17 音楽学校の誕生―ライプツィヒ音楽院の誕生の意味 その3
17 ライプツィヒ音楽院と総合的音楽教育の理想 その3
メンデルスゾーンがライプツィヒに音楽学校を開設したとき、ライプツィヒの町の音楽環境はどのようなものだったのでしょうか。バッハが聖トマス教会のカントールをつとめたこの町は、出版業や繊維業などで栄えており、「ライプツィヒ見本市(メッセ)」で知られるように、裕福な中産階級が多く住み、アマチュアの合唱が盛んに行われていました。さらに、新ロマン派音楽の推進者のシューマンが活躍していました。そして、当時のドイツ語圏においてもっとも重要なゲヴァントハウス管弦楽団がありました。現存する最古の管弦楽団の存在が、メンデルスゾーンにこの町に音楽学校を設立する大きなきっかけとなったと考えられています。ブライトコップやペータースなどの有力な楽譜出版社、バッハゆかりの聖トマス教会、ゲンヴァントハウス管弦楽団の存在は、彼には総合的な音楽教育において不可欠なものに映ったに違いありません。 《目次》 |
山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。