第02回 戸田容平さん
♪戸田さんの演奏(リサイタル時のライブ録音) プロコフィエフ ソナタ6番1楽章 mp3 8m2s スクリャービン 練習曲op.8-12 mp3 2m1s |
今夏、国際アマチュアピアノコンクール2007(日墺文化協会主催)で優勝された戸田容平さん。紀尾井ホールでの本選で弾かれたリスト作曲『スペイン狂詩曲』の圧倒的なテクニックと躍動する音楽は、そこがコンクール会場であることも、彼が学生であることも忘れさせる名演だった。ピティナでは特級に出場し、2次選考に進んだ。ピアノを生活の中心に考えながら日々躍進を果たす彼に、プロとアマチュアのこと、そして高校時代の決意から未来への展望に至るまで力強い話を聞かせていただいた。
1987年生まれ。中央大学理工学部数学科2年次在学中。4歳よりピアノを始め、これまでにイヴァノフ麗子、コンスタンティン・ガネフ、ジュリア・ガネヴァ、ゼノン・フィッシュバインの各氏に師事。各氏からピアニストとしての素質を認められ、16歳よりリサイタルや慰問演奏を始める。2007年4月、高円宮妃殿下の御出席のもとブルガリア大使館主催のお茶会にて御前演奏をする。国際アマチュアピアノコンクール2007(A部門)第1位、第18回レ・スプレンデル音楽コンクール 第2位(1位無し)、第2回ブルクハルト国際音楽コンクール 第2位、2007年度ピティナ・ピアノコンペティション特級入選、第8回大阪国際音楽コンクール大学の部入選、第14回ヤングアーチストピアノコンクールFグループ入賞、第10回"長江杯"国際音楽コンクール入賞、第7回ローゼンストック国際ピアノコンクール審査員特別賞受賞。毎年夏頃にソロリサイタルを開催している。好きなピアニストはブレンデル。(2007年11月13日現在)
石川伸幸(以下、石川):どうも、こんにちは。そして国際アマチュアピアノコンクール2007、優勝おめでとうございました。
戸田容平(以下、戸田):こんにちは。ありがとうございます。このコンクールは本選が紀尾井ホールで行われるので、そこで弾きたいがために出場していたところがありますが(笑)。
石川:なるほど。この連載の名前は「グランミューズな大学生」ですが、戸田さんはグランミューズ部門には出場したことがありませんね?
戸田:はい、すいません(笑)。
石川:いやいや、謝らないで下さい(笑)。連載名は「グランミューズ」を借用していますが、意味は大きく「一般大学に通いながらピアノを学ぶ大学生」と考えてくださるとしっくりくるのではと思います。ただグランミューズ部門に出場しなかったというのは非常に興味深いことです。失礼な質問かもしれませんが、グランミューズ部門に出てみようと思わなかったのですか?
戸田:はい、思いませんでしたね。高校時代からプロに進む意識があったので、ピティナに関しては初めから特級しか考えていませんでした。
石川:すごいですね。高校時代にプロになろうと決心されるんですか?
戸田:はい、高2の夏にアメリカで決心しました。
石川:アメリカで決心されるんですか。まずはそのアメリカでプロになろうと決心するまでのことをお聞きしたいのですが、ピアノを始めたのは4歳のとき?
ピアノとバレーボール
戸田:はい、4歳のときですね。最初のレッスンは母の代役でした。母がピアノを習い始めて、でも忙しくて行けなくなってキャンセルするのは悪いということで。要は穴埋めです(笑)。
石川:穴埋めですか(笑)。初めてのレッスンは覚えていますか?
戸田:いえ、覚えていません。小4までその先生に習ったんですが、4歳から小4までの記憶はほとんどないんですよ。
石川:練習はしていましたか?
戸田:悪ガキだったらしくて練習という練習はしなかったんですけど、ピアノは好きだったのでそれこそ家にある楽譜を片端から好きなように弾いていました。ただ小4の頃にバレーボールを始めて、バレーに心奪われて、レッスン時間とバレーの練習時間が合わなくなってその先生はやめました。それで、時間の都合がつくイヴァノフ麗子先生に師事し始めます。麗子先生には今でも師事しています。
石川:小4からバレーボールを始められて、それはいつまで?
戸田:高1の終わり頃までですかね。その頃までもピアノは平行して麗子先生の下で続けていました。その頃もまともな練習は全然しなかったですけれど。それこそバレーボール漬けでしたし。
石川:突き指とかしますよね?
戸田:いやそれが僕はおかしなことに全然しなかったんですよ。上手く手を抜いていたのかもしれませんね(笑)。中学時代の部活は毎年全国大会に出るようなチームで、全国大会で2位になったんですよ。だから厳しくて、それこそ休みは全国大会の次の日とかお正月とかしかなくて。
石川:それじゃピアノもそのころは趣味というか、時々触るくらい?
