第02回 アダンの《音楽院ピアノ・メソッド》1:概要
ルイ・アダンLouis Adamは1758年アルザス地方のバ・ラン県に生まれ、1848年(ショパンの亡くなる前年)にパリでなくなるまで実に90歳の長寿を全うしたピアニスト・作曲家で、1796年にパリに上り、1797年から1842年までおよそ半世紀に亘ってパリ音楽院でピアノを教えた。もっと正確に記述するなら、1797年から1816年まで男子クラス、1816年から42年まで女子クラスを受け持った。彼が男子クラスの教授職を退いた後、その地位についたのがアルカンやラヴィーナ、マルモンテルなど、ショパン世代の逸材を育てたヅィメルマンPierre-Josef Zimmermann(1785-1853)であることを後のために記しておく。ルイ・アダンの息子、アドルフはAdolphe-Charles Adam(1803-1856)は有名なオペラ作曲家としてしられていたことも付け加えておこう。
アダン門下の生徒として今日その名が知られているのは、男子クラスではカルクブレンナーF. Kalkbrenner(1785-1849) 、後の女子クラスでは1874年から87年まで女子クラスの教授となるマサール女史L. A. M. Massartである。マサールはアルカンCh. V. Alkan(1813-1888)やクリューガーW. Krüger(1820-1883)といったショパン世代の有名なヴィルトゥオーソたちから曲の献呈を受けた名ピアニストで、後のマルモンテル門下生の一人としても知られている。
アダンのピアノ・メソッドは、1800年から1814年にパリ音楽院で作られるようになった種々の楽器の公式メソッドの一つで、ピアノの教本としては始めて公式に採用されたものである。このピアノ・メソッドは、1798年に《ピアノ・フォルテのための指使いに関する一般的原則Principe génerale du doité pour le piano-forte》というタイトルの下、シーベSieberから出版され、後にそれが音楽院で正式に採用され《音楽院ピアノ・メソッドMéthode de piano du Conservatoire》というタイトルの下、1805年にオズィOziから出版された。両者の内容がどのように異なるのかは現時点では調べていないが、以下問題にするのは後者の音楽院で用いられた《メソッド》である。
ではここで、この《メソッド》の中身をみてみよう。この《メソッド》は、以下の12の大項目からなる。
1. クラヴィーアにかんする知識について
2. 身体の位置について
3. 鍵盤上での手の位置にかんする規則
4. 音階の指使いについて
5. 指使いの一般的原則
6. ピアノのタッチの方法と音の出し方
7. 音の連結法、音の分離のための3つの方法
8. トリル、趣味の音、装飾音について
9. 拍、テンポ、それらの表現について
10.ペダルの用法
11.スコア伴奏法について
12.様式について
第3項は今日わが国で広く用いられているハノンの教本の全調スケールと同様の内容であり、第5項は三度からオクターヴの運指のほか、トリル、装飾音、和音などの指使いが譜例とともに示されている。
上の目次を一瞥して気付くのは、この《メソッド》が、単に指にまつわる技術的な問題ばかりではなく、第1項に見るようなクラヴィーアの歴史やソルフェージュに関する知識から、第9項の表現に関する考察、第12項の様式に関する表現上の美学的な考察にいたるまで、ピアノの幅広い可能性に着眼している点である。こうしたことは、今日のピアノ教育では当然のごとく取り上げられる観点であるが、関心がクラヴサンからピアノへと移行するこの時代にあっては、これからピアノに何が表現できるか、という可能性、まさに吟味されなければならなかったのである。それだけにこの種のメソッドを教育用に書くという任務が、常に危険や困難をはらんでいたということは想像に難くない。
アダン以外にも、後の音楽院院長となるケルビーニL. Cherbini、メユールE. Méhule、ジャダンJadin、ゴセックF.-J.Gossek、ゴベールPh. Gaubert、カテルCh. S. Catelといった音楽院のそうそうたる顔ぶれが音楽院のピアノ・メソッドを決定するための委員会を構成していた。そこでの慎重な審議を経て、最終的には総会でメソッドの採用を決定するという入念な手続からは新しいピアノの教育に対する彼らの慎重な姿勢がうかがわれる。いわば、彼らは、将来、つまり結果的にはショパン世代のフランス・ピアノ音楽界を担う音楽家たちの未来を見据え、そのための基盤、あるいは強固なピアノ教育の伝統を創造しようとしたのであった。
上田泰史
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。