10 都市のピアノ音楽風土記 ストックホルム その2
前回扱いました音楽雑誌は18世紀末から19世紀前期にかけてのものでしたので、古典的な作品家が数多く名を連ねましたが、1824年に創刊された「Musikaliskt Veckoblad」はどうでしょうか。「Musikaliskt Tisdfordrif」は、モーツァルトが実質的にもっとも順位が高かったのですが、この雑誌になりますと、もっと大衆化が進んできたことがわかります。スウェーデンの音楽文化は、デンマークと密接な関連を持っていました。それは地理的にもそうですが、音楽文化の面でも共通する面が多々見られます。この雑誌ではデンマークで活躍したクーラウの頻度がもっとも高いのは、デンマークとスウェーデンは音楽受容の面でも共通する側面を持っている点を示唆しております。続いてロッシーニの名前が登場するのは、ヨーロッパ中の共通の現象で、おそらくストックホルムのオペラ劇場でもロッシーニが盛んに上演されたに違いありません。しかし、取り上げられている作曲家の名前を見る限り、極端な大衆化はこの町では起こっていないように見受けられます。ロッシーニに続いて、ヒンメル、ウェーバー、ベートーヴェン、モーツァルト、フンメル、ヒュンテン、シュポーアといった総勢38名の作曲家がこの雑誌の誌面を飾りました。ヒンメルは1765年に生まれて1814年に没したドイツの作曲家です。「Musikaliskt Tisdfordrif」は、アールストリームが編集刊行していた音楽雑誌でしたので、「Musikaliskt Veckoblad」はこれとのライヴァル雑誌の関係にもあったのでしょう。また扱う作品ジャンルでは、圧倒的多数が編曲である点は明らかにアールストロームの雑誌とは異なります。頻度から言って名作の編曲を主眼とした雑誌といっても過言ではないほど編曲作品が多いのも、音楽愛好家を対象としていることを物語っています。はるかに頻度は少ないですが、変奏曲、ポロネーズ、ロンドなどが続き、ソナタは、この雑誌が刊行された10年間の中でたった1回のみです。これも面白い現象です。というのは、ピアノソナタの人気の凋落はどの国においても顕著で、ウィーンにおいてさえ、1830年代ともなると、全出版点数の5,6%になってしまうからです。それと同じ現象は北のストックホルムでも起こっております。
これほどピアノ作品を主対象とした音楽雑誌が刊行されるということは、ピアノが普及していたことを示唆します。スウェーデンでは、裕福で教養のある階層が音楽文化を担っており、そこでは西欧の大都市とは一味違ったピアノ文化が形成されていたと思われます。
19世紀ヨーロッパにおいてドイツ音楽が強い影響力をもちました。それは諸国の若い音楽家がドイツの音楽学校に留学したことによるところが大でした。その点、1830年代まではそれぞれの国の特殊性が素朴な形で示されていたのではないかと思われます。スウェーデンが生んだ最初の大作曲家は、フランス・ベルヴァルド(1796―1868)でしょう。近年再評価が進み、数多くのCDが制作されております。ベルヴァルドの家系はドイツ人で、1770年にフランスの父親がストックホルムに移住して王立オペラ劇場の奏者となっています。作曲家としてのベルヴァルドの才能はオーストリアで高く評価され、ザルツブルクのモーツァルテウムの名誉会員に推挙されるほどでした。生年から見て分かるように、シューベルトとほぼ同じ時期に生まれており、まさにロマン主義の作曲家です。
ベルヴァルドはスウェーデンに帰国して、音楽活動を試みますが、彼の斬新で独創的な作品はストックホルムの聴衆には受け入れられませんでした。今日、ベルヴァルドの交響曲などの作品は高い再評価を得ておりますが、彼の音楽は当時にあってきわめて進歩的で、その作品の真価を理解できるスウェーデンの聴衆は少なかったのでしょう。そのためにベルヴァルドは、ガラス工場や木材工場の経営者という音楽以外の道で生計を立てることを余儀なくされ、彼のあふれんばかりの才能がこの北国の音楽文化の形成に寄与することはほとんどありませんでした。
《目次》
山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。