戸田:そうですね。人前で弾くのも中学のときは合唱の伴奏くらいでしたし。当時は人と競うというのに好感が持てなかったから、今みたいな練習漬け、コンクール漬けの生活からはほど遠いピアノライフでした。
石川:なるほど。中学時代はまさにバレーボール漬けの3年間を送られるわけですが、高校はバレーの強い高校に進学したんですか?
初リサイタル、そしてバレーボールとの決別
戸田:いえ、高校受験の時に早稲田実業からバレーボールの推薦が来ていたんですが、勉強で行きたいと思ったので他校を一般受験しました。高校に入ったらバレーボールを続ける気持ちはありませんでした。高1の時、その頃はまだバレーボールをやっていたんですが、高校は男子校だったし、合唱の伴奏とかあるわけでもなく、人前で弾く機会が全然ないじゃないですか。それでピアノをやめてしまわないかと麗子先生が心配して下さって、リサイタルをやってみないかと誘われたんです。それで徐々にピアノに熱が入りましたね。その準備をし始めた頃はそれまでと同じで全然練習とかしなかったんですけど、段々と練習するようになりました。その頃にはすっかりバレーボールとは決別していました。
石川:いきなりリサイタルですか。すごいですね。いくらそれまで練習していなかったとはいえ、家にある楽譜を片端から読んでいたのならそれなりの技術的バックボーンはあったのでしょう。初のリサイタルはいつ開催したのですか?
戸田:高2の夏です。それでそのリサイタルの翌日に麗子先生の先生のゼノン・フィッシュバイン先生(マンハッタン音楽院教授)に会いにアメリカに2週間程行きました。何度かレッスンもみてもらい、そこで色々厳しいことや為になることを言われて、それから段々とプロでやっていきたいなという意識が芽生えてきました。そしてどんどんとピアノにのめり込んでいきました。それからは毎年リサイタルを開催しています(戸田容平ピアノリサイタル全記録参照)。そしてコンクールは去年から受け始めました。
石川:世間的に見ると、すごく遅い決意と言うか本格始動ですよね?
戸田:そうですね。本当に最近のことなので。ただ、自分の中で好きなピアノを弾きたいんだという気持ちに素直に、自分の世界を大事にしているので周りのことは気にならないです。
石川:なるほど。高1からピアノを本格的に練習しはじめて、猛練習ですか?
戸田:最近はそうかもしれません。中学生までは音を外してもいいやっていうスタンスで、レッスンでも先生の言うこともあまり聞いていなかったようでしたが、言われたことは次のレッスンまでには改善されているという不思議な生徒だったそうですよ(笑)。今はプロを目指しているので、音を外さないのは当たり前で、そこから何をするかというスタンスですが。
石川:メカニカルなテクニックの問題はどうでした? チェルニーとか、ショパンのエチュードとか中学、高校時代にやりましたか?
戸田:ショパンのエチュードは弾きました。麗子先生は「チェルニーやバイエルからテクニックだけを学ぶより、他の楽曲を通して音楽的にテクニックを学ぶべき」だという方針で指導されています。これをやりなさいっていうのはありましたが、僕が嫌なら、強制はされませんでした。僕が好きなものを弾かしてもらいましたね。ピアノを上手くなるということよりも、ピアノが好きだっていう気持ちが大切だっていう考えの先生なので嫌な曲は渡さなかったです。
石川:よい先生ですね。プロになろうと決心したのだったら、音大受験は考えなかったのですか?
大学進学、ピアノ中心の生活設計
戸田:もちろん、考えましたよ。ただ音大が全てじゃないと思ったし、麗子先生は外国でずっと勉強してきた人でしたし、僕が定期的にレッスンに行っている麗子先生の親しい友人のガネフ夫妻(武蔵野音大教授)ももちろん外国の先生なので、日本の音楽大学に自分が合うのかどうかも疑問でした。音楽大学に行かなくても音楽の勉強は十分出来ますし。それに他の意味もあって、音楽大学に行ってもし何かアクシデントがあってピアノが弾けなくなったら困るじゃないですか。だからある意味では保険として一般大学に通っているというのはあります。ピアノに関して言えば、一般大学に通っていようとも音大生に引けを取らない勉強ができると思いますし、音大に行けば必ず成功するとは限らないでしょうから。
石川:そうですね。ただピアノを勉強する上で、一般大学に通うデメリットはあると思うのですが?
