第12回 チェンバロからピアノへ3
18世紀に用いられた鍵盤楽器の比較を試みてきました。まずは代表的な三つ、つまり、チェンバロ、クラヴィコード、フォルテピアノのそれぞれを、管理のし易さ、使い易さ、そして演奏の可能性という三つの観点から見てきたわけです。今日はその3回目、フォルテピアノを取り上げましょう。
既にご紹介しましたように、フォルテピアノは、18世紀になったばかりの頃、クリストフォリによって発明されました。イタリアはフィレンツェでのことです。クリストフォリとその弟子達は、かなり多くのフォルテピアノを試作したようですが、その後の発展の中心地は、イタリアから北方へ、即ちドレスデンやシュトラスブール、そして、ロンドンへと移り、さらに、続く19世紀にかけてはウィーン、パリが ピアノ製造の重要拠点となっていきます。
この中で、モーツァルトの活躍したのは、ちょうどロンドンとウィーンがしのぎを 削っていた時期に当ります。豊かな経済力を誇っていたイギリスのことです。自前 の有力作曲家こそ少なかったものの、ロンドンはヨーロッパ各国からスター・ミュージシャンを集めていました。また、産業革命の結果、新しい楽器の開発に必要なハイテクもそろっていました。上流階級の市民には、新しい楽器を自分の家庭で楽しもうとする旺盛な資力と好奇心がありました。ツンペ、カークマン、ブロードウッドら初期のピアノ・メーカーはまず、1760年代に家庭用のスクウェア・ピアノで成 功をおさめ、1770年代後半になって、いよいよグランド型のピアノの試作に取り組んでいます。1777年頃には突き上げ式と呼ばれるグランドピアノ用のアクション、いわゆるロンドン・アクションが完成していたようです。このアイディアそのものは、既にクリストフォリ・ピアノで実現していましたが、クリストフォリやジルバーマンのピアノは、まだ殆どチェンバロに近いたたずまいの楽器でした。ところが、ブロードウッド等のグランドは、ハンマーに木の芯があり、弦の張力も増し、打弦点も改良されていました。
さらに、これと同じ頃、ウィーンでは、シュタインが、ロンドンとは異なる方式を完成させていました。跳ね返り式と呼ばれるアクション、つまり、ウィーン・アクションです。ロンドン・アクションとウィーン・アクションという二つの方式は その後100年のピアノの歴史を旋回させる二つの極となっていきます。また、ウィーンにはモーツァルト、ハイドンを始め、優れた作曲家が集まり、彼らがそれぞれ好みのピアノを宣伝することで、楽器メーカーの切磋琢磨にさらに拍車がかかったわ けです。ロンドンのピアノ界を代表していたクレメンティをも含め、ピアノ・メー カーの生産競争、発明競争は、そのまま、音楽家達の勢力争いとも繋がっていった のです。
さて、1780年代にモーツァルト等が弾いていたヴァルターのピアノを例にとって、チェンバロ、クラヴィコードとの比較を試みましょう。この種のピアノの管理はけっして簡単とは言えません。この頃のピアノでは、一点イ音より上は1音につき3本ずつの弦が張られていますが、それを調律して合わせるのは一苦労です。その上、調律は長持ちせず、特にフォルテで弾き続けているとすぐに狂ってきます。また、素早い連打をしたり、微妙なニュアンスを出したり、十分なフォルテを可能にするためには、エスケープメントその他、アクションの調整にかなり気を配っている必要 があります。20年近くこの楽器と付き合ってきた私としては、この点に関して、65 点以上は付けられないような気がします。
これとは反対に、操作性に関しては、かなり高い点をあげられます。ウィーン・ アクションのピアノは特に、タッチが大変軽快です。管理さえ行き届いていれば、そして、訓練を積めば、極僅かなエネルギーで、殆どあらゆるパッセージを弾きこなせる上、強弱の変化も、驚くほど幅広く、微小な段階をも弾き分けられます。ダンパー・ペダルやモデラート・ペダルと呼ばれる弱音装置も、初期の物では手動式でしたが、後に膝レバーによって、より簡単に操作できるようになりました。というわけで、操作性に関しては90点を付けても良いと考えます。
最後に、この楽器の可能性についてですが、これがなかなか微妙です。この楽器は確かに、家の中で独奏をして良し、歌の伴奏をして良し、また、室内楽では最良の力を発揮し、モーツァルト時代のオーケストラとならば協奏曲だって快適に弾ける、という点では正にオール・マイティーと言えます。しかし、この楽器の音色は、 チェンバロに比べて、かなり乾いた感じで、遠くへ音を飛ばしたり、朗々と歌ったりすることは不得手です。また、強弱が自由に出せるとは言え、エスケープメントが一つしか無いために、微妙な陰影を出すことにおいても、クラヴィコードに一歩譲るところがあります。そして1780年代、フォルテピアノは、やはりまだまだ入手困難な高価な楽器でした。前回にも引用したテュルクも、その鍵盤教本の中で、鍵盤を学ぼうとする者はまずクラヴィコードを購入すべきだという意味のことを語っています。その理由として、クラヴィコードが、しなやかなタッチを身に付けるのに最良の楽器だということと共に、それが比較的安価である、ということを挙げて います。 さて、この頃のフォルテピアノが有する可能性についての私の採点ですが、ああでもないこうでもないと考えた結果、85点という煮え切らない結果になってしまいました。
1957年生まれ。1984年東京藝術大学大学院音楽研究科修了。チェンバロ、ピアノ、オルガンを中心に各種鍵盤楽器を駆使して中世から現代まで幅広いジャンルにわたり、様々なレパートリーを持つ。特にブクステフーデ、バッハなどのドイツ鍵盤作品では、その独特で的確な解釈に内外から支持が寄せられている。また、作曲、編曲作品を発表し好評を得ている。
91年「国際チェンバロ製作家コンテスト」(アメリカ・アトランタ)に審査員として招かれる。07年および01年、第7回及び第11回古楽コンクール(山梨)に審査員として招かれる。00年に器楽・声楽アンサンブル「コンヴェルスム・ムジクム」を結成し、指揮・編曲活動にも力を注いでおり、毎年数多くのアンサンブルによるコンサートを行い、常に新しく、また充実した音楽を追求し続けている。02年および03年には韓国からの招聘により「コンヴェルスム・ムジクム韓国公演」を行い、両国の音楽文化の交流に大きな役割を果たした。
91年よりプロディースも含め20作品以上のCDをALM RECORDSよりリリース。中でも「鍵盤音楽の領域」(Vol.1?6)、チェンバロによる「ゴールドベルク変奏曲」、「J.S.バッハオルガン作品集Vol.1」、オルガン作品集「最愛のイエスよ」、コンヴェルスム・ムジクム「バロックの華?ローマからウィーンへ」、ほかの作品が、「レコード芸術」誌の特選盤となる快挙を成し遂げている。02年、著書「新しい人は新しい音楽をする」(アルク出版企画)を出版。各方面から注目を集め、好評を得ている。現在、フェリス女学院大学音楽学部器楽科講師。