第27回 パリ音楽院ピアノ教授:ヅィメルマン その7
ピアノ科教授辞職と後継者問題
《英雄レクィエム》の初演から僅か二年後、1848年にヅィメルマンは、ピアノ科教授を辞職する決意を固めた。彼が新しい院長F. オベール (1782-1871)に提出した辞表には、次のように記されている。
ヅィメルマンは、実際、既に充分な仕事をしたと考えて教授職を辞したのだろうか。彼は続けて次のように述べている。
もし、彼が音楽院を離れたくないのであれば、監察官や音楽教育委員にならずにピアノ教授を継続すればよかったはずである。それにもかかわらず、自ら辞表を提出した背景には、彼を辞職に追い込むような外的要因があったと考えられる。
マルモンテルは、ヅィメルマンが当時、周囲から何らかの圧力を受けていたことを示唆している。
この「とある助手」を特定するには詳細な調査を要するが、少なくとも1840年代後半に、ヅィメルマンは、一部の教授と不和があり、コンクールで自身の生徒が不利な立場に置かれることがあった、ということである。ヅィメルマンの後任候補には、その生徒だったマルモンテル、プリューダン、アルカンの名が挙がったが、最終的にこの職についたのは、卒業後、絶えず音楽院に務め、オベールの後ろ盾を得ていたマルモンテルであった。
ピアノ科教授のポストをめぐる争い
1 Paris, Archive nationale, AJ37 72, 4. p. 5.
2 Ibid.
3 Marmontel, Les Pianistes célèbres, p. 207.
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。