18 ピアノ音楽風土記 ピアニストの社会的地位 その3
ピアニストでもスター演奏家として喝采を浴び、大聴衆をうならせる音楽家は、しっかりとした社会的なステイタスを確立していたと言ってよいでしょう。社会的な地位という点で問題になるのは、指導者の資質です。現在でもそうですが、その指導者がどの程度の音楽家としての能力を備えているのかを、客観的に判断する基準はありません。生徒を沢山集めている教師は有名なのかもしれませんが、かといってその人物が優れた指導者とは限りません。それでは優れた教師であることはどのようにして判断すべきなのでしょうか。
この問題は、19世紀においてもすでに問題となっていました。音楽院を卒業した若者がピアノ指導者を自己PRするために、指の技巧を誇示して生徒確保に努めている様子を、シューマン創刊の「音楽新報」はこう記しています。「彼らが追求するのは、跳躍パッセージをすさまじいスピードで弾き、しかもできるだけ短い時間で複雑なパッセージを演奏できるように教えることだけだ」と。
しっかりとした音楽教養や演奏技術をもたずに、ピアノの指導者となっている事例も目に付くようになったのでしょうか、1840年代になるとピアノの指導者の国家試験を求める声も高まってきました。教会のオルガン奏者となる場合は、非常に難しい試験が課されていますが、ピアノ教師となるには無試験であることへの危惧の念が表明されるようになってきました。ベルリン大学教授で、シュテルンとともにベルリン音楽学校(のちのシュテルン音楽院)を創設したマルクスは、「ベルリン音楽新聞」にこのような記事を寄稿します。「教師として活動している者、あるいはそれを考えている個人教師は、その者が音楽院や大学、ゼミナールで開講されている、教師となるための講義を受けたことをしっかりと申告すべきである。」マルクスは、ピアノ教師となるためには、しかるべき試験が課され、その合格者は新聞で公表されるべきである、と主張しました。この主張は同調者を見出し、ドイツでは、ピアノ教師においても「資格」が問われるようになっていきました。現在のわが国においても、ピアノ教育者向けの試験制度が存在していますが、ピアノ教師の資格認定制度は、同時にピアニストの社会的な地位を認めるという積極的な意味もありました。
ピアニストの社会的な地位という点で、女性は様々意味で低く見られていました。音楽学校に学んだとしても、女性が学ぶ科目や音楽教養は制約されており、ピアノと声楽の実技のみでした。しかも、専攻実技の指導時間も男性と女性とでは格差が設けられていました。しかし、そうした状況の中でも、優れた資質を持つ女性もやがて社会に進出するようになっていきます。女性には専門職業に就くことは事実上、閉ざされていた19世紀において、ピアノ教師は数少ない専門職業でした。職業に就いたといっても、ピアノ教師だけではなく、そもそも女性の社会的地位が定まっていないために、受け取る報酬も不安定であり、身分も保証されていませんでした。
19世紀のこうした状況は今日解決されているのでしょうか。社会の近代と教育の普及にともなって、19世紀以降多くの音楽学校が設立され、社会の音楽文化の発展と浸透に貢献しました。ピアノ教師となるに当たっても「資格」が必要であるとしても、資格は、国家の基本的な方針があって初めて活用できるものです。たしかに、音楽家となるための資格は、医者や弁護士、会計士などの資格とはおのずと意味を異にします。しかし、「資格」によってピアニストが社会的に認知され、社会で幅広く活動できる土台となるのなら、それはもっと幅広く、国家レヴェルで行われてしかるべきなのでしょう。ただし、国家レヴェルは、時として諸刃の刃になってしまうことも歴史的にはありました。芸術への国家の介入は、本来、好ましいことではないからです。また、特定の尺度で弁別されることによって、自由な芸術活動が抑制されてしまう危険性も潜んでいます。
音楽文化は今、大きな曲がり角に差し掛かっているような気がします。ヨーロッパでもかつての伝統的な音楽文化に少し翳りが見え出し、音楽学校の統廃合の声も聞かれています。音楽の市場にアジア人が大勢進出する中で、ヨーロッパ文化としての音楽と、その担い手としての音楽家のあり方が変質し始めています。
音楽家の社会的な地位、という問題を考えるとき、様々な意味で音楽世界の流動化が進んでいます。もはやポピュラーとクラシックという二分法は成り立たなくなっています。ピアノを演奏し、ヴァイオリンを演奏する、ポピュラーのスターも登場してきています。そのように考えると、ピアニストとは何か、という根本的な課題に突き当たります。一時代前は、クラシックのピアニストはベートーヴェン弾きであったと言っても過言ではありません。ベートーヴェン弾きであることによって、ピアニストとしての社会的な尊敬と地位を確立したところがありました。現在はどうでしょうか。ベートーヴェンだけではない、という空気がどこかに流れているのではないでしょうか。それは近代のクラシックを支えていた根本的な何か、ピアニストとしての「資格」基準とされていた価値観が変わったことを意味しているように思えます。しかし、時代は動いています。これからピアニストの新たな「資格」は何かは私たちが決めていくことなのでしょう。
山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。