◆大人のためのJAPAN2◆山田耕筰『スクリャービンに捧ぐる曲』(1910's「ヨーロッパを体感!」)
前回連載から早1ヶ月。8月から9月にかけての日本の季節の変化は、1年で一番大きい気がします。真夏の日差しから秋の風へ。時間は確実に流れているのですね。さて、今回の主役は山田耕筰。『赤とんぼ』や『この道』など歌曲で有名な作曲家です。彼が60曲以上のピアノ曲を残していたことを、みなさんご存知でしたか?
「滝に続いて」
山田耕筰(1886~1965)は滝廉太郎(1879~1903)の7歳年下。滝と同じく、東京音楽学校卒業後ドイツに留学しました。病に倒れた滝はライプツィヒでの留学生活を実質2ヶ月ほどしか過ごせませんでしたが、山田は3年間のベルリン生活を謳歌します。現ベルリン芸術大学にてヴォルフに作曲を師事し、日本人として初めて交響曲(『かちどきと平和』)を書くなど勉学に勤しむ一方、同時代の刺激溢れるヨーロッパ音楽をその耳で直に体験し、大きな影響を受けました。
「100年前のヨーロッパ」
山田が留学したのは約100年前。当時のヨーロッパでは、マーラーやリヒャルト・シュトラウスら後期ロマン派、そしてドビュッシーやラヴェルなど印象派が活躍し、傍らバルトークやコダーイが民謡採集を始め、またストラヴィンスキーやシェーンベルクが過激な音楽を試みていました。今回アップした「年表」にも、その様子がご覧いただけます。山田はこれら当時の前衛音楽を生で聴き、様々な芸術体験を重ねる中で、大きな刺激と広い視野を得ていきました。
「まずはピアノ曲!」
本場ヨーロッパの音楽をいかに日本的なものと融合させていくか。新たな課題を胸に帰国した山田は、猛烈な勢いでピアノ曲を書き始めます。そのほとんどは「ポエム」と称される実験的小品で、『春の夜の夢』『月光に悼さして』など叙情的な題名が付けられました。今回の音源「夜の詩曲」(『スクリャービンに捧ぐる曲』より)もその一つです。ドイツからの帰り道、ロシアで聴いたスクリャービンのピアノ曲へ想いを馳せて書かれたこの曲には、絶妙な「響き」と独特の「間」が共存しているように感じられます。
♪山田耕筰『スクリャービンに捧ぐる曲』より
第1曲「夜の詩曲」
(外部リンク:筆者HPで試聴可能です)
「そして歌曲へ」
山田のピアノ曲の多くには、作曲者自身による詩的な解説文が付けられています。例えば先の「夜の詩曲」には、「夜の静けさと、その深くに燃ゆる情熱と、その呻きと、また消えてゆく悲しみと、その奥にただよふ祈りの心」(音楽之友社「山田耕筰全集」参照)。他にも例えば『みのりの涙』や『牧場の静夜』には、詩や演劇を彷彿とさせるような情景描写が付されています。このような言葉と音楽との結びつきは、後に日本歌曲やオペラへと発展し、山田の創作の中心を成すようになります。
今回の山田耕筰「夜の詩曲」(1917)と、前回の滝廉太郎『メヌエット』(1901)。雰囲気が随分異なるこの2つの作品には、同時代のヨーロッパを存分に体感した山田と、それを果たせず逝った滝との違いが現れているのかもしれません。日本の作曲界は、山田耕筰を通して西洋音楽の現代を認識し、世界を舞台にした創作のスタート地点に立ちました。この後、どのようなピアノ曲が生まれてくるのでしょうか。続きはまた来月、お楽しみに!
東京芸術大学楽理科、大学院応用音楽科修了。在学中よりピアニストとして同年代作曲家の作品初演を行う一方で、美学や民族学、マネージメント等について広く学ぶ。04年、第9回JILA音楽コンクール現代音楽特別賞受賞、第6回現代音楽演奏コンクール「競楽VI」優勝、第14回朝日現代音楽賞受賞。08年、第8回オルレアン国際ピアノコンクール(フランス)にて、深見麻悠子氏への委嘱・初演作品が、日本人として初めてAndreChevillion-YvonneBonnaud作曲賞を受賞。同年、野村国際文化財団、AsianCulturalCouncilの助成を受け、ボストン・ニューヨークへ留学。09年、YouTubeSymphonyOrchestraカーネギーホール公演にゲスト出演。現在、現代音楽を中心に、幅広い活動を展開。和洋女子大学・洗足学園高校音楽科非常勤講師。
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