ピアノ曲MadeInJapan

☆インタビュー第6回 湯浅譲二先生

2008/05/26

湯浅譲二先生インタビュー
「実験工房と《内触覚的宇宙》~音楽はコスモロジー(宇宙観)の表現~」

前回の連載記事「1950'sその3 実験工房」にてご紹介した、湯浅譲二作曲《内触覚的宇宙》。その作品があまりに素敵で、あまりに心に残ることから、作曲者の湯浅譲二先生にお会いし、様々なお話を伺って参りました。バッハモーツァルトの作品に惚れ込んでも、その生のお話を拝聴することはもはやできませんが、それが叶ってしまうのが「ピアノ曲MADE IN JAPAN」の魅力!ご自身の生い立ちから、武満徹氏等と過ごした実験工房時代、《内触覚的宇宙》の美学、そして音楽観、音楽教育観に至るまで...。日本を代表する作曲家の、スケールの大きい豊かなお話を、存分にお楽しみください!



医学生から作曲家へ

― 先生は、慶応大学医学部進学コースのご出身でいらっしゃいますね。

湯浅先生:父が医者で、家が郡山の総合病院だったので、自然と医学を志しました。長男が内科なら次男の僕は外科と。手術をすれば1週間で治ってしまうという方が僕は好きでね。ただ芸術を愛好していた父の影響で、僕も子どもの頃から音楽がものすごく好きでした。父がドイツ留学から持ち帰った様々なレコードを聴いたり、トランペットやピアノに親しんだり、簡単な曲を楽譜に書き付けたり...。

― 音楽的にも豊かな環境で育たれたのですね。

湯浅先生:そうですね。そして大学受験のために東京に出てきてからは、日本人作曲家の作品発表も聴くようになりました。医者になっても趣味として作曲を続けるつもりでしたので、大学に入ってからも作曲はなんとなく続けていたのですが...。

― その後大学を中退され、作曲家の道へ...。迷いや不安はございませんでしたか。

湯浅先生:東京で日本の現代音楽の状況を知るうちに、このぐらいなら僕でもできる、と自信を持ったのです。でも医者への道を辞めて作曲家になるというのは大変なことでしたから、父にも恐る恐る話しました。ところが父は、「それならやれ、10年間は面倒みてやるから」と。自分の芸術的資質の1/10ぐらいは受け継いでくれると思ったのでしょう。実際には5年間ぐらいで独り立ちできるようになりましたが...。

実験工房へ

― そして、実験工房に入られたのですね。

湯浅先生:実験工房は、友達の輪が広まってできたグループでした。僕は最初、秋山邦晴(評論家)と友達だったのですが、武満徹や鈴木博義の作品を2人で聴きに行く機会があり、その音楽のユニークさに感激して、彼等とも親しく付き合うようになりました。その後、読売新聞社の主催で「ピカソ祭」というのがあり、音楽、衣装、照明を担当した様々なジャンルのメンバーが、瀧口修造さんの命名で「実験工房」となったのです。今で言う「インターメディア」的なことをやろうと。

― インターメディア...。斬新で格好いいグループだったのでしょうね。

湯浅先生:「インター」というのは、例えば音楽と美術の「間」から発想してひとつのものを作るという、当時としてはすごく新しい発想でした。ただ、自分たちがそれを熟知しているわけでもなく、それどころかどこにもなかった発想ですから、活動としても、集まって話しをするとか、シュールレアリズムの詩や近現代美術の画集を眺めるとか...。そういう意味では、アカデミック一筋の人たちとは全然違うという自負が、みなにありましたね。

禅と《内触覚的宇宙》

― 実験工房は、インターメディア的な新しいご活動の一方で、日本的・東洋的なものへのご関心も強かったですよね。

湯浅先生:特に作曲家連中は、その傾向が強かったですね。もともと僕らは、当時の日本の状況にすごく不満を持って集まった仲間でした。当時の日本人の作品は、ペンタトニック(注:民謡的な5音音階)によるものが半数以上を占めていましたが、僕らはもっと本質的な部分で日本的なものについて語り合っていましたね。

― 本質的な部分で日本的なもの...。

湯浅先生:例えば、時間・空間の問題や、連続・非連続の問題ですね。そしてそれらを自分の作曲にも生かすようになりました。ちょうどその頃、鈴木大拙さんの「禅と日本文化」という本に出会い、みなで夢中になって読み出したのです(武満だけは結核で入院中だったので別ですが)。本質的なことが書かれていて、非常に示唆的でした。50年代半ば以降の実験工房には、禅の影響があったと言えますね。

