第02回 「ドビュッシーの音楽を、絵本で楽しむ」
ドビュッシーのバレエ音楽『おもちゃ箱(La Boite a Joujoux)』を、聴いたことはありますか?ドビュッシーが愛娘シュウシュウのために作曲し、ストーリー執筆も手がけました。それが約100年の時を経て、現代風にアレンジされ、1冊の絵本になりました。 絵とストーリーを読みながら、ドビュッシーの音楽を聴く。―さて、子ども達はどんな反応をするのでしょう? 今回は、絵本出版社ディディエ・ジュネス社ディレクターのミッシェル・モローさん(Mme.Michele Moreau)、音楽担当のダヴィッド・パストール氏(M.David Pastor)に、絵本製作のプロセスや読者の反応についてお話を伺いました。
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"ここはおもちゃ箱の世界。毎日毎朝行進を続けるおもちゃの兵隊さんは、ある日可愛らしい女の子シュウシュウと出会います。二人は恋に落ちますが、「恋をした兵隊は10日間禁固の刑」を言い渡され、自由のきかない身に。さらに友人の道化師が横恋慕し、シュウシュウのハートを奪ってしまいます。さて二人はどうなる・・・?"
ちょっと緊張感のあるストーリー。この『おもちゃ箱』は、『子どもの領分』(1906?1908)に続き、愛娘シュウシュウのために書かれたピアノ曲である。フランス国内でもあまり知られていないこの曲を、なぜ絵本にしようと思ったのだろうか。この企画を提案したのは、ホルン奏者ダヴィッド・パストール氏が率いるアンサンブル・アゴラ(Ensemble Agora)。リヨン国立オペラ座オーケストラ所属メンバーが中心となっている。企画・音楽担当のパストール氏にお話をお伺いした。
「この曲は子どもが聴くのに適していますし、全編35?40分なので、子ども向けのコンサートにもちょうど良い長さです。以前アンサンブル・アゴラで『子どもの領分』をオーケストレーションした経験があったので、この『おもちゃ箱』ピアノ譜も、アンサンブル用にオーケストレーションできるのでは、と考えたのです。そして絵本出版社ディディエ・ジュネス社に、この音楽で何かしたいと提案しました。
ドビュッシーの友人アンドレ・キャプレが完成させたオーケストラ譜もありますが、なぜピアノ譜を使用したかというと、音色、色彩をどんどん広げていくことができるからです。フルート(ピッコロ、バス)、バス・クラリネット、オーボエ、イングリッシュホルン、ファゴット、ハープが使われています。」
※オーケストレーション担当は、ファブリス・ピエール氏(M.Fabrice Pierre)。
ディディエ・ジュネス社では1988年より子ども用の絵本出版を始め、現在は音楽CD付の絵本も多く出版している。
今回の提案について、編集側ではどのような対応をしたのだろうか?ディレクターのミッシェル・モローさんが答えて下さった。
「ドビュッシー原作のストーリーが少し時代遅れな感じで、タイトルにある"joujoux"も19世紀的な古い単語でしたので、現代の感覚に合うように書き直す必要がありました。そこで作家のラスカル氏(Rascal)に、新しいストーリーを作ってもらうよう依頼しました。
完成するまで、色々話し合いましたね。おもちゃの兵隊さんや道化師(あやつり人形)等、登場人物は全て原作通りですが、内容はだいぶ異なります。けれど、街全体がもっと生き生きと活気づいた感じになりました。」
2年の製作期間を経て、2005年に出版された『おもちゃ箱』(1万刷)。CDにはドビュッシーの音楽に合わせて、ナレーションの声も入っている。ナレーターはオペラ歌手としてフランス国内外で活躍中のナタリー・デュセイさん(Natalie Dessay)だ。
「デュセイさんにはこの事務所に2回足を運んでもらい、ピアノの録音を聞きながら文章を読んでもらいました。私がそれを聞きながら、ストーリーと音楽が合うように微調整をしていきました。ラスカル氏に「この部分をもう少し短い文章にできるかしら?」等と相談しながらね。とても面白い作業でした!結果として、ストーリーと音楽を上手く合わせることができたと思います。」とモローさん。
