ピアノの19世紀

19 ピアノ音楽風土記 ピアノと鉄の文化 その3

2009/09/25

 昔の鉄のフレームは鉄がもろいためにひび割れが出来やすく、数多くの不良品がでました。今日は鉄の純度が高まり、こうした不良品は少なくなってきました。しかし、ここで新たな問題が指摘されてきました。それはピアノの音質の問題です。ハンブルクのスタインウェー社の場合を例に取ると、伝統工法のこのメーカーの鉄のフレームからなぜ温かみのあるふくよかな音が生み出されるのか、という疑問です。冶金学の研究の結果、伝統工法の昔の鉄のフレームにはリンやマンガン、カリウム、マグネシウムという雑多な成分がたくさん含まれており、しかも、その鉄は、表面は非常に硬質であるものの、鉄の内部はとても柔らかいことも分かりました。これらは、鉄がもろくなって、ひび割れる原因となりますが、その反面、すぐれた音質をうみだしています。 これらの不純物のなかでとくに注目されているのは、「リン」という成分で、これが音質に大きな影響を及ぼしていると考えられています。どうして昔のピアノはリンなどの不純物が多く含まれているのでしょうか。それは、鉄のフレームの原材料が多くは屑鉄であったからです。上記のスタインウェー社のピアノのフレームに含まれた不純物の量と種類の多さを考えると、この鉄は屑鉄を原料とした鋳鉄であったように思われます。それに対して、現代の製鉄技術では、むしろこれらの不純物を除去して純粋な鉄を作り出し、それを土台に合金技術を開発させていきました。その過程で、リンなどの成分は除去されました。
 もう一つ注目しなければならないのは鉄の硬度です。ピアノのフレームで用いられる鉄は鋳鉄、いわゆる鋳物で、「だるまストーブ」と同じ鉄です。以前は、地面に砂で鋳型をつくり、そこに溶けた鉄を手作業で流し込んでフレームを製造していました。そのために、鉄が均等に鋳型の細部まで行き渡らず、不良品が出来やすくなってしまいました。しかし、この手作業でゆっくりと溶けた鉄を柄杓で鋳型に流し込み、地面にゆっくりと熱を放出して作り出されるフレームこそが、すばらしい音の生みの親でした。表面は非常に硬く、内部は柔らかいこの鉄はこの手作業が生み出したのです。このように考えると、近代産業技術が生み出した鉄のフレームは、近代化の問題を同時に指摘しているようにも見えます。
 フレームで最後に取り上げたいのは、リブ、つまりフレームに張り渡された肋骨です。この肋骨はピアノの音質にどのような影響を及ぼしているのでしょうか。前にも述べましたが、メーカーによってその形状は微妙に異なります。
 ピアノの音質において問題なのは、音域によって音質が異なることです。19世紀初期のブロードウッドやエラールのピアノの音を聞いたことがある方は経験したことがあると思いますが、高音域と注音域と低音域で、音質だけではなく、音の重量感も音の性格もまったく異なります。おそらくベートーヴェンはこの相違を意識して創作に反映させているのかもしれません。この相違はショパンの用いたプレイエルのピアノにも感じられます。高音域でも、ダンパーがある部分と、最高音域のダンパーがない部分でも音質が異なります。
 この音質や音の性格などの相違を解決することに貢献した一つがリブです。低音域の振動を高音域に伝え、また高音域の薄い音質に深みを与える上でリブは少なからぬ効果を与えています。リブの全部の鍵盤に近いところに横に張られている鉄の支柱も、音の均質化に貢献しています。この横の支柱の形状もメーカーによって微妙に異なっています。段差を設けているメーカーや一体にしているメーカーなどがありますが、それはそれぞれに音の振動に関する研究が背景になっていると思われます。
 このリブの構造だけではなく、フレームの開口部の形状や大きさなど、現在でもさまざまな試行が行われ、各メーカーは新しいピアノの音質を追求しています。鉄のフレームはいまだ究めつくされない課題を私たちに与え続けています。


西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

【GoogleAdsense】
ホーム > ピアノの19世紀 > > 19 ピアノ音楽風土...