの入り口ドアが開き、ずらっと並んだ長蛇の列が少しずつ動き出す。さすが夏至の日、まだまだ日差しは明るい。
ルーブル美術館のガラスピラミッドの下のチケット販売ロビーは、広いホール状になっており、そこからドノン、リシュリュー、シュリー翼の3館へつながっている。普段は見物客でごった返すロビーも、この日はコンサートのために開け放たれたが、あっという間に1000人を超える聴衆で空間が埋まっていく。家族連れ、若いカップル、学生の集団、老夫婦、観光客・・・。筆者はドノン翼入り口付近の、ステージ全体が見える場所を確保した。
22時、ピラミッドのガラス窓から差し込む光が少し翳ってきた頃。オーケストラに続いて、指揮者のパーヴォ・ヤルヴィが登場し、聴衆から大きな拍手と歓声が上がる。ロシアの大地に響き渡るような、ホルンとファゴットのファンファーレから始まるチャイコフスキー交響曲第4番。雄大かつ静かな重みに満ちた音楽は、聴衆のみならず、ルーブルに眠る美術品にまで届くようである。
第2楽章ではやや牧歌的で優しい音色の変化が、聴衆の心に染み入っていく。思わず隣で聴いていた人と、目を合わせる。「モナリザはちょっと遠いけど、ミロのヴィーナスは聴こえているかしら」
コンサートホールの座席で聞くのとは一味違い、美術館の床に座って、あるいは彫刻を横目に見ながら、あるいは隣の人と肩が触れる距離で、自分なりの姿勢と角度で音楽を聴けるのも、また面白い。
第4楽章で第1楽章冒頭のテーマが再現される頃、ガラス・ピラミッドの上をふと見上げると、美しくライトアップされたリシュリュー館が見えた。ようやく、夜の帳が下りた。
そして最後の指揮棒が振り下ろされた瞬間、聴衆からは大歓声、ブラボーの嵐が沸き起こる。
おそらくこの瞬間、聴衆は、ただただ楽しんでいた。その場にいることを。
コンサートが終わり、熱気に包まれたガラスのピラミッドを出ると、さらっと涼しい夜風が身体を通り抜ける。噴水の水がさやさやと流れ、ほとぼりを冷ましてくれる。23時。誰も家に帰らず、子ども達はピラミッド前で走り回ったり、カップルはルーブルの噴水に腰かけてくつろいだり、友人と話に興じたり、近くのバーに繰り出したり。そう、この日は明け方まで交通機関が動いていて、レストランやバーもコンサート帰りの客を迎え入れてくれる。教会や道端では、夜更けまでコンサートが行われ、街のどこを歩いても、ピーピー、プカプカと音がしていた。メトロに乗り込んでくる学生たちは、手に手にドラムを持ち、プラットホームでも大騒ぎ。ま、今日だけは大目に見ようか――周りの乗客も、どことなく緩やかだ。「今日は音楽と戯れる日なんだから。」
このfete de la musiqueは、今世界中に飛び火している。1985年以降、ヨーロッパ、南米、アフリカ、アジアまで輸出され、現在では5大陸100ヶ国で開催されているそうだ。
New Yearのように、世界同時中継で音楽を楽しむ、そんな日も近いかもしれない。
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/