ナレーションには、登場人物の性格や、状況の展開がはっきりと分かるように、表情豊かな声が欠かせない。さすがオペラ歌手、声色を使い分ける名手である。ちなみにシュウシュウの声色はすぐに決まり、道化師は色々なバージョンを試した結果、昔のパリジャンのような声に。その他、もったいぶった市長など、個性的な人物が次々登場する。ちなみにデュセイさん自身も小さい頃に、物語付きの音楽を聴いていたそうだ。
モローさんによると、「俳優がクラシック音楽と一緒に物語を語るのは、フランスで長く伝わる伝統です。ジャン・コクトー(Jean Cocteau)、ジェラール・フィリップ(Gerard Philipe)、ジャン・ロシュフォール(Jean Rochefort)、等、多くの俳優が朗読しています。プロコフィエフの『ピーターと狼』等が人気で、著名な俳優は毎年必ずを上演するんです。」
確かに、日本の落語CDのように、フランスでは朗読を吹き込んだCDがよく売られている。そして、クラシック音楽と物語の朗読という組み合わせも多い。純粋に音楽だけを聴くべき、という意見もあるかもしれないが、音楽と物語を結びつける試みに関して、音楽家はどのように考えているのだろうか?パストール氏の意見はポジティブだ。
「『おもちゃ箱』のストーリーが面白そうだから買おうかしら。あら、音楽もいいじゃない」というお客さんもいるでしょう。音楽だけだったら、買わないかもしれません。そう考えると、フランス国内だけでも、このCDが1万枚出回っているという事実は大きいですね。
ディディエ・ジュネス社はクラシック音楽普及にも一躍買っていて、絵本のイラストやストーリーによって、音楽を聴く行為をサポートしてくれています。<音楽+物語>というスタイルは、一つの提案なんです。」
では、『おもちゃ箱』を聞いた子ども達は、どのような印象を持っただろうか?
二人のお子さん(3歳と6歳の男の子)がいるパストール氏にお伺いした。
「初めて子ども達がこの絵本を読んだ時、まず冒頭のメロディーに反応していましたね。それから、道化師がシュウシュウに告白した後、『私、あなたのことも好きよ。でも弟みたいに思ってるの・・・』と言われるところが好きなようです。本当に理解できたかどうか分かりませんが、何か違いを感じるみたいですね。特に6歳の子は。デュセイさんは、この部分を特別な声色で語っているので、子どもには分かるようです。」
物語の世界にどんどん入り込む子ども達。では音楽はどのような効果を添えているのだろうか?
「短いメロディーが多様に変化しながら続き、フィーリングもそれに伴って様々に変化しながら、ストーリーが進んでいきます。
イングリッシュ・ホルンのソロは3箇所あり、とても静かなのですが、ストーリーの中でも重要な部分を占めています。例えば、兵隊が24時間だけ自由を認められ、喜び勇んでシュウシュウに会いに行く途中、噴水の水面に顔を映して身なりを整える場面です。
音楽が、人間の心情や感情、状況を、実によく描き出しているのが興味深いですね。」
喜びの瞬間を前に、早まる気持ちを抑えて、少し冷静になる一瞬。そんな一言では言い表せない心情を、音楽が代弁しているようである。
さらにパストール氏によると、この音楽は全編を通して面白い仕掛けがあるそうだ。
「ドビュッシーは、フランスで昔から伝わるシャンソンの子守唄"faire dodo"を引用しています。ただ唄をそのまま引用するのではなく、デッサンのようにさっと用いています。また場面によって、長調と短調を使い分けています。
親御さんが子どもと一緒にCDを聞いている時、かつて自分が幼少時代に聞いたシャンソンの一節が出てくると、『あ、これはあのフレーズ!』というように気づくのですね。そういう意味で、『おもちゃ箱』は様々な音楽のレファレンス、としても面白いと思います。」
子どもだけでなく、大人の共感と関心を呼ぶツカミも、ドビュッシーは意識していたのである。まさに、家族で楽しめる音楽絵本なのだ。
さてハッピーエンドの物語が多くある一方で、「子どもに悲劇を語ってもいいのだろうか?」というのも、一つの大きなテーマである。
編集長モローさんは、『マリア・カラス?オペラへのご招待』という絵本も手がけている。ここに登場するオペラは、『トスカ』『椿姫』『ノルマ』『蝶々夫人』『ラ・ボエーム』と、全て悲劇だ。
