パリという都会の中で閉鎖的な生涯を送ったシャルル・ヴァランタン・アルカン(1813-1888)は、古典への憧憬と革新的発想を両軸に、ピアノ音楽の新境地を切り開いた。衝撃的なタイトルや彼自身の生き様から「闇」のイメージでとらえられがちだが、これ程輝かしく、ポップな感性を持った音楽も珍しい。「3つの行進曲~騎兵隊風に」Op.37は、明快でタイトな音感が赤裸々にアルカンの本質を表わしている。
Category XI 「行進曲」
「行進曲」は元来、軍隊と結びついており、戦意・国威の発揚を前提としたものが多い。結婚や葬送を含め、基本的にはセレモニーのための音楽といえるだろう。従って純粋な「芸術的行進曲」のウェイトは限られる。
ピアノ曲のジャンルでマーチが流行するのは比較的遅く、1840年代から'60年代にかけての時期とみられる。1848年の革命が象徴するように、民衆の士気が高まり、サロン的優雅さから勇壮さへと時代のモードが切り替わってゆく。
こうした世相を映し出す行進曲から特徴的な作品を並べてみた。これらの曲が書かれた当時、日本は幕末期にあり、時代の空気は洋の東西を問わず、連動していたことを窺わせる。
ワルシャワ出身のアントワーヌ・ド・コンツキ(1817-1899)は、この世代の最も多作なピアニスト=コンポーザーの一人で、Op.番号は370を超える。また彼は最晩年の1898(明治31)年に来日して公演を行ったとの情報もあり、日本の音楽史にとっても重要な先人といえよう。「ウィルヘルム戴冠行進曲」Op.200は1861年のプロイセン王・ウィルヘルム一世の戴冠式に因んだ音楽で、長い序奏を持つ、大ががりなマーチである。次のラコンブの「トルコ行進曲」と共に、この世代のピアノのための行進曲中、屈指の名作に数えられる。因みにハロルド・C・ショーンバーグは、その著「ピアノ音楽の巨匠たち」の中でコンツキを酷評している。このような一知半解の批評家の妄言によって、実際には重要な音楽家がまともに検証されることなく、闇に葬られてしまうのは許容し難い。知名度の低い作曲家に対する専門家の軽率な記述は正しく指摘されるべきだろう。
アルカンやラヴィーナと共に、パリ音楽院でヅィメルマンに師事した後、チェルニーに学んだルイ・ラコンブ(1818-1884)は卓越したピアニストでありながら、フランス人には珍しくあらゆるジャンルの音楽を書いた。ピアノ曲もピアニスティックというようりはシンフォニックである。洗練味や華麗さへの指向はないが、実直でスケール感と底力を備えた音楽家である。「トルコ行進曲」Op.54は渋く、知的な名品でラコンブの芸術的完成がみられる。
ポーゼン出身のアドルフ・グロイリヒ(1819-1868)については、その情報も作品も僅かしか確認できない。この「大行進曲」Op.13はカール・ハスリンガーのために書かれ、ウィーンの彼の出版社から刊行された。どこか奇怪で国籍不明の調子ながら、書法的な熟練と音楽的な魅力は確かなものがある。