卒業生特別インタビュー 第01回 内藤 晃さん
2008年2月10日、杉並公会堂で行われた「内藤晃CD発売記念リサイタル東京公演」での演奏には、弱音における濃い密度から大きなダイナミクスまで、自然な音楽の流れが聴かれた。リサイタル前半に弾かれたセヴラックは極めて鮮やかであったし、後半のシューベルトの楽興の時の静謐さには息を飲んだ。そして何より、音楽から伝わる作品への感動と慈悲に満ちた「想い」に心が揺れ、洗われた。当日買ったファーストアルバム「Primavera」も素晴らしい録音の数々。多種多様な音色とニュアンスを、恣意的になること無くごく自然に奏でてしまう。「Primavera」がレコード芸術誌5月号の特選盤に選出されたという朗報を本人から知らされた時も、さほど驚くことはなかった。それほど素晴らしく、心に響くものであった。リパッティ、指揮者への想い、そして美しい響きの追求の一環として「平均律というある意味では不完全なシステムを如何にハモらせるか」という問題について、たっぷり熱く語っていただいた。 |
石川伸幸(以下、石川):どうも、こんにちは。今日はよろしくお願いします。 内藤晃(以下、内藤):こんにちは、よろしくお願いします。 石川:まずはピアノを始めたきっかけをお聞きしたいのですが。 心の師はリパッティ内藤:ピアノを始めたのは3、4歳の頃で、きっかけは作曲もどきを始めたことだと思います。作曲と言っても、ピアノに向かって頭に浮かんだフレーズを弾いていただけなんですけれど。当時自作自演の作品展を開くのを夢見ていたことを覚えています。最初に指導していただいた城田英子先生ディヌ・リパッティ(Dinu Lipatti、1917−50、ルーマニア)に私淑されていて、彼の録音を沢山聴かせてくれました。その敬虔で澄み切った演奏は小学生の僕の心にも深く響き、立派な生き様とともにあこがれの存在になりました。リパッティの録音を聴いたのが、音楽を聴いて心底感動し涙するといった初めての経験だったと思うので、心の師はリパッティといっても過言ではないと思います。 石川:小学生でリパッティの録音を聴かれて感動し、涙すると。音楽に対する感受性は小学生のときから芽生え始めていたのですね。内藤さんは早い段階からリサイタルを頻繁に行っていますよね? 初リサイタルはいつだったのですか? |
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内藤:初リサイタルは小学校6年生の時ですが、リサイタルといっても当時親戚のいた特別養護老人ホームでの演奏です。このときに皆さんに本当に心から喜んでいただいた経験が僕の原点ですね。以後毎年訪問演奏をするようになる一方、活動の場も広げていきました。
石川:なるほど、自分の演奏で聴いてくれた人が喜んでくれるという体験は地道に練習をしたり、演奏活動をしてく上での精神的なバックボーンになりますね。先ほど心の師はリパッティと言っていましたが、リパッティに負けず劣らない多大な影響を与えてくれた恩師がいるそうですね? 出会いも含めて恩師の広瀬宣行先生とのことをお聞きしたいです。出会いはいつ頃でしたか?
恩師 広瀬宣行先生との出会い
内藤:出会いは中1の時で、城田先生から紹介していただき、以降、本当に大きな影響を受けました。アカペラ指導のスペシャリストである広瀬先生はピアノを演奏されるときも、倍音を聴きながらハモらせるということを意識されていて、その方法論を吸収させていただきました。ピアノはタッチの微細なコントロールによって音程を高め、低めにとるという感覚をも表現することが出来るのです。
石川:そのピアノをハモらせるということについて少し詳しくお聞きしたいのですが、それは言わずもがな、倍音とか純正調の話になりますよね?