戸田:やはり、時間ですね。僕は数学科なんですけれど、音楽じゃないものに時間が取られることはとてもつらい。もともと僕は理系だったんですが、数学科を選んだのは数学が得意とかそうゆう理由ではなくて、物理科とか化学科だと必ず実験授業があって大学に拘束されるのでそれを回避したくて数学科を選んだんです。それに大学も自宅からの近さで選びました。大学には週に5回通っていますが、例えば昼休みを挟んで2、3限を連続して取らないとか、考えながら授業の履修はしました。
石川:なるほど。レッスンや毎日の練習はどこでどのように、どれくらいしていますか?
戸田:自宅にはアップライトピアノしかないので、毎日麗子先生のレッスン室(写真参照)に通って練習しています。だから定期的なレッスンというよりは、麗子先生からは日々アドバイスを貰っています。時間は毎日4時間くらいを目標にして練習しています。何時間弾いたかの記録をスケジュールみたいにチェックして、その日に足らなければその次の日に足して練習するとかしながら。コンクールなどがあった日とかは、練習できないときがあるじゃないですか。そうしたら、後で穴埋めをしています。
石川:計画的に自分で自己管理しているんですか。さすが数学科ですね(笑)。
戸田:そうですかね?(笑)。リヒテルもそうやって練習していたらしいですよ。リヒテルの場合は1日10時間だったらしいですけどね。自分もこれからは時間を増やしていかないと、と思っています。
石川:話を聞く限り、戸田さんはピアノを基準として全ての生活を考えていますよね?
戸田:はい。生活の中心にピアノがあって、その周りに学業があります。
石川:その周りにはアルバイトやサークルはないですか?
戸田:ないですね。出来るだけ他のことに時間を割かれたくないですから、授業中も集中して、やり直さなくて済むようにその場で理解できるよう努めてます。お昼休みも遊んでられないです(笑)。
コンクールとの日々、これからのこと
石川:なるほど。そうゆうスタンスでピアノに打ち込んで、去年からコンクールに挑戦し始めますね?
戸田:はい。一番始めに受けたのは江戸川区の新人オーディションです。コンクールではなくオーディションですね。人に自分の音楽を評価されるのは初めてだったので、プロコフィエフのソナタ7番の1楽章を弾いたのですがあまり気分が良くなかったです(笑)。他にも色々受けましたが、国際アマチュアピアノコンクール2006を受けて2位になりました。ピティナは特級を受けまして、1次で奨励賞を頂きましたが通過は出来ませんでした。今年も特級を受けて、ステップアップして2次に進むことができました。
石川:すると、来年は?
戸田:もう1つ上を目指して頑張ります(笑)。特級は今まで受けてきた他のコンクールに比べて全然緊張感とレベルが違いますね。レパートリーも多く弾けなければいけないし、コンチェルトも準備しなければいけない。ただ今年、2次に進めることが出来て自信になりました。
石川:今年は国際アマチュアピアノコンクール2007でも優勝されました。冒頭でもこのコンクール出場の根拠が紀尾井ホールで弾きたいというものでしたので、そもそもアマチュアでやっていく気はなかったのですね?
戸田:そうですね、自分の中ではプロでやりたいって言うのがあるので。これからは特級はもちろん、より大きな国際コンクールにも参加していきたいです。僕もコンクールの世界ではもう若くはないですし、やるべき曲が沢山あるので積極的に参加していきたいです。大学卒業後は海外の音楽院などへの進学も視野には入っています。
石川:すごいですね。とても強いプロ意識を感じます。そんな戸田さんでも、改めて自分がピアノを弾く意味を考えたりすることはありますか? それはつまり「プロ意識」ということも含め、プロを考えることは同時にアマチュアについて考えることにもなると思うのですが。
アマチュアではなく、絶対プロになるという高い「プロ意識」
戸田:何でピアノを弾くかという以前に、小さい頃からピアノのを触っていたし好きだったんですよね。リサイタルやコンクールに向けて練習がつらいとか大変だとか思うことはありますけれど。今では好きな曲ばかりを弾いている訳にはいかないし、ピアノはある意味孤独ですから忍耐強くやるだけですね。
石川:ピアノの練習は孤独ですから、それこそ孤独が故にある時コミュニケーション不全な自分に気づくこともありますよね?
戸田:ええ。つらい選択ですが、大学でも友人との付き合いも犠牲にしていますからね。だから、プロとアマチュアの違いは自分の生活の中で音楽が占める位置の違いじゃないかと思いますね。アマチュアは趣味の延長で好きな曲を好きな時に好きな様に弾いているけれど、プロは生活の中心に音楽があるのではと思いますね。つまり、意識の違いだと思います。
石川:それは音楽以外のことも音楽に還元する人間的なキャパシティも含めて、1日24時間を音楽のことを常に考えて生きるというのがプロ意識だということでしょうか?
