ここが知りたい、音楽と楽器

第04回 チェンバロからフォルテピアノへ

2006/05/12

【演奏】 ♪ バッハ/イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV.971(第1楽章・部分) (MP3)演奏:武久 源造
♪ チェンバロ | ♪ クリストフォリ・タイプ  久保田彰チェンバロ工房にて録音 (2006.5.3.)

 それまで音楽の作り方は、一曲一曲が完結した世界の中で安定している、という形、つまりバロック的な作曲法が一般的でした。だから、色で言えば原色の対立、という感じだったのですが、この時代になって中間色を使うことがだんだん流行し始めたわけです。これに加えて18世紀が進むに連れ、自然な揺らぎ、気まぐれな変化、変わり身の素早さ、などの新しい特質が求められるようにもなったのでした。これは当時ギャラント・スタイルと呼ばれました。これを効果的に演奏するには、瞬時に強弱を変えられる楽器が必要です。ヴァイオリンや歌の人たちにとってこれは元々得意なことでした。しかし例えば、リコーダーにとってこれはやや難しかった。それで、リコーダーは横笛のフルートに木管楽器の人気者の座を奪われることになってしまいました。

 鍵盤の世界では、クラヴィコードが持て囃されるようになります。なにしろ、ク ラヴィコードでは、強弱の変化は自由自在です。特に小さい音の分野では無限とも言えるほどの自由があります。ただし、クラヴィコードはどうしても、フォルテに限界がありました。かたや、チェンバロは音量の加減が難しい。

クリストフォリ・タイプのアクションを引き出したところ
クリストフォリ・タイプのアクションを引き出したところ

 そこで、工夫されたのがフォルテピアノだったのです。これを発明したバルトロメオ・クリストフォリが最初に目指したのは、だから、けっして音量の大きな楽器ではありませんでした。そのことは、現在忠実に復元されたクリストフォリ・ピアノ を弾いてみれば一目瞭然です。その音はたいていのチェンバロよりも小さいのです。ただ音量の変化は自由に、しかも快適に付けられる。その点で実に優れた楽器でした。しかし、やはりフォルテには限界がありました。ピアノが発明されて50年間は、 この楽器に人気が無かったのも当然かも知れません。とても、クリストフォリの段階では、オーケストラと共演することは望めまなかったのです。しかし、これを何 とか、より豊かに鳴る楽器に改良する試みが不断に続けられました。この道のりは 大変険しく、紆余曲折が続きました。

ハンマー打鍵部分は筒状の部品
ハンマー打鍵部分は筒状の部品

 ただ、その努力のプロセスには、バッハやヘンデルも大いに関わっていたと思われます。ここが我々にとって実に面白い陰影を持つのですが、それについてはまた改めてお話しましょう。


武久 源造(たけひさげんぞう)

1957年生まれ。1984年東京藝術大学大学院音楽研究科修了。チェンバロ、ピアノ、オルガンを中心に各種鍵盤楽器を駆使して中世から現代まで幅広いジャンルにわたり、様々なレパートリーを持つ。特にブクステフーデ、バッハなどのドイツ鍵盤作品では、その独特で的確な解釈に内外から支持が寄せられている。また、作曲、編曲作品を発表し好評を得ている。

91年「国際チェンバロ製作家コンテスト」(アメリカ・アトランタ)に審査員として招かれる。07年および01年、第7回及び第11回古楽コンクール(山梨)に審査員として招かれる。00年に器楽・声楽アンサンブル「コンヴェルスム・ムジクム」を結成し、指揮・編曲活動にも力を注いでおり、毎年数多くのアンサンブルによるコンサートを行い、常に新しく、また充実した音楽を追求し続けている。02年および03年には韓国からの招聘により「コンヴェルスム・ムジクム韓国公演」を行い、両国の音楽文化の交流に大きな役割を果たした。

91年よりプロディースも含め20作品以上のCDをALM RECORDSよりリリース。中でも「鍵盤音楽の領域」(Vol.1?6)、チェンバロによる「ゴールドベルク変奏曲」、「J.S.バッハオルガン作品集Vol.1」、オルガン作品集「最愛のイエスよ」、コンヴェルスム・ムジクム「バロックの華?ローマからウィーンへ」、ほかの作品が、「レコード芸術」誌の特選盤となる快挙を成し遂げている。02年、著書「新しい人は新しい音楽をする」(アルク出版企画)を出版。各方面から注目を集め、好評を得ている。現在、フェリス女学院大学音楽学部器楽科講師。

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