ハーモニーへのこだわりと、ピアノの不完全性
内藤:そうですね。例えば、ドミソという三和音はドをボーンと鳴らしただけで、その低次倍音として実はいっしょに鳴ってるんですよ。
石川:上方の低次倍音ですね。
内藤:そうです。倍音は周波数が基音の整数倍(2倍、3倍......)になっているので、キレイにハモります。自然界の産物ですよね。たとえばブルックナーの第7交響曲の冒頭とか、モロに(上方)低次倍音のみによる協和の世界で、自然を感じます。で、特に合唱とか金管楽器をやっている人には言うまでもないのですが、ハモっている・協和しているというのは、基音の倍音上に乗っかっている状態を言うのです。これを基に主要三和音がハモるようにすると、純正な音程(純正調)になります。これは、音階の幅が均等じゃないので、当然のことながら、調性が変わると、同じソはソでも高さが変わったりしますよね。だから、鍵盤楽器では、昔は転調に制限がありました。
その後、オクターブを無理矢理12等分した平均律の導入で、鍵盤上での自由な転調が可能になりましたが、この平均律には致命的な欠陥があって、ハーモニーが基音の倍音上に乗っていないために、キレイにハモってくれないのです。例えばハ長調のドミソで言えば純正の、つまりドの(上方)倍音上のソとミに比べミはかなり高く、ソはやや低くなっています。ソはほとんど気にならない範囲(2セント)ですが、第3音のミについては約14セント、半音の1/7ぐらいのズレがあり、キレイにハモりません。
注:セントとは半音の1/100
石川:それで、ピアノ特有のわんわんわんわん、もしくはわーんわーんというような「唸り」が発生する。
内藤:そう、ピアノで同時に弾くとそれらの共通倍音のところでわんわんわんわんやわーんわーんと「唸り」が出て、濁って聴こえてしまいがちです。調律師さんはコレの回数を聴きながら調律していくので、いわば「ハモらなさ」加減を揃えているということになるんですけれど(笑)。それはともかく、この「実は」ハモっていないピアノでも、聴感上、ハモっているように感じさせてしまうことができるんです。タッチや音色で「音程」を作ってしまうわけです。
(速いスピードの打鍵で明るい音色を出し)この「ミ」よりも、(そっと指を置くように、くぐもらせたタッチで暗めの音色を出し)この「ミ」の方が低く聴こえるでしょう?
石川:本当ですね。
内藤:こういう風にして響きをハモらせたい時は、根音の倍音を意識して音程を考えながら構成音毎のタッチの力加減を変えるようにしています。(四六の和音を弾いて)ほら、ハモっているように聴こえるでしょ? (ショパンのノクターン2番冒頭を弾いて)こういう曲ではハーモニーをキレイに聴かせたいですよね?1小節目頭の「ソ」はバスの「ミ♭」の倍音を聴きながらそこに乗せるように優しく歌いますが、次の小節の頭の「ソ」は、ヘ短調の借用ドミナントの中の「ソ」(ヘ短調における上主音)で、バスの「ド」の倍音を聴きながら、完全5度の「ソ」を「高め」にとる気持ちで指のスピードを上げてクリアなタッチで弾くとキリッと響いてキレイです。特に、上主音は、主音から完全5度を上に2回とったところなので、純正調とのズレが倍増していて、ドミナントの5度では緊張感が萎えないように上主音を高めに意識しないといけません。こんなふうに、1小節目と2小節目の「ソ」の音程をタッチによって変えているんです。
石川:なるほど。でも、あえてハモらせずに旋律をくっきり歌わせたい場合もありますよね?
内藤:もちろんです。ハーモニー重視か旋律重視かというのはコンテクスト次第で、たとえばヴァイオリン協奏曲でソリストはオケの響きに埋もれないように高めの音程で歌っていますが、そういう意識で歌って唸りの「わんわんわんわん」でヴィヴラートのような効果を出すこともできます。そのバランスのコントロールには細心の注意を払いますが。
石川:つまりとにかく、ピアノ弾きは「実はハモっていない」というピアノという楽器の不完全性を知るべきで、そのうえで唸りを聴きながらハモらせたりヴィヴラートかけたりといったコントロールをすることが大事だということですね?
