第02回 バッハをどう弾くか?
これから何回かに渡って、バッハの鍵盤音楽と楽器についてお話しましょう。
バッハの音楽を考える際、まず念頭に置いておくべきことは、彼の音楽のユニークな性質です。
その第一は、特定の楽器、特定の媒体に縛られない音楽の作り方を、バッハは好んだ、ということです。バッハの作品には、特に楽器の指定の無い物が多いのです。
『平均率クラヴィーア曲集』『インヴェンション』『シンフォニア』などはその代表的な例です。これらは、チェンバロでもクラヴィコードでも、場合によってはオルガンでも弾くことができます。後に申し上げますが、初期のピアノで、バッハがこれらの曲を弾いた可能性さえあるのです。多くの場合、旋律が抽象的で、構造が堅固なバッハの曲は、どういう楽器で弾いても、それなりに美しく、感動的に弾くことができるのです。これは、バッハという人の大変ユニークな、他にあまり類の無い特徴です。この特徴はどこから来るのでしょうか。それを考える前に、まずは、バッハが日ごろ使っていた鍵盤楽器について簡単に振り返ってみましょう。
バッハが常住坐臥、使えた鍵盤楽器はチェンバロとクラヴィコードでした。
バッハの晩年、少なくとも二つのクラヴィコードと、何台かのチェンバロが彼の家にあったことが、その遺産目録から推測できます。一台のチェンバロは、化粧板付きのかなり高価な物であり、その他に、ペダル鍵盤と2段手鍵盤を備えたチェンバロもあったようです。バッハは普段、これでオルガン曲の作曲、および練習をしていたわけです。
チェンバロは、鳥の羽軸を薄く削った物で弦をはじいて音を出します。この羽軸をプレクトラムと言い、原理的には日本の琴爪と同じ役割をします。鍵盤を押し下げると、反対側の先端が上がります。そこには、ジャックという細長い木片が乗っており、さらにその先端近くに、プレクトラムが横向きに装着されているのです。
ジャックは弦と弦の間を上下するようにセットされています。指の力でジャックが押し上げられると、プレクトラムが弦に触れ、さらに押し上げると、それが弦をはじくわけです。
ここからも分かるように、チェンバロでは、指が弦に直に触れているような感覚を得られます。
これに対して、ピアノでは、ハンマーは、ある地点までは直接指によって押し上げられますが、そこから先は、エスケープメントの働きによって、ハンマーは指のコントロールを離れ、それまでに得た加速によって弦にぶつかります。だから、ピアノでは直接指が弦に触れている、という風には感じられないのです。
また、チェンバロは弦をはじいて出した音を、箱型の共鳴装置で増幅します。この点、ギターやヴァイオリンなどと同じ構造を持っているわけです。ピアノは、初期の物は箱型構造を持っていましたが、モダン・ピアノは、箱ではなく、分厚い響板が音を受け止め、フレーム、および梁が弦の張力を支えています。
チェンバロで、はじかれた音は多くの倍音を含みます。チェンバロの倍音は低域から高域まで、実に大きな広がりを持っています。これが、適切な共鳴箱によって増幅されると、あたかもオーケストラのように響きます。
一方、ピアノのハンマーは、フェルト、(モーツァルト・ピアノでは鹿皮)に覆われています。これが、指の速度の何倍かのスピードで弦に当たるわけです。ハンマー表面が柔らかいために、ピアノの音は、あまり多くの倍音を含みません。チェンバロに比べて、乾いた感じの音になります。この「欠点」を補うべく、1780年代にダンパー・ペダルが発明され、ピアノの音をしっとりさせることができたわけです。
他方、チェンバロの大きな欠点といえば、指のタッチによっては、強弱が殆ど出せない、ということです。これは実に恐るべき欠点です。殆ど全ての他の楽器と人声は、自由に強弱を出せるのですから、バロック以前の音楽にも、当然ピアノやフォルテ、クレッシェンドやディミニュエンドが使われていたのですが、チェンバロとオルガンでは、事実上それができない。こんな不自由なことはありません。
では、なぜ、ヨーロッパの音楽家は、こんな不自由な楽器を何百年も(チェンバロは、少なくとも15世紀後半からバッハ時代まで300年、作曲家の座右の友であり続けていました)、この楽器を愛し続けたのでしょうか。それは、チェンバロ独特の奏法を用いることによって、この欠点を補って余りある効果を得られるからです。
それについては、次回にご説明しましょう。
1957年生まれ。1984年東京藝術大学大学院音楽研究科修了。チェンバロ、ピアノ、オルガンを中心に各種鍵盤楽器を駆使して中世から現代まで幅広いジャンルにわたり、様々なレパートリーを持つ。特にブクステフーデ、バッハなどのドイツ鍵盤作品では、その独特で的確な解釈に内外から支持が寄せられている。また、作曲、編曲作品を発表し好評を得ている。
91年「国際チェンバロ製作家コンテスト」(アメリカ・アトランタ)に審査員として招かれる。07年および01年、第7回及び第11回古楽コンクール(山梨)に審査員として招かれる。00年に器楽・声楽アンサンブル「コンヴェルスム・ムジクム」を結成し、指揮・編曲活動にも力を注いでおり、毎年数多くのアンサンブルによるコンサートを行い、常に新しく、また充実した音楽を追求し続けている。02年および03年には韓国からの招聘により「コンヴェルスム・ムジクム韓国公演」を行い、両国の音楽文化の交流に大きな役割を果たした。
91年よりプロディースも含め20作品以上のCDをALM RECORDSよりリリース。中でも「鍵盤音楽の領域」(Vol.1?6)、チェンバロによる「ゴールドベルク変奏曲」、「J.S.バッハオルガン作品集Vol.1」、オルガン作品集「最愛のイエスよ」、コンヴェルスム・ムジクム「バロックの華?ローマからウィーンへ」、ほかの作品が、「レコード芸術」誌の特選盤となる快挙を成し遂げている。02年、著書「新しい人は新しい音楽をする」(アルク出版企画)を出版。各方面から注目を集め、好評を得ている。現在、フェリス女学院大学音楽学部器楽科講師。