第16回 カルクブレンナー 《メソッド》の練習曲(1)
カルクブレンナーの手導器を利用する《メソッド》の第2部は、練習の成果を発揮するための12曲からなる練習曲である。今回から、この練習曲を4回に亘って解説していくが、その前に、彼が生涯に書き上げた練習曲を概観しておこう。
カルクブレンナー(1785-1849)は、生涯に練習曲を約10集仕上げた。これらを年代順に列挙する。教育的な作品なので、《前奏曲》作品88もここに含めておく。
・ 作品20《全調による24の練習曲》 (1816)、クレメンティに献呈。
・ 作品88 《全調による24の前奏曲》 (1827)
・ 作品108 《手導器を用いたピアノ・フォルテ学習のためのメソッド》 (1831)
・ 作品126 《12の準備練習曲》 (1835)
・ 作品143 《様式と完成の25の大練習曲》 (1839)
・ 作品161 《12の段階的練習曲》 (1843)
・ 作品169 《ピアニストの学校:20の平易で段階的な練習曲》 (1843)
・ 作品182 トッカータ形式による3つの練習曲 (1847)
このほかにも、曲集として出版されなかった個々の練習曲が存在する。30代のロンドン時代に出版した作品20以来、彼は断続的に亡くなる数年前まで練習曲を書いている。最晩年の1849年になっても患いながら《ピアニストの和声教程》を出版したところをみると、彼の音楽教育にささげた情熱は並々ならぬものであったことが分かる。
4つ目に挙げた《12の準備練習曲》は、これまで扱ってきた《メソッド》第2部の練習曲を克服するための予備的練習曲として書かれた。このような予備的練習曲が必要とされたということは、《メソッド》自体がかなり売れたのだということだろう。あの手導器とともに。
1831年にこの《メソッド》の練習曲が出版されたとき、ショパンの《12の大練習曲》作品10のうち、すでに第1番と第2番は作曲されていた。第5番から第12番は1830年から32年にかけて、そして第3番と第4番は1832年に作曲された。つまり、このメソッドは、ショパンが作品10を書いている最中に出版されたのである。とはいえ、ここで無理に両者の関係を見出そうとはせずに、各曲についての特徴と目的を考察していこう。
この練習曲は、シャープが4つまで、フラットが3つまでしかつかず、さまざまな調性を探求するものではない。むしろ、重点はメカニックな側面に置かれている。ただし、これら12曲の中には、聴き手を驚かせる突発的な不協和音や美しい転調、テーマの模倣、フーガなど、細部に意匠が凝らされており、無味乾燥な指の体操に陥っていない点は強調しておきたい。ここには彼の熟練した教育法と同時に、熟した作曲技法が露わになっている。
第1曲 イ短調 4分の4拍子 アレグロ 三部形式 【♪ 試聴する 演奏:中村純子】
指の独立のための練習曲。||:A:||:B A':||のAとA'のセクションを始める際、必ずsi♭とré♭からなる和音が置かれる(譜例1)。この和音の音を鳴らさずに、2と4の指で鍵を押さえた状態で、残りの3指(1、3、5)を用いて演奏する。他の指につられないで、それぞれの指が思い通りに動くようにするための練習である。曲は右手の5の指と左手の5の指が鍵を長く押さえながら、3と1の指が内声を補うという形をとるので、結果的に、2、4、5を押さえたまま1、3を自由に動かし、音楽に表情を与えなければならない。楽譜上は単純でも、実際にやってみると案外うまく指が動かないことに気づく。
中間部のB では、今度は予め5と3の指を押さえたままにして4、2、1の指で演奏する。右手の5ないし4の指は長い音符押さえ続けるので、結果的に両手の3、4、5を押さえたまま1と2を動かすことになる。一見退屈な音型の羅列だが、各セクションでは必ず転調が生じ、表現的要素を添えている。強弱記号やクレッシェンド・デクレッシェンドもこまめに書き込まれており、Bでハ長調からイ短調に転調した部分でクライマックスを迎えるように計算されている。5指中、常に3つ指が鍵盤を押さえた状態にしてこれらの楽想を表現しなければならないのである。
とりわけ多声のピアノ曲において、それぞれの指が他の指と異なる音を奏でられるようにすることを目指している点で、この第1番はカルクブレンナーの教義の基礎を最も端的かつ明快に表している。
第2曲 ハ長調 4分の4拍子 プレスト 三部形式 【♪ 試聴する 演奏:村山絢子】
右手で六度を演奏する練習曲(例譜2a)。スラーやアクセントなどのフレージングも入念に書き込まれており、指の技術ばかりを訓練するのではなく、フレーズやアクセント付けをいかに多様に行うかも問題になっている(譜例2a、2b)。後半には左手のオクターヴも克服の課題となる。A(4小節)―B(8小節)― A'(4小節)―コーダ(4小節)の均整のとれた短い練習曲であるが、コーダ部分にはヘ短調から借用した属七和音、四度音を付加されたハ短調のIV度にIV度音のhが加えられた和音が音楽的な陰影を作りだしている(譜例 2c)。
譜例2b スラーとアクセントの組み合わせによる微妙なニュアンスが要求されている。
譜例2c コーダをなす最後の4小節では、和声に陰影がつけられている。
第3曲 ト長調 8分の12拍子 アレグロ・センプレ・レガート 三部形式 【♪ 試聴する 演奏:中村純子】
第4、5指を鍛える練習曲。三部形式ABA'のAの部分では右手が細かく波打つような伴奏を右手が担い、左手はバスとテノールの音域で平坦な旋律を奏でる(譜例3a)。
主として三声部からなるこの曲は、各声部が異なる性格を有するように弾くことも課題となる。たとえば、譜例3aでは、右手は伴奏なので柔らかく、弱く演奏し、左手の内声は一種の旋律なので右手よりも強調すべきである。バスは上二声をしっかりと支え、二小節目では旋律としても機能する。演奏者はこうした各声部の性格を臨機応変に捉えながら、音楽に抑揚とめりはりを与える練習に専念することになる。
中間のBの部分ではイ短調、ニ短調の減七が左手に移動した波打つ音型によって強調される(譜例3b)。この点からみると、第三曲は和声による音楽的表現と特定の指を鍛える音型が見事に調和した優れた練習曲である。
その後、イ長調、ホ短調、再びイ短調、ト短調などの頻繁な転調を左右の手の音型を交替しながらA'にもどる。A' では左手の伴奏にヴァリエーションが加えられる。コーダでは第2曲同様、ニ短調に一時的に転調して和声の陰影が加えられる(譜例 3c)。この譜例の一小節目を暗い緑の四角で囲んだ。これは、ニ短調の属九の和音(a)-cis-e-g-bの第5音が半音下げられた和音(a)-cis-es-g-bであり、これがト長調のI度g-h-dに続くことによって、劇的な終結部の効果が発揮される。最後まで手抜かりのないカルクブレンナーの配慮は、幾分露骨ではあるが、単に指の体操に貶めないためになされたものである。
譜例3c ↓曲が終わる直前で一時的にニ短調に転調。減七の和音が曲の終わりに変化を添える。今回は三曲までを見たが、これらの練習曲が必ずしも無味乾燥な指の練習ではないということが理解して頂けたと思う。もっとも単純に見える第1曲でさえ、転調のプランは周到に計算されているのである。次回に紹介する3曲はさらに音楽的な充実度が高くなっているので、説明は少々複雑で、専門的な用語も出てくるが、その辺は読み飛ばしても概略は理解できると思うので、しばし長い解説にお付き合いいただければ幸いである。
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。