この世代のピアノ曲で最も意欲的・先鋭的なジャンルがエチュードである。日本語では「練習曲」とされるが、ショパンやリストの例が示すように、エチュードは単なる指の訓練曲ではなく、高度な技術と音楽性の双方を追求するものとなっている。特に1830年代から50年代にかけて、ピアノ音楽史を代表するような優れたエチュード集の数々が上梓された。それらのほとんどは今日闇の中にある。形としては6曲、12曲、24曲などの曲集が多くみられ、また単一曲のエチュードも少なくない。ここでは特定の標題を持たない、特徴的なエチュードを拾い出した。
プラハ出身のジギスムント・ゴルドシュミットは6曲からなる2つのコンサート・エチュード集(Op.4,13)を残している。それらは技術的な華々しさよりも、内に情熱を秘めたタイプの音楽であり、節度と品位を特長とするこの作曲家の個性を反映している。Op.13-1は左手に重点を置いたエチュード。
ジギスムント・ゴルドシュミット:
「6つのコンサート・エチュード Op.13」より 第1曲 ホ短調
Sigismund Goldschmidt / Zwölf Concert-Etüden Op.13 No.1 pf:Osamu N. Kanazawa
(録音:2016/4/24)
ベルギーのグレゴアール兄弟の兄、ジョセフの神秘的な叙情性は特筆すべきものがある。「エコール・モデルヌ」と題された4冊分の「24のグランド・エチュード Op.99」は各曲が当時の名ピアニストたちに書かれた力作。第5番は右手の無窮動で、ジョセフィーヌ・マルタンへの献呈曲。黎明の光を思わせるようなコラールが美しい。
ジョセフ・グレゴアール:
「24のグランド・エチュード Op.99」より第5曲 ハ長調
Joseph Grégoir / École moderne, Grandes études Op.99 No.5 pf:Osamu N. Kanazawa
(録音:2016/4/21)
サンクト・ペテルスブルグに生れ、ロンドンを中心に活躍したアレクサンドル・ビエはベートーヴェンのハンマー・クラヴィーアソナタを最も早い時期に公開演奏したピアニストでもあった。Op.番号にして70を超える作品を残したが、現在確認できるのは20点足らず。Op.34はジュール・リッタ伯爵なる人物のバラード「インドの恋人たち」によるメロディを用いた単品のグランド・エチュード。華麗な技巧を散りばめたショー・ピースになっていて、原作者に献呈されている。
アレクサンドル・ビエ:「グランド・エチュード Op.34」 ニ短調
A. Billet / Grande Étude, sur la ballade Gli Amanti Indiani pf:Osamu N. Kanazawa
(録音:2016/4/21)
パリで活動したレオン・クロイツェル(1817~1868)は評論家としても高名で、ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」で知られる、ルドルフ・クロイツェルの甥に当る。1860年に出版された「ラ・ジムナスティック(体操)~6つのエチュード」は音楽的にも異色作であるだけでなく、技術的にも不条理なものとなっている。Op.番号が付けられていない点からも、この曲集が特殊な実験作であることを示すものだが、その時代を超えた才智に驚嘆する。
レオン・クロイツェル:
「ラ・ジムナスティック~6つのエチュード」より第5曲 ヘ長調
Léon Kreuzer / La Gymnastique du piano, Six études, No.5 pf:Osamu N. Kanazawa
(録音:2016/4/21)