◆大人のためのJAPAN7◆入野義朗作品(1950's-1「12音主義」)
79 滝廉太郎 誕生(~1903)
1880
86 山田耕筰 誕生(~1965) 1890
1900
00 ♪滝廉太郎《メヌエット》
03 諸井三郎 誕生(~1977) 1900
00 ♪滝廉太郎《メヌエット》
03 諸井三郎 誕生(~1977) 07 平尾貴四男 誕生(~1953) 1910
14 伊福部昭 誕生(~2006) 早坂文雄 誕生(~1955) 17 ♪山田耕筰《スクリャービンに捧ぐる曲》 1920
21 入野義朗 誕生(~1980) 29 湯浅譲二 誕生 1930
30 武満徹 誕生(~1996)
33 ♪伊福部昭《日本組曲》
三善晃 誕生
1940
40 ♪諸井三郎《ピアノソナタ第2番》
41 ♪早坂文雄《室内のためのピアノ小品集》 46 「新声会」結成 47 「新作曲家協会」結成 48 ♪平尾貴四男《ピアノソナタ》
48 「地人会」結成
1950
51 「実験工房」結成 53 ♪三善晃《ピアノソナタ》 55 「深新会」結成 57 ♪湯浅譲二《内触覚的宇宙1》 58 ♪入野義朗《3つのピアノ曲》 1960
69 ♪入野義朗《ピアノのための4つの小曲》 1970~
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1950's その1 12音主義1950年代、日本のピアノ曲は新しい時代に入ります。西欧の前衛音楽から影響を受け、日本のピアノ曲もいよいよ「現代音楽」の様相を呈してくるのです。ヨーロッパ最前線の音楽が、タイム・ラグなしに取り入れられる...。そのことにより、日本のピアノ曲も世界の同時代音楽と同じ土俵で評価される時代が始まったのでした! 12音技法到来!きっかけを作ったのは、エリート西欧派「新声会」のメンバーでした。特に入野義朗、柴田南雄、戸田邦雄等は、規範としてきたドイツ音楽の最先端、シェーンベルクの12音技法に興味を抱きます。調性に支えられたドイツ音楽を、根底から覆すような新しい技法。そこに光を見出した彼らは、雑誌や論文、作曲を通して12音技法を紹介することで、日本の作曲界に大きな衝撃をもたらしました。 12音技法とは?ところで12音技法とは...?
長調とも短調とも言えないこの不思議な音列をテーマとして、リズムを変えたり、和音にしたり、逆から(12→1)弾いたり、移調したりして曲を構成していく...。12音技法を簡単に説明するとこうなります。 《十二の音で》例えば入野義朗の子どものための作品《十二の音で》では、楽譜冒頭に示された2種類の音列が、
様々に変形しながら19回繰り返されることで曲が構成されています。
無調で世界に!12音技法は、調性音楽から無調音楽への転換という点で、それまでのクラシック音楽の歴史を、180度変化させるものでした。そしてその変化は、もともと調性システムを伝統に持たない日本人にとっては、自身の感性をより直接的に表現できるきっかけともなりました。
次回は三善晃《ピアノ・ソナタ》を中心に、今回とはまた異なる50年代の流れご紹介したいと思います。お楽しみに! |
東京芸術大学楽理科、大学院応用音楽科修了。在学中よりピアニストとして同年代作曲家の作品初演を行う一方で、美学や民族学、マネージメント等について広く学ぶ。04年、第9回JILA音楽コンクール現代音楽特別賞受賞、第6回現代音楽演奏コンクール「競楽VI」優勝、第14回朝日現代音楽賞受賞。08年、第8回オルレアン国際ピアノコンクール(フランス)にて、深見麻悠子氏への委嘱・初演作品が、日本人として初めてAndreChevillion-YvonneBonnaud作曲賞を受賞。同年、野村国際文化財団、AsianCulturalCouncilの助成を受け、ボストン・ニューヨークへ留学。09年、YouTubeSymphonyOrchestraカーネギーホール公演にゲスト出演。現在、現代音楽を中心に、幅広い活動を展開。和洋女子大学・洗足学園高校音楽科非常勤講師。
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