楽しみながらの鍛錬
戸田:指を動かす意外にも沢山やることがあるので、そうかもしれませんね。音楽以外のことも重要ですから。僕自身ある意味ではストイックな生活かもしれませんが、楽しくやっていますよ(笑)。苦しんでいたらいい音は出せないですし、今はとても充実しています。プロを志し始めた高2の時に比べて真剣になれば成る程難しいとは感じますが、それはもう自分との戦いだとは思います。
石川:とても高い意識ですね。これからは頻繁にリサイタルも開催されるでしょうし、大きなコンクールにも挑戦していくと思います。ただ一般大学に通うことを「保険」とは言わずに、どん欲に様々なものから感動を体験してほしいと思います。ありきたりですが、数学と音楽とか(笑)。そしてそれらを是非とも音楽に還元していって欲しいです。今後とも、頑張って下さい。今日はありがとうございました。
戸田:分かりました、頑張ります。ありがとうございました。
(2007年10月27日 イヴァノフ麗子先生レッスン室にて)
イヴァノフ麗子先生からのコメント
高2の夏に恩師ゼノン・フィッシュバイン先生に容平君と一緒に会いに行き、何度かレッスンをしてもらいました。そしてお世辞なんか言わないフィッシュバイン先生が「才能がある。ピアニストになりなさい。また来なさい」と言われたとき、容平君の目の色が変わったのを今でも覚えています。それからの4年間は急進的に成長したと思います。私はフィッシュバイン先生や師事した他の先生から譲り受けた音楽を奏でるための「工具」を容平君に渡しています。そしてその「工具」を使ってどんな音楽を奏でるかは私ではなく彼の可能性です。そしてそれは私の楽しみでもあり、宝物です。
戸田容平ピアノリサイタル全記録
2004年8月20日 場所:ムジカーザ
ベートーヴェン / ソナタ 第17番 ニ短調 Op.31-2《テンペスト》
シューベルト / 即興曲 ハ短調 D.899-1
メンデルスゾーン / ロンド・カプリチオーソ Op.14
ショパン / | バラード 第1番 ト短調 Op.23 ノクターン 第1番 変ロ短調 Op.9-1 ポロネーズ 第6番 変イ長調 Op.53《英雄》 |
(アンコール)
スクリャービン / ノクターン 変ニ長調 Op.9-2
バルトーク / アレグロ・バルバロ
2005年8月5日 場所:ムジカーザ
ショパン / | バラード 第3番 変イ長調 Op.47 ノクターン 第13番 ハ短調 Op.48-1 スケルツォ 第2番 変ロ短調 Op.31 |
ラフマニノフ / | 前奏曲 嬰ト短調 Op.32-12 ト短調 Op.23-5 練習曲集『音の絵』より イ短調 Op.39-2 ハ短調 Op.39-1 |
(アンコール)
リスト / 『3つの演奏会用練習曲』より ため息
ショパン / 練習曲 ハ短調 Op.25-12《大洋》
2006年8月23日 場所:ムジカーザ
ベートーヴェン / ソナタ 第23番 ヘ短調 Op.57《熱情》
ヴラディゲロフ / ディルマーノ・ディルベーロ変奏曲 Op.2
ヒナステラ / アルゼンチン舞曲集 Op.2
プロコフィエフ / ソナタ 第7番 変ロ長調 Op.83《戦争ソナタ》
(アンコール)
ショパン / 練習曲 ヘ短調 Op.10-9
スクリャービン / 練習曲 嬰ヘ短調 Op.8-2
S.ラフマニノフ / 練習曲集『音の絵』より ハ短調 Op.39-1
2007年9月1日 場所:ルーテル市ヶ谷センター 音楽ホール
リスト / スペイン狂詩曲
ラフマニノフ / 練習曲集『音の絵』より | ト短調 Op.33-8 ロ短調 Op.39-4 嬰ヘ短調 Op.39-3 ハ短調 Op.39-1 |
(アンコール)
ドビュッシー / 練習曲「5本の指のための」
スクリャービン / 練習曲 嬰ニ短調 Op.8-12《悲愴》
ショパン / ポロネーズ 第6番 変イ長調 Op.53《英雄》
慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学文学部在学中。小学校時代はサッカーに、中学校時代はボクシングに打ち込む。高校在学中より本格的にピアノを習い始める。ピアノと室内楽を多喜靖美氏に、作曲を糀場富美子氏に師事。慶應義塾ピアノ・ソサィエティー(KPS)、慶應義塾カデンツァ・フィルハーモニー(室内楽サークル)メンバー。第1回ピアノ愛好家コンクール(アマチュア&シニア部門)第1位。国際アマチュアピアノコンクール2007(B部門)第2位。第31回ピティナ・ピアノコンペティショングランミューズ部門(Yカテゴリー)地区本選優秀賞。