内藤:そうそう。それを意識せずに無神経に弾くと響きが濁ってしまう危険がありますが、逆にピアノから唸りを取り去ってしまったら、響きが増幅していくときのうねりもなくなって歌わない楽器になってしまうでしょうね。
石川:不完全だからこそ、ある意味ではそれが魅力にもなっているのかもしれません。ピアノに限らず音楽の世界全般にも文学にもどんな諸芸術にも言えることですが、未完というある種の神話性も含めた不完全性というのは魅力を放っていますからね。
内藤:その通りですね。音程の不完全性もそうですが、例えば、音域に関しても、作曲家の要求が当時の楽器の限界を超えちゃってるケースがありますね。たとえば、ベートーヴェンのOp.110のソナタの第1楽章のココ(75小節目)とか、明らかに行き止まりで仕方なくオクターヴ下まで戻っているし、バッハの平均律第1巻嬰ニ短調(第8番)のフーガのココ(16小節目)では、ソプラノが、「ド♯」まで行きたいのを、行き止まりで仕方なく「シ」で掛留しています。
石川:本当ですね。そういう、譜面にあらわれた作曲家の音楽的要求を感じ取るのって大切ですよね。発想に楽器が追いついていなかったというのは興味深い歴史的事実ですね。内藤さんの話を聞くとどことなく指揮者的な視点なのかなと感じます。ご自身は桐朋学園指揮教室で指揮の勉強をされてますね。指揮者志望というのがピアニストというよりは強いのでしょうか?
指揮者へのあこがれ、進路
内藤:ピアノはずっと本格的に続けていましたが、高校で吹奏楽部やオーケストラで指揮をさせてもらう機会を得て指揮にハマりました(笑)。指揮者の仕事はプレイヤーから良い音楽を引き出し、それを運んでゆくことです。指揮者が身体やタクトから放射した音楽がすみずみまで染みわたって、楽団の人たちそしてお客様にいたるまで心がひとつになったときの喜びは格別で、純粋に生涯この仕事に携わっていたいと思うようになりました。その一方で、いきなり指揮の修業漬けにはなりたくなかった。これは先輩指揮者からアドバイスされたことでもあるのですが、人を相手にしながらよい音楽を引き出すツールとしてむしろ文学的センスなど音楽外の側面が大事だと思いました。そこでまずは語学と文学を専攻にしようと思い東京外語大ドイツ語学科に進みました。当初からピアニストを目指していたとすれば、別の選択をしていたかもしれません。
石川:なるほど。音楽を学ぶために、むしろ音大を最初は選択しなかったんですね?
内藤:そうですね。指揮教室に通い始めたのもつい1年前程からです。外語大は間もなく卒業しますが、その後はヨーロッパへの留学も含めて考えています。
石川:個人的な意見を言うのを許されるのであれば、理想的な学習過程だと思います。特にピアノは個人享受の世界ですし、「音大に行かなければ」というのは嘘でしょう。音大、留学含めて、それぞれの状況、目標に応じた進路選択をするべきですね。
内藤:本当にそう思います。その意味でこの連載は影響力あるんじゃないですか(笑)?
石川:だといいですけれど(笑)。話がそれましたが、内藤さんは大学時代に大きな病気をされますね?
転機となった入院
内藤:はい。大学ではまず弦楽器を経験したいと思いオーケストラでチェロを始めたのですが、数ヶ月で挫折しました。張り切りすぎて左腕を故障してしまったのです。チェロは諦め楽器はピアノ一本に絞ってがんばろうと思い、手始めにリハビリとしてグランミューズ部門Yカテゴリーに参加して最初のリハビリにしました(横浜地区本選第1位)。その後は手も回復し、さまざまな演奏会に出演したりリサイタルを開いたりといったピアノの演奏活動を再開していきました。指揮では母校に客演しドヴォルザークの第8交響曲を振るなどしていましたが、ウィーン留学を予定していた矢先の大学3年の春から病気で長期入院を余儀なくされてしまいました。 この入院がほんとうに大きな転機になりました。とにかく長い間安静を強いられる病気でしたのでこの間に音楽史や和声、作曲などの書物を読みあさって勉強し、理論的なバックボーンを強化しようと努めました。また体力的に指揮は当面厳しいということから、改めて本格的にピアノに取り組もうと思いましたが療養中の勉強が実になったのか、楽譜へのアプローチが全く変わりましたね。先ほどお話しした広瀬先生の方法論も、本当の意味で理解し実践に移せるようになったのは退院後からなんです。今でも通院中で色々大変な思いはしていますが、病気を患うことが音楽的成長のチャンスだったわけですから運命だったのでしょうね。
石川:病気をも運命に変えてしまう力が内藤さんにはありますね。音楽史や和声、作曲などの書物を読みあさるという経験も、おそらく病気の中の今までに感じたことの無い不安も全て音楽に昇華してしまう。内藤さんにはそんな可能性を感じています。リサイタルを聴かせていただいて痛烈に感じました。内藤さんはコンクールが嫌いと言うことでほとんど参加しませんが、それでも開場は満員。そして息を飲む美しい音楽の世界。その中でひとつの頂点がレコード芸術特選盤にも選出されたファーストアルバム「Primavera」でしょう。制作はどのような経緯だったのでしょうか?
