09 都市のピアノ音楽風土記 コペンハーゲン その2
19世紀前期のコペンハーゲンでもっとも有力なピアノ音楽雑誌であった「ピアノのための新アポロ」で登場する作曲家についてもう少し立ち入って考えてみたいと思います。
クーラウがもっとも人気が高いのは、この国を代表する音楽家ですので当然です。ここで注目したいのはベートーヴェンの頻度です。この雑誌ではクーラウは24回ですが、ベートーヴェンは12回取り上げられています。これほどのベートーヴェンの頻度の高さは、ストックホルムを除きますと、ドイツの諸都市を含めてかなり異例なのです。コペンハーゲンとストックホルムではベートーヴェンが高い頻度で登場するのに対して、名だたる大都市ではどうしてベートーヴェンはあまり取り上げられないのでしょうか。ロンドンで刊行された「ハルモニコン」は比較的頻度は高いのですが、それでも11年間で6回です。
リースはベートーヴェンとアルブレヒツベルガーに師事し、この時期はイギリスで活躍した作曲家です。とくに室内楽作品はとても完成度が高い名作ぞろいです。モシェレスもベートーヴェンと親交があり、後にメンデルスゾーンに請われてライプツィヒ音楽院で指導に当たった作曲家です。8曲のピアノ協奏曲は19世紀前期を代表する華麗で技巧的な作品です。フンメルは、もっと再評価しなければならない作曲家の筆頭かもしれません。シューマンやショパンに強い影響を与えた作曲家で、晩年のモーツァルトの弟子です。彼はベートーヴェンと同じ時期にハイドンやアルブレヒツベルガーに師事していました。
ゲリネクとシュタイベルトは、現在ではベートーヴェンとの競演で面白おかしく論じられる場合が多い作曲家ですが、これも少し客観的な記述が求められるかもしれません。ヨーゼフ・ゲリネクは当時評判のヴィルトゥオーソアの一人です。ダニエル・シュタイベルトは、タンバリン奏者のイギリス女性を妻に持ち、タンバリンとピアノのための作品を書いています。トレモロのピアニストとの異名を取りましたが、「トレモロ」を音楽表現に高めたのは紛れもなくシュタイベルトです。ベートーヴェンとの競演で敗れてその場を逃げ出したとの逸話や、タンバリンとの共演やトレモロ効果を狙った作品のために揶揄的に論じられることが多いのですが、シュタイベルトの「ピアノ演奏法」はフランス語の原書に加えて、ドイツ語やスペイン語版も出され、彼の「練習曲集」も広く用いられました。蒸気の「ピアノ演奏法」に収められた6曲のピアノソナタについては、国内版が刊行されています。ドゥセックはモーツァルトの同じ世代の作曲家で、ピアノ奏者です。高い評価を得た作曲家で、モーツァルトも一目置いていたことで知られています。クラマーは練習曲の作曲家として知られていますが、ソナタやロンドなどのピアノ作品も手がけています。カルクブレンナーはパリで活躍したヴィルトゥオーソで、ピアニストです。ショパンが師事したいと望んだことでも知られています。
これらの作曲家の作品で取り上げられた作品ジャンルは次のとおりです。ロンドが最も多く54点、ついでワルツ、行進曲、変奏曲、編曲、序曲、ポロネーズ、ロマンス、ソナタ、舞曲、エコセーズ、メヌエットなどが続きます。この作品のジャンルもパリやロンドンとは大きく異なります。いわゆる「クラシック」のレパートリーで占められているからです。ロンドの人気が高いのは19世紀前期の時代現象ですが、ロンドにしても変奏曲やポロネーズ、ソナタなどは一定以上の演奏技術を必要とするジャンルです。つまり、この音楽雑誌の読者は、教養ある堅実な家庭環境にある人々ということができます。
この音楽雑誌は、当然ですが、デンマーク語で記されています。つまり、デンマーク語圏の狭い範囲でこの雑誌が販売されていたということは、ピアノをもつ一定層の中産階級がデンマークでは形成されていたことを物語っています。ロンドンとのような大衆化の波にまみれた環境とは異なり、ここには有資産階級の明確な階層化が見られるようです。その限られた階層においてピアノが普及したのでしょう。デンマークと似た傾向は、北欧のストックホルムについても指摘することが出来ます。この点については改めて取り上げるとして、北欧は、ヨーロッパ中欧諸国とは明らかに異なる傾向が見られます。
それでは、当時のデンマークではどのようなピアノが用いられていたのでしょうか。まだ産業の育成していない当時のデンマークでは、まだピアノ製造業は育っていなかったと思われます。当時の交易の関係から見ますと、イギリスからの輸入ピアノがかなり浸透していたと考えられます。つまり、ベートーヴェンの時代からデンマークではイギリス・アクションのピアノが広く用いられた可能性が指摘できるでしょう。というのは、ウィーン・アクションのピアノを運送する経路はどうしてもドナウ川やライン川、エルベ川といった河川の流域に限られていたこともあります。その点、国政貿易港のコペンハーゲンはイギリスの物品が自由に流入する環境にありました。おそらくこうした貿易がデンマークに富をもたらしたのでしょうし、ピアノ文化を開花させたと思われます。
19世紀最大のデンマークの作曲家といえば、ニールス・ゲーゼです。メンデルスゾーンの