ピアノの19世紀

13 都市のピアノ音楽風土記  アメリカ  その2

2009/08/28

1 19世紀後半のアメリカのピアノ音楽

 19世紀前期のアメリカのピアノ音楽は、やはりニュー・イングランド地域がリードしていきます。この地域での音楽ではドイツ音楽が好まれ、それはピアノ音楽に限らず、管弦楽作品についても同様でした。しかし、そうした中で19世紀後半に入るとアメリカの国民音楽への意識も芽生えだしていきます。リチャード・ホフマン(1831-1909)は、マサチューセッツ州出身ですが、その名前からもドイツ系と分かります。彼は125曲以上の作品を作曲し、ピアノ曲では「ディキシアーナ」が注目されます。このタイトルからも分かるように、ディキシーランド・ジャズを取り入れた作品で、ゴッチョークの影響を受けています。そのほか、メーン州ポートランド出身のJ.K.ペイン(1839-1906)や、コネチカット州出身のD.バック(1839-1909)、ニューヨーク州出身のH.N.バートレット(1846-1920)といった作曲家が続きます。
 19世紀後半は、同世紀前半とはアメリカの音楽事情も変化を見せてきます。というのは、社会の近代化とともに音楽も前衛化するのではなく、アメリカ独特の社会の階層化の影響を受けるようになって行ったからである。それは移民と宗教と経済状況が大きく影響しました。そのなかでニュー・イングランドは伝統的なヨーロッパの音楽文化を保持しようとする傾向が強く見られるようになります。その代表的な作曲家がアーサー・フット(1853-1937)です。彼の「前奏曲とフーガ ニ短調」などは、このタイトルには示されていますが、19世紀後半の作品とは思えないほどに古典的です。この古典主義は19世紀アメリカでは一つの傾向を代表したと思われます。このフットはオラトリオ「最後の審判」の作曲で知られるホレイショ・パーカー(1863-1919)とともに、19世紀後半から20世紀にかけてのニュー・イングランド地方のもっとも重要な存在でした。
後述のマクダウェルとともに19世紀後半のアメリカの音楽をリードする役割を担ったのが、ジョージ・ホワイトフィールド・チャドウィック(1854-1931)です。マサチューセッツ州出身で、ボストンに没したチャドウィックは、典型的な東部地区の音楽家です。彼もまたドイツに渡り、ライプツィヒ音楽院でライネッケに、ミュンヘン音楽院でラインベルガーに師事し、後期ロマン派のドイツ音楽の正統な様式を継承します。帰国後、ニュー・イングランド音楽院院長をつとめています。彼は3曲の交響曲など大編成の作品が知られていますが、「6つの性格的小品」(作品7)のような愛すべきピアノ曲も残しています。この作品は、ドイツロマン派の響きの中に、アメリカの民謡を自然に融合させています。


2  ニューヨーク出身マクダウェルの登場

 フットやチャドウィックに続いてアメリカが輩出したのが、19世紀アメリカの最大の作曲家エドワード・マクダウェル(1861-1908)で、彼もまたフットと同じ土壌にあるといえます。つまり西洋音楽文化の伝統の正当な継承者という顔をもっとも強く示したのがマクダウェルです。彼はニューヨークの出身で、早くから音楽の才能を示します。彼はパリ音楽院に入りますが、その後フランクフルトのホーホ音楽院に移り、同音楽院でリストの交響詩のオーケストレーションを手がけたことでも知られるヨアヒム・ラフに師事します。そして彼は同音楽院を訪れたリストに見出されます。マクダウェルの作品は、ヨーロッパを元来の祖国としつつ、アメリカに新たな故郷を見出そうとする19世紀後半のメンタリティを見る思いがします。
 この頃からアメリカはさらにいっそう、移民による階級化と、宗派による差別化、地域による個別性が進行していきます。イギリス人やドイツ人移民が上位に位置し、その下にアイルランド系、そしてフランス系、イタリア系、ロシア系、東欧系、ユダヤ系等々とまさに階層を形成していきました。プロテスタントが多数派を占め、カトリックは少数派に属します。また、ヨーロッパを追われた多くの宗派の人々がアメリカの様々な地域に、自己の宗教を堅く守って点在し、独自の文化を形成しました。そして彼らは、その宗教と信仰のかたくなさのために、一種の原理主義的な様相すら持っています。
イギリス系が多数を占めたニュー・イングランドは、その名前からも分かるようにイギリスの文化の伝統を堅持しようと努め、その中心地ボストンはまさにアメリカのなかのヨーロッパとも言うべき象徴的な都市です。その点、マクダウェルの生まれたニューヨークは、よりコスモポリタン的です。ゴッチョークの生まれ育った南部のニュー・オリンズともなりますとフランス系と黒人やクレオールの文化が融合しています。


西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

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