ピアノの19世紀

19 ピアノ音楽風土記 ピアノと鉄の文化 その1

2009/09/11

 ピアノの中に鉄を組み込むという発想は、18世紀のチェンバロにおいては考えもつかないことであったでしょう。ハイドンモーツァルトの時代のフォルテピアノにおいては、楽器の音域は5オクターヴで、構造的にもそれほど複雑ではなく、弦の張力が楽器に負荷する力もそれほどではありませんでした。しかし、作曲家の表現欲求の高まりや演奏家の要求、さらに、連弾作品という需要に応じて、18世紀末からフォルテピアノの音域の拡大が進んでいきます。ここで生じた問題が、楽器の強度です。かつては一鍵盤に二弦であったものが、三弦を張るようになり、音域の拡大の欲求が高まると、ピアノの強度を保つことが重要になっていきます。
 ヨーロッパのメーカーで音域の拡大の要求に最初に反応したのはイギリスです。ベートーヴェンが寄贈を受けたエラールのピアノは5オクターヴ半の音域を持っていますが、フランス人のエラールはイギリスのブロードウッドで修行したピアノ製作者です。ベートーヴェン「ハンマークラヴィーア・ソナタ」は、下一点ヘ音から4点ヘ音の音域の6オクターヴの音域のシュトライヒャーのピアノ(第1楽章から第3楽章)と下一点ハ音から4点ハ音の6オクターヴの音域のブロードウッドのピアノ(第4楽章)の二種類のピアノを用いて作曲した作品です。つまり6オクターヴ半のピアノを想定して作曲した作品です。ベートーヴェンは6オクターヴ半のピアノの登場を予見していたのでしょう。実際、1825年に、ベートーヴェンはグラーフ製作の6オクターヴ半のピアノの寄贈を受けます。
 このようにピアノの音域の拡大とアクション機構の複雑化、そして、特に低弦域の拡大はピアノに力学的な意味での強い負荷をかけることになります。実際、1822年製造のエラールのピアノは、9本の金属の支柱を用いて、木枠の構造を支えることを行っています。
このピアノ構造上の問題をいち早く予見して鉄のフレームを試作したのは、アメリカのボストンのバブコックです。彼は1825年、鋳鉄による一体フレームを試作します。そして1829年からこの工法によるピアノの製造に乗り出します。バブコックがこの工法を考案したのは、ベートーヴェンが6オクターヴ半のピアノの寄贈を受けた年です。そして1830年頃になるとイギリスのバーミンガムのウェブスターがスティール・ワイヤーを発明します。ピアノが、製鉄技術と不可分な関係をもつようになるのはこのころです。
 アメリカのメーカーはいち早く鋳鉄のフレームを採用していったのに対して、ヨーロッパ大陸の伝統的な各メーカーは、木製のフレームに固執し続けます。ピアノの表現要求から、重い低音の響きと、協奏曲においてオーケストラを背景に燦然と輝く音質、そして強い音が強く求められるようになってきます。低弦の拡大は高音域以上に楽器に対して大きな負荷をかけることになります。そして重量感のある音への要求から、1835年に低弦では弦にさらに銅線を巻く、巻弦の製造が行われるようになります。こうした楽器のフレームへの構造的負荷のために、19世紀中ごろのピアノでは、木製のフレームが割れる事態も起こってきました。1808年頃、つまりベートーヴェンピアノソナタ「告別」を作曲している頃のピアノでは、弦の張力の総量は4.5トンでしたが、1850年頃、つまりショパンメンデルスゾーンが亡くなって程なく、シューマンが晩年の創作を進めている時期のピアノでは12トンに達していました。ショパンが愛好したプレイエルのピアノでも、シューマンが愛奏したグラーフのピアノでも、鉄の支柱を渡して構造を支える方式を用いています。
 ヨーロッパが震撼した出来事がありました。それは万国博覧会です。1851年にロンドンで第1回が開催されましたが、そこに各国から最新鋭のピアノが出品されました。イギリス38社、フランス21社、ドイツ18社に混じって、アメリカのメーカーも6社が出品しました。そのアメリカのチッカリンク社が出品したのは鉄のフレームを組み込んだピアノでした。チッカリンクはこの出品に先立って1840年に、バブコックのフレームをさらに改良した、張力計算に基づいているだけではなく、チューニングピンも一体製造した製品でした。この堅固なフレームを土台に、チッカリンクは1845年により長く、しかも強く弦を張るために、交差張弦という今日の方法を採用しました。この張弦法は、これまでの伝統的な並行張弦法ではなく、中音域から低音域の弦は交差する形で張られています。この方法によって、スティールの強力な弦を用いることで輝かしい音質を獲得しました。
 第1回万博のころは、チッカリンクの鉄のフレームを組み込んだ、交差張弦のピアノはヨーロッパの音楽関係者にはそれほど受け入れられませんでした。しかし1862年のロンドン万博に出品した初参加のスタインウェーの鋳鉄フレームを組み込んだピアノは受賞し、高い評価を得ることが出来ました。木製フレームにこだわったヨーロッパの伝統的なメーカーがこの年を境に、次第に姿を消すことになります。


西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

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