「オペラの内容を、リアルなストーリーとして語る絵本を作りたかったんです。これは私のアイディアです。こうした物語を子どもに語ってもいいと思うんですね。でも全て悲劇なので、最初は受け入れてもらえるか心配しました。ソフトな印象になるように、一部編集はしてありますが。例えば、『ノーマ』では主人公ノルマが自分の子に殺意を抱いているのですが、その部分はカットしました。でも、全体のメッセージは明確に伝わっていると思います。子どもは感性が豊かなんですね。
絵本を読んだ友人のお嬢さんが、『ストーリーがすっごく面白かった!』と言ってくれたそうです。物語と絵がとても気に入ったみたいで、むしろカラスの歌に関しては『うん、良かったよ』という感じでしたけど(笑)。この感想を頂いて、とても誇りに思っています。」
悲劇だからといって、語るのを避けず、リアリティを大切にする。そこに、モローさんの強い信念が伺える。 この絵本は8歳以上の子を対象としているが、大人でも楽しめる内容で、ストーリーとイラスト、そしてマリア・カラスの声が見事に溶け合っている。絵本を開いた瞬間、その世界の中に入り込むことができるだろう。
「絵本が音楽の世界を再現している、といっても良いでしょう。文章、絵、音楽―どこから入っても良いし、楽しみ方は数限りなくあるのです。」
物語だけではなく、音楽が付いている醍醐味は、実際のライブ・コンサートで絵本の世界を再現できることだ。パストールさんは、コンサートで絵本の読者とも会えるのを楽しみにしている。
「『おもちゃ箱』はパリ市内の国立オペラ=コミック劇場で、昨年クリスマスに3回コンサートをしました。約3千人が集まり、会場は満席になりました。デュセイさんの語りも魅力的で、絵をプロジェクターで映し出したり、大好評でしたね。絵本を読むだけの方も多いでしょうけれど、少しずつコンサートに足を運ぶようになってきているかもしれません。」
次のプロジェクトは、声を失った人魚のお話『小さな人魚姫(petite sirene)』です。すでに朗読、演奏の録音は完了し、これからストーリーに沿って繋げていく段階です。2009年クリスマスには『おもちゃ箱』と一緒に、リヨン国立オペラ座にて、子どもフェスティバル期間中に演奏する予定です。
次の絵本完成まであと一息、モローさんの仕事も大詰めだ。「『人魚姫』もナタリー・デュセイさんが朗読担当なのですが、特に魔女が、とんでもなく憎たらしい声で(笑)。人魚はとてもピュアで印象的な声です。」
ちなみにモローさんは名門グランゼコールで商業を学んだ他、歌を10年間習っていたそうだ。その絶妙なバランス感覚を生かして、物語と音楽をつなげる橋渡し役となっている。 そして現在大学生のお嬢さんは、某ラジオ局の子供用クラシック音楽プログラム編成でスタージュ中。母親と似たような道を辿っている。
今後、どんな音楽絵本が登場するだろうか?ますます目が離せない。
Didier Jeunesse
8 rue d'Assas 75006 Paris
Tel: 01 49 54 48 30
Fax:01 49 54 48 31
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※音楽CD付絵本は、『魔笛』(モーツァルト)、『ピーターと狼』(プロコフィエフ)、『ロミオとジュリエット』(プロコフィエフ)、『ムッシュー・サティ?頭の中に小さなピアノを持つ男』(エリック・サティ)等。同社ホームページで一部試聴できます。
ダヴィッド・パストール氏が主宰する国際室内楽コンクール。毎年4月リヨン市で開催される。2007年のピアノ&ヴァイオリン部門では、野平一郎氏も審査員に。2009年以降の開催予定は、弦楽四重奏(2009)、ピアノトリオ(2010)、金管五重奏(2011)、ピアノ&声楽(2012)。ご興味のある方は、下記へ直接お問い合わせ下さい。
Concours International de Musique de Chambre
BP 2209
69214 Lyon cedex 02
Tel: +33(0)472 418 330
Fax:+33(0)472 418 330
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音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/