☆インタビュー第7回 久保洋子先生
久保洋子先生インタビュー 「全力で生き、全力で伝える」
作曲家、ピアニスト、そして芸術と芸術学博士...。その肩書きのどれもが超一流でいらっしゃる素晴らしい先生に、出会うことができました。大阪音楽大学教授、そしてパリ・ソルボンヌ大学客員教授の久保洋子先生。パリにて、日本の伝統芸術と現代音楽に関する論文で博士号を取得された先生に、作曲、ピアノ、論文、そして教育etc、先生ならではでいらっしゃる様々なお話を伺いました。何事にも全力で向かわれる久保先生の、パワフルでハートフルなお話を、どうぞお楽しみください!
パリでの留学生活
― 先生は、大阪音大大学院修了後、フランス給費留学生としてパリに渡られましたね。
久保先生:実は私、フランスに行くとは思っていなかったのです。コンクール(第1回日仏現代音楽作曲コンクール)に優勝したら、副賞として留学がついてきてしまった感じで。 当時は、インターネットもなければ「地球の歩き方」もない時代でしたから、トランク一つでポーンと行って、さて何をしようと...。人間ゼロからスタートしてどこまでできるだろう、という自分への挑戦でもありました。
― パリに着いて最初にされたことは...?
留学先に、ブーレーズが所長を務めるイルカム(パリ、ポンピドゥー・センター管轄の音響音楽研究所)とパリ第8大学大学院を選んでいましたが、それに加えてパリ第1大学大学院でクセナキスに習うために外国人用の語学試験を受けました。それから、コンクールの審査員だったジャン-クロード・エロワのところに行って、「ピアノもやりたい」と。彼は、思いがけずイヴォンヌ・ロリオを紹介してくれました!
― メシアン夫人で名ピアニストの、イヴォンヌ・ロリオ先生ですね!
久保先生:そうです。ご夫妻ともにとてもかわいがってくださいました。ロリオ先生のレッスンは、エチュード、バッハ、ソナタ、現代曲の4種を、2週に一度曲を換えて持っていかなければならなくて...。その上、クリスティアン・ペトレスク先生のレッスンもあったので、大変でした。
― 譜読みの速さも求められていたのですね。
久保先生:そうですね。でもそのおかげで、その後ヨーロッパ各地のオーディションや音楽祭、またリサイタル等、様々な修羅場をくぐってキャリアを積むことができました。それは、ピエール-イヴ・アルトーやクロード・エルフェといった世界的な芸術家とデュオを組んで活動する事にもつながりました。
博士論文を書く!
― 先生はその後、パリ第1大学のクセナキスのもとで、日本の伝統芸術と現代音楽に関する博士論文を書かれますね。
久保先生:様々な経験を積む中で、日本人と西洋人の感性の違いに気がつきました。直接のきっかけは、ダルムシュタット音楽祭で自作を批判されたときに、ヨーロッパ人が納得するような説明ができなかったことでした。彼等は常に数学的な構成を求める、でも自分の音楽は違う...。それを、ものを書くことによって論理的に証明したかったのです。
― 論文の内容は、どのようなものだったのですか。
久保先生:日本人作曲家が自国の伝統をどのように考えているか、西洋の作曲家が日本の伝統芸術からどのような影響を与えられたか、東洋神秘主義と西洋合理主義の関係を武満徹、近藤圭、メシアン、クセナキス等の作品のアナリーゼを通して論じました。また自作品について、東洋思想を根底に持つ精神性を、出来るだけ合理的な説明になるように工夫しながら述べました。論文を書き始めた頃、日本の伝統芸術はフランスであまり知られていなかったので、第1稿の冒頭には、能、雅楽、美術、書道等、日本の伝統芸術の基本的な解説を書きました。それが事典のようになってしまって、もう一人の先生ダニエル・シャルル(音楽学者)に「削って、どこかで売ってきなさい」と(笑)。その部分を削り、他の部分を増やして...、結局、ものすごい数のフランス語を書きまくりました!10年目で論文が完成して、博士号をいただきました。
― 10年!