ファーストアルバム「Primavera」
内藤:退院した翌年からは桐朋学園指揮教室で指揮の勉強も再開しましたが、2007年5月に1年半ぶりのリサイタルを杉並公会堂大ホールで開きました。これがきっかけでプロデューサーの方のお誘いを受け急遽ファーストアルバムの録音とリリースが決まり、ピアニストとしてデビューすることになりました。録音にあたってはどうしてもとお願いして、日本では珍しいドイツの名器ベヒシュタインを使わせていただきました。ベヒシュタインは心の師リパッティが愛奏していた楽器で、僕にとっても本当に深い一体感を感じることのできる楽器です。ひょっとすると自分の音楽的体験の原点として、リパッティの透明な音色への感動が強烈に刻み込まれていてそれが血肉となっているのかもしれません。聴いていただければ嬉しいです。
※ ピアノ曲事典で、「Primavera」所収の、内藤さんによるメトネル「春」が試聴できます。
石川:「Primavera」 は本当に素晴らしく、このような演奏を聴ける私達は本当に幸せです。ありがとうございます。内藤さんは、ピアニストとしてデビューをしたわけですが、これからのことはご自身ではどう考えていますか?
いずれは再び指揮台に
内藤:当面はピアニストとして活動しながら自分の音楽を磨いていこうと思っていますが、たぶん根っこの部分は指揮者なんでしょうね...、読譜の際にも、指揮者の視点で「自分にどう弾かせたいか」をいつも考えているし、オーケストラや合唱をイメージしながらピアノをピアノ的でなく響かせようとしています。ピアニストの自分は指揮者の自分の要求に応えられるように練習するわけですが、いずれは指揮台にも戻ってきたいと思っています。
石川:是非とも、頑張って下さい。応援しています。今日はありがとうございました。
内藤:頑張ります。こちらこそ、ありがとうございました。
「最初の出会いは私にとって衝撃的なものでした。晃さんが確か中1の頃でしたが、自己紹介や挨拶よりも、早く演奏をしたいという雰囲気に満ちあふれていました。いざ演奏が始まると、まるで体中から音楽があふれ出てくるようで強烈に引き込まれていきました。私はわざと難しい注文を投げ掛けました。すると、その注文にも非常に興味を示し、必死でトライしてくるではありませんか! このとき私は、晃さんが聴衆を「感心」させるのではなく、「感動」させることの出来る素晴らしい演奏家になることを確信しました。そして今回リリースされたCDが音楽の素晴らしさを感動的に伝えてくれたことを、本当に嬉しく思いました。どうぞこれからも体調に気をつけて、一層ご活躍下さい。心から応援しております。」 (広瀬宣行先生からのコメント)
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慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学文学部在学中。小学校時代はサッカーに、中学校時代はボクシングに打ち込む。高校在学中より本格的にピアノを習い始める。ピアノと室内楽を多喜靖美氏に、作曲を糀場富美子氏に師事。慶應義塾ピアノ・ソサィエティー(KPS)、慶應義塾カデンツァ・フィルハーモニー(室内楽サークル)メンバー。第1回ピアノ愛好家コンクール(アマチュア&シニア部門)第1位。国際アマチュアピアノコンクール2007(B部門)第2位。第31回ピティナ・ピアノコンペティショングランミューズ部門(Yカテゴリー)地区本選優秀賞。