― その中から、《内触覚的宇宙》が生まれたのですね。

湯浅先生:そうですね。でもそこにはもう一つ、ジョリヴェの音楽や思想との出会いがありました。ちょうどその頃、「音楽はどういう状況から生まれるのか」という哲学的な話をみなでしていたのですが、僕はある種の原始的な宗教世界?それはキリスト教とか仏教とかではなく?に必然的に備わるもの、として音楽を考えていました。人間が言語を獲得して宇宙を相対化していく時に感じる宗教性...、そこにはジョリヴェの「宇宙的儀式」といった思想、また《マナ》等のピアノ曲への共鳴がありました。そういう影響下で《内触覚的宇宙》を書いたのです。

音楽はコスモロジー(宇宙観)の表現

― 先生はその後、《内触覚的宇宙》という題名を持つ作品を、違う楽器編成を含め、50年にわたって5曲書かれていますね。その点では、先生の作曲哲学を反映し続けている作品群、と言うこともできますか。

湯浅先生:そうですね。ただ僕は音楽上、二つの傾向を持っています。一つは、《内触覚的宇宙》のように哲学的なイメージに基づくストーリー性のある音楽、もう一つは、音の運動性(スピード、エネルギー、空間性)から発想した抽象的な音楽。そのどちらの音楽も、僕自身ということができます。

― ストーリー性のある音楽と、抽象的な音楽...。

湯浅先生:各々の人間は、生い立ち・経験などから形成される個人性と、肉体的・物質的な人類共通の普遍性の両方を持っていますね。これは僕の持論ですが、その全てを含めたコスモロジー(宇宙観)の表現こそが音楽。ですから、そのコスモロジーのどの部分がどんな風に音楽に現れても、全然不思議はないわけですね。音楽とはこうでなければならない、とは絶対言えないと思うのです。

演奏家も自身のコスモロジーを

― それは演奏家にも通じることでしょうか。

湯浅先生:演奏家は、その訓練の大半がかつての古典音楽で占められているので、仕方がないのかもしれませんが、一方で、現代に生きる人間としての表現も開拓していくべきですね。100年前の人間と現代の人間では、時間的・空間的に全く違う感覚を持っているはずです。例えばクレッシェンドひとつにしても、ベートーヴェンやシューベルトの「感情のクレッシェンド」だけでなく、音が近寄るとか遠ざかるとか、そういう現代的なスピード感を生かしたクレッシェンドもできるはずですよね。

― 演奏家も、自身のコスモロジーをよく見つめる必要がある...と。

湯浅先生:ピアニストの園田高弘さんもよくこぼしていましたが、「日本人はみな同じように弾く、その人独自の解釈が見えてこない」と。「楽譜があるからこそ解釈ができる」わけで、その解釈こそが大事ですよね。先生も、生徒本人のコスモロジー(生い立ち、経験、学習)からくる解釈こそを尊重すべきだと思います。もっとも日本は、古典芸能の時代から口伝の伝統が強かったので、先生の言う通りにやる、という風潮がいまだに強いのかもしれませんが。

― 先生が教鞭を執られているアメリカの大学は、違いますか。

湯浅先生:例えばアメリカでは、偉い教授でも、自分の弟子について「僕も彼女に学ぶところがいっぱいある」と言います。また経済学部の学部長と話した時には、「僕自身、経済のことがまだよく分からないからやっている」と...。学部長ほどの方が、そう言うのです。

― 先生自身が開かれている...。そういえば私も、アメリカ人の先生とレッスンのお話をした時に、「teach you(教える)」ではなく「work with you(一緒に取り組む)」と言われて、びっくりした経験があります。

湯浅先生:でも本当にそうですよね。学問というのは分からないからそれをやっているわけで...。分かったものとしてだけ教える、というのはおかしいのですよ、本当は。


79歳の現在も、日大芸術学部や東京音大で教鞭を執られる湯浅先生。どこまでもオープンマインドなそのお姿に、偉大な作曲家のエネルギーの源泉を垣間見させていただいた気がしました!


湯浅譲二先生プロフィール

《内触覚的宇宙》音源&解説

須藤 英子(すどうえいこ)

東京芸術大学楽理科、大学院応用音楽科修了。在学中よりピアニストとして同年代作曲家の作品初演を行う一方で、美学や民族学、マネージメント等について広く学ぶ。04年、第9回JILA音楽コンクール現代音楽特別賞受賞、第6回現代音楽演奏コンクール「競楽VI」優勝、第14回朝日現代音楽賞受賞。08年、第8回オルレアン国際ピアノコンクール(フランス)にて、深見麻悠子氏への委嘱・初演作品が、日本人として初めてAndreChevillion-YvonneBonnaud作曲賞を受賞。同年、野村国際文化財団、AsianCulturalCouncilの助成を受け、ボストン・ニューヨークへ留学。09年、YouTubeSymphonyOrchestraカーネギーホール公演にゲスト出演。現在、現代音楽を中心に、幅広い活動を展開。和洋女子大学・洗足学園高校音楽科非常勤講師。
ホームページ http://eikosudoh.webcrow.jp/

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