久保先生:そうです。そしてその10年後には、ソルボンヌ大学の客員教授になりました。西洋と東洋を比較しつつ、自分の実体験をもとに楽しく教えています。論文を書いた当時は必要だった冒頭の事典部分が、今のフランスでは要らなくなりました。
― 日本文化が、フランスにも随分浸透したということですね。
久保先生:日本に西洋文化が入ったのと同じ頃、西洋にはパリ万博で東洋の文化が入り、ドビュッシー等が興味を抱いて音楽に取り入れた...、それを第1世代とすると、非西洋音楽の重要さを訴えたメシアン等が第2世代、より大胆に取り入れたアラン・ゴーサン等が第3世代、そして東洋的な感覚が自然に溶け込んでいる現在の第4世代。日本に西洋音楽が入ってきたのと平行して論じられますね。
― なるほど!作曲界では、日本と西洋が今では同じ位置に来ている...。
久保先生:私は、将来的にアイデンティティというのは国別ではなく、もっと個別のものになると思っています。その人が持つ個性として、捉える事の出来る時代が来るのではないか。私は作曲を学ぶ学生たちには、「自分が日本人である事を意識し、西洋との比較を試み、その特殊性と普遍性を知ること。その上で、今、本当に聴こえた音だけを書きなさい」と教えています。自分の中から溢れ出て来るもの、それが真の国際性を持った作品を書くという事に繋がると思っています。幸いな事に、ここ数年、私の教えている学生の中から、日本音楽コンクールをはじめとする大きなコンクールで入賞する人がかなり増えました。西洋に追随するような作品が多い中、ある意味、正統派として評価されているのかもしれません。
日本の音楽の特性
― 最近ではフランスの演奏界でも、武満作品など日本の作品がよく演奏されていますね。
久保先生:先日私が審査員をしたコンクール(オルレアン国際21世紀ピアノコンクール)でも、優勝したフランス人の女性が武満を弾いていました。ただ私が彼女にアドヴァイスしたのは、「もっと余韻を聴いてほしい」ということ。武満の場合、意識的に余韻を作ったのだと思われる所が多くあります。
― 余韻を作る、とは...。
久保先生:私は自分の作曲でも、残響を複雑にすることによって、敢えて余韻を作ります。日本の楽器は音色が複雑ですから、西洋の楽器で同じことをやろうとしても、音が乾いてしまって、日本人の感性を表現しにくい部分があるのです。
― なるほど。
久保先生:例えば龍安寺の石庭でも、石がぽんぽんと置いてあって、それを「何かな」と想像する。石はきっかけであって、周りの砂は想像を広げる余白の部分ですね。
― 音はきっかけであって、休符はそのイメージ(余韻)を広げるところ、ということでしょうか。
久保先生:そう!西洋の音には方向性があります。シはドに、ファはミにと。でも日本の音には方向性がありません。一音成仏。ですから、一つの音をどう置くか、またどう発するか、が重要です。そこには、日本の伝統芸術の基本である「直観」も関係してきますね。武満作品を弾くときにも、西洋音楽のように弾くのは間違いで、音を発する前と後をよく聴くことが大切。そうすると、演奏が断然変わってくるはずです。
お能とバレエを同時に学ぶ
― ところで先生は今、お能とバレエを同時に学ばれていらっしゃるそうですね。
久保先生:はい、2年半ほど前に同時に習い始めました。「専門だと思って教えてください」とお願いして、本当に厳しく教えていただいています。お能は月3回、バレエは週5回、各々同じ先生のもとにレッスンに通っています。
― 凄いペースでいらっしゃいますね!
久保先生:学ぶ時には徹底して学ばないと、何も見えてきません。私は、ピアノの時はピアノ、作曲の時は作曲、一つのことを期間限定で徹底的にやります。今は全てを投げ打って、お能とバレエを。
― 始められたごきっかけは?
久保先生:博士論文を書いた後、研究してきたことが机上のものだけになっていないか、もっと深く追求するためには実体験が必要ではないかと思いました。私が選んだテーマの声と踊りは、人間の感情を表現するプリミティブなものです。声楽と謡、バレエと仕舞、これらの比較研究は有益だと考えました。文化論を述べるにあたっては、その特殊性だけがクローズアップされる傾向が強いと思います。でも、本質的なところでは共通点もあるはずで、それを私は身体で感じたかったのです。もう一つの理由は、コンテンポラリーダンスのための作品を書きたい。それも、声を発しながら踊るような。日本の伝統芸術では歌いながら踊って当然ですが、私はそれをバレエでもやりたいと思ったのです。
― 東洋と西洋の両方を長年研究していらした久保先生ならではのご発想ですね。それにしても、先生のその素晴らしい追求エネルギーは、どこから来るのですか?
久保先生:知ることの喜び、発見することの喜び、でしょうか。それは作品のアナリーゼ(分析)にも通じることですが...。
アナリーゼ教育、人間教育
― アナリーゼと言えば、大阪音大と同大学院の「現代音楽演習」クラスにて、先生は演奏と分析の両方を実践されているそうですね。
久保先生:特に現代音楽の場合は、アナリーゼができないと演奏もできません。例えばブーレーズのソナタにしても、ただ闇雲に音を鳴らしても弾けたことにはなりませんね。音は弾いているけど、音楽は弾いていない、ということになってしまいます。作品のスタイル、時代背景、そしてイメージなど、弾くこと以外の努力もとても大切で、授業ではそういうところにまで話を広げていきます。
― 確かに現代音楽の場合、音を追うだけでなく、作品の背後にあるものまで分かっていないと、表現自体できない気がします。それはクラシックでも同じことでしょうか?
