ピアノ曲MadeInJapan

【こどものためのJAPAN6-3】 発表会で弾きたい全音JAPANピース3

2011/07/15
`発表会で弾きたい全音JAPANピース'最終回の今回は、レトロな香り漂う小粋な作品、橋本国彦作曲「小円舞曲」をご紹介いたします!

♪ 橋本国彦/小円舞曲(下画像をクリックして音源ページへ!
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昭和初期の花形作曲家
作曲者・橋本国彦は、昭和初期の日本で大活躍した作曲家です。中学生の頃からヴァイオリンを学び、東京音楽学校(現・東京芸大)でもヴァイオリンを専攻。当時作曲専攻がなかったこともあり、ほぼ独学で作曲を学びました。その後、文部省派遣留学生として3年間ヨーロッパ・アメリカへ遊学。シェーンベルクなど当時の最先端の音楽に触れ、多くの刺激を浴びるように吸収します。帰国後は母校で教鞭を取るとともに、ポピュラーから前衛まであらゆる音楽を作曲し、花形作曲家として大活躍しました。

「小円舞曲」とは
橋本氏40歳の頃に作曲された「小円舞曲」は、まさに昭和の歌謡曲的作品です。ショパンの円舞曲風の始まり方をしますが、すぐに哀愁をおびた歌謡曲が登場。中間部で印象派風の斬新な響きを楽しんだ後、歌謡曲が戻って終わります。誰もが親しめるメロディーと、その一歩先をゆくような斬新な響き...。あらゆる音楽を手掛けた橋本氏ならではの、絶妙な融合と言えるでしょう。ただ、これほどまでに分かりやすいメロディーの背後には、時代の要請もあったように思われます。

時代の流れの中で
この曲が作曲された1944年の日本は、第二次世大戦真っ只中。愛国精神豊かだった橋本氏は、国立の東京音楽学校教授として、戦意高揚のための音楽も多く生み出していました。橋本氏の音楽には「昭和前期の喜怒哀楽、栄光と悲惨の全て」(音楽之友社「日本の作曲20世紀」より)があると言われますが、「小円舞曲」の歌謡曲性にも、多少なりともそのご時勢が影響しているかもしれませんね。その後橋本氏は、敗戦とともに戦時中の責任をとって教授を辞任、直後に癌を発症し44歳の若さで亡くなりました。

「小円舞曲」活用法
全音ピアノピースには、他にも橋本国彦の作品が4曲ありますが、「おどり」(242番、難易度C)と「踊子の稽古帰り」(243番、難易度D)は品薄状態、「夜曲」(266番、難易度D)と「雨の道」(267番、難易度C)は、在庫があるようです。どちらも素敵な作品ではありますが、やはり分かり易さの点では「小円舞曲」がピカイチでしょう。発表会では、こどもさんに限らずシルバー世代の方々にもお楽しみいただけること間違いなしですし、また例えば、ショパンやブラームスなどの「円舞曲(ワルツ)」と比べて弾いて、各々の味わいを楽しむという使い方もありますね!歴史あるピースならではの、このレトロで小粋な作品。良い機会を見つけて、ぜひお楽しみください。


須藤 英子(すどうえいこ)

東京芸術大学楽理科、大学院応用音楽科修了。在学中よりピアニストとして同年代作曲家の作品初演を行う一方で、美学や民族学、マネージメント等について広く学ぶ。04年、第9回JILA音楽コンクール現代音楽特別賞受賞、第6回現代音楽演奏コンクール「競楽VI」優勝、第14回朝日現代音楽賞受賞。08年、第8回オルレアン国際ピアノコンクール(フランス)にて、深見麻悠子氏への委嘱・初演作品が、日本人として初めてAndreChevillion-YvonneBonnaud作曲賞を受賞。同年、野村国際文化財団、AsianCulturalCouncilの助成を受け、ボストン・ニューヨークへ留学。09年、YouTubeSymphonyOrchestraカーネギーホール公演にゲスト出演。現在、現代音楽を中心に、幅広い活動を展開。和洋女子大学・洗足学園高校音楽科非常勤講師。
ホームページ http://eikosudoh.webcrow.jp/

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