第17回 バッハをピアノで弾くのは、「変なこと」か「変じゃないこと」か?その1
実は、分からないことだらけである。何が分からないかというと、今私のスタジオに置いてある楽器の正体である。それは、ジルバーマン・ピアノのレプリカであって、深町研太という、若い有望な製作家の仕事になるものである。そして、これはバッハが出会ったピアノとして、よく知られている。(現在、ベルリン・サンスーシーの博物館にある)
よく知られているのだが、いったいバッハがどの程度、どのように、この楽器と付き合ったか、それは実際のところ殆ど分からない。いくつかの断片的な事実が、噂話の類に属するような仕方で伝わっている。それに関する解釈も、今日の学者たちの間で意見の一致を見ていない。一致どころか、正反対の間で揺れ動いている。「バッハはピアノなどは、殆ど稀にしか弾かなかった」とするものから、「いやいや、チェンバロ協奏曲、平均率の2巻などは、もともと新鋭フォルテピアノのための曲だったかも知れない」とするものまで、その議論の幅は大きく広がっているが、なにしろ確たる根拠を立てることが難しいのである。だいたいが大作曲家の、それも重要な作品、重要な時代、重要なポイントについては、それが重要であればあるほど、肝心なことは靄に包まれるものだ、という印象を、私などは持ってしまうのだが。
しかし、まずは、この「分からない」をスタートにして、実際の楽器に当たってみよう。ジルバーマンは、クリストフォリのアクションを、殆どそのまま模倣している。ここから見ても、クリストフォリがいかにすばらしい発明家だったかということが分かる。少なくともアクションに関しては、この跡に続く百数十年のピアノの歴史を先取りしているのである。だから、ジルバーマンがこれをそのまま借用したのは、全く賢い選択であった。しかし、ジルバーマンは、楽器のボディに関しては、クリストフォリに従わなかった。つまり、遥かに重構造にし、弦も、クリストフォリが全て真鍮だったのに対して、低音部以外を鉄弦とした。これによって、打鍵された音は、驚くほどよく響く。そして、さらにジルバーマンはここに、チェンバロ・レジスターと呼ばれる装置を工夫したのである。これは、弦に触れるか触れないかのところに、柘植(つげ)の薄い板が降りてくる仕掛けで、弦が打たれるとこの板のふちにぶつかって、幾分ノイズを含んだ硬質の音となる。うまく調整してやると、これがまた、すばらしい効果を産むのである。
また、鍵盤をずらすことによって、ウナ・コルダとドゥエ・コルデの選択も可能であり、ダンパーを一斉にオフにする、いわゆるダンパー・ペダルに相当するレジスターもある。チェンバロ・レジスターを使わない、ウナ・コルダの弱奏は、あたかもハープのように柔かく、魅力的である。
つまり、この楽器では4種類の、非常にカラフルな音色を使い分けることができるのである。
さて、そのような楽器で、バッハの音楽がどのように弾けるのか、それを順々にご紹介していきたい。
1957年生まれ。1984年東京藝術大学大学院音楽研究科修了。チェンバロ、ピアノ、オルガンを中心に各種鍵盤楽器を駆使して中世から現代まで幅広いジャンルにわたり、様々なレパートリーを持つ。特にブクステフーデ、バッハなどのドイツ鍵盤作品では、その独特で的確な解釈に内外から支持が寄せられている。また、作曲、編曲作品を発表し好評を得ている。
91年「国際チェンバロ製作家コンテスト」(アメリカ・アトランタ)に審査員として招かれる。07年および01年、第7回及び第11回古楽コンクール(山梨)に審査員として招かれる。00年に器楽・声楽アンサンブル「コンヴェルスム・ムジクム」を結成し、指揮・編曲活動にも力を注いでおり、毎年数多くのアンサンブルによるコンサートを行い、常に新しく、また充実した音楽を追求し続けている。02年および03年には韓国からの招聘により「コンヴェルスム・ムジクム韓国公演」を行い、両国の音楽文化の交流に大きな役割を果たした。
91年よりプロディースも含め20作品以上のCDをALM RECORDSよりリリース。中でも「鍵盤音楽の領域」(Vol.1?6)、チェンバロによる「ゴールドベルク変奏曲」、「J.S.バッハオルガン作品集Vol.1」、オルガン作品集「最愛のイエスよ」、コンヴェルスム・ムジクム「バロックの華?ローマからウィーンへ」、ほかの作品が、「レコード芸術」誌の特選盤となる快挙を成し遂げている。02年、著書「新しい人は新しい音楽をする」(アルク出版企画)を出版。各方面から注目を集め、好評を得ている。現在、フェリス女学院大学音楽学部器楽科講師。