久保先生:もちろんです。私が小さい子にピアノを教えるときにも、バッハでもソナタでも、必ずアナリーゼさせます。その前の段階から和音記号や伴奏付けもさせますから、私の生徒は、私と同じように幼稚園の頃から作曲をしていて、音大に進む段階では作曲でもピアノでも専攻を選べる状態になっているのですよ。
― 先生のお話を伺っていると、「ピアノを弾くこと」の意味が「作品の背後にあるものを表現すること」という風に思えてきました。
久保先生:そうです。演奏とアナリーゼは、一体のことですね。ピアノを弾くことが目的なのではなく、曲を通して何を知るか、作品を通して何を学ぶか、が重要です。それは人間教育にも通じることですね。
― そうですね!
久保先生:私は、自分の持っている知識は全部学生に渡してしまいます。そして自分は空っぽになる、そこからまた勉強をするのです。今のお能とバレエもそうです。自分のためであると同時に、学生のためでもある。自分で身体を動かして自分で感じたことを、自分の言葉で伝えたいのです。
― 全力で生き、そして全力で伝える...。
久保先生:そう全力投球で!やってできないことは仕方がないですが、やらないことは罪ですから。教えるということも同じですよね。どれだけ生徒に付き合えるか、できるまで付き合えるか。でもまずは、生徒を褒めること、勇気付けることです。私には何もないですが、あるのは、一つのことを根気よく続ける力、そして人に続けさせる力でしょうか。多くの方との出会いによって、私はここまできました。ですからこれからも、私は出会いを大切にしていきたいと思っています。
何事にも全力で向かい、それを全力で伝えられる久保先生。研究に裏付けられた確かな確信を持って、新しい芸術の世界を切り開いていかれる一人のアーティストでいらっしゃると同時に、大きな愛情を持って、それを惜し気なく後世に伝える偉大な教育者のお姿を、お美しい笑顔の背後に同時に垣間見させていただいた気がしました。
久保洋子先生プロフィール
大阪音楽大学、同大学院修了。第1回日仏現代音楽作曲コンクール優勝後、フランス政府給費留学生として、パリに留学。IRCAM給費研修員。パリ第1大学大学院博士課程修了。日本の伝統芸術と現代音楽に関する論文で、芸術と芸術学博士の学位を取得。
作曲を近藤圭、アナリーゼをオリヴィエ・メシアン、ヤニス・クセナキス、ピアノをイヴォンヌ・ロリオ、クリスティアン・ペトレスクらに、また謡と仕舞を越賀義隆に師事。
パリ・ソルボンヌ大学、パリ第6大学、パリ国立高等音楽院などでレクチャーを行なう一方、世界各地の国際現代音楽祭やコンクールに招待され、作曲家、ピアニスト、また審査員として活躍。現在、大阪音楽大学教授、同大学院作曲研究室主任教授、パリ・ソルボンヌ大学客員教授。
主要作品に「《OSHITERU》-オーケストラのための-」(大阪府文化振興財団委嘱作品)、「蒼き水の惑星、地球よ」(NHK委嘱作品)など。作品はフランスのコンブル出版社、プティ・パージュ出版社から出版されている。
漢字と仮名がズラッと並ぶ能の謡本。
最初の頃は、徹夜のテープ起こしで読解されたそうですが、今では初見で大丈夫でいらっしゃるとのこと!先生のひたむきなご努力を実感しました。
東京芸術大学楽理科、大学院応用音楽科修了。在学中よりピアニストとして同年代作曲家の作品初演を行う一方で、美学や民族学、マネージメント等について広く学ぶ。04年、第9回JILA音楽コンクール現代音楽特別賞受賞、第6回現代音楽演奏コンクール「競楽VI」優勝、第14回朝日現代音楽賞受賞。08年、第8回オルレアン国際ピアノコンクール(フランス)にて、深見麻悠子氏への委嘱・初演作品が、日本人として初めてAndreChevillion-YvonneBonnaud作曲賞を受賞。同年、野村国際文化財団、AsianCulturalCouncilの助成を受け、ボストン・ニューヨークへ留学。09年、YouTubeSymphonyOrchestraカーネギーホール公演にゲスト出演。現在、現代音楽を中心に、幅広い活動を展開。和洋女子大学・洗足学園高校音楽科非常勤講師。
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