ピアノの19世紀

18 ピアノ音楽風土記 ピアニストの社会的地位 その2

2009/10/16

 ピアニストの社会的な地位は、とくに18世紀末からイギリスで廉価なスクウェア・ピアノの大量生産が始まり、ピアノが不特定多数の人々に浸透するようになってくると、ピアニストという職業が社会のどこに位置づけられるのか、という問題が少しずつ顕在化してきます。それでも、高価なピアノを購入してこれを学ぶ階層は社会の上層の一握りの人々であり、とくに女性の場合はこれを敢えて職業とするという意識は、最初はありませんでした。良家の女性のたしなみとして、ピアノ教育は推奨されていましたが、19世紀のいわゆる「ジェンダー社会」のなかで、女性がピアノを職業とすることは必ずしも歓迎はされていません。それでも、クララ・シューマンのような女性のスター演奏会は脚光を浴び、男性の演奏家以上のステージ出演回数を誇りましたが、彼女は例外です。家庭のよき母であり妻であることを美徳とする当時の社会のなかで、ピアニストを職業とする女性の門戸はとても狭いものでした。
 それでも、ピアノ人口が増加するにつれて、ピアノを教える仕事の需要も増していきます。そうしますと、1820年代頃から女性でもピアノ指導を職業とする人々が登場してきます。女子の教育機関として音楽学校は次第に人気を高め、とくに1840年代から各地に数多くの音楽学校が設立されるようになり、女性に入学が認められていたピアノ科と声楽科に女性が数多く学ぶようになり、多くのピアノ科卒業の女性が輩出されるようになります。女性がもっとも社会に出やすい領域がこのピアノ教師でした。しかし、女性のピアノ教師は男性よりも低く見られる傾向が強く、しかも指導料金も男性よりも格安でした。
 そもそも、男性でもピアニストという職業は社会の中で特定の位置を占めていません。交響楽団や軍楽隊のように組織の一員として雇用されているわけではありませんので、仕事は演奏家としての出演とピアノの指導が主たる仕事になります。ピアノ教師の報酬を決める基準は、演奏家や指導者としての社会的名声や、パトロンの存在です。有力なパトロンを持っている場合は、パトロンを通して生徒が集められる場合もあります。たとえばショパンはその例です。ロスチャイルド男爵家に見出されたショパンは、同男爵家の紹介で生徒の層を広げていきました。同時に、指導報酬もこうした、生徒の家の身分や環境によって変わります。富裕で高い身分家柄の生徒を多く抱える教師の指導料金は高額になりますが、庶民の場合は低額に抑えられたことでしょう。つまり、ピアノ指導者のレッスン料金の相場は、その教師の名声の度合いと彼を取り巻く社交関係や社会階層によって変化しました。ウィーンの名指導者のチェルニーやアントン・ハルムなどのレッスン料は当時の最高ランクに属しました。
 フリードリヒ・シュレーターというピアノ教師は、レッスン料の出納簿を残しています。彼が記載した1832年から1839年までのレッスン料は年平均で1000ターラー前後です。この時代のドイツの通貨はきわめて複雑で、地域によって換算が非常に複雑に変化します。大きく見てプロイセン関税同盟やブレーメン、ハンブルクなどではターラー(名称は微妙に異なり、関税同盟ではフェラインターラーという用語が用いられました)、バイエルを中心とする南ドイツ関税同盟ではグルデンを使用していました。このシュレーターがどの地域に住んでいたのか分からないのですが、ターラーを貨幣を用いていることから北方地域でしょう。参考までにシューマンが1834年に創刊した「音楽新報」の年鑑購読料が4ターラーで、この音楽新聞編集者としての報酬として、シューマンは年150ターラーとする旨を兄宛の手紙に記しています。1838年のシューマンのクララ宛の手紙では、結婚生活を送るための経費として、食費が一日2ターラー、年額712ターラー、4部屋ある家の家賃が250ターラー、総経費は年額1582ターラーかかる旨を記しています。シュレーターは、ピアノの指導のほかに演奏会の出演なども仕事にも従事したでしょうから、そう考えるとシュレーターのレッスン料年1000ターラーという額は、なかなかの収入と言えるでしょう。
 ピアノのレッスンを行う場合、教師と生徒との間で契約書を結ぶ場合が多かったようです。レッスン料だけではなく、楽譜の貸借や、その他の経費などについて文書で確認した上で指導が行われていました。教師の都合で休む場合は補講を行うが、生徒の都合で休む場合は、レッスン料は払うものとするとか、14日間のレッスン料滞納は契約解除と見なす、などを記された契約書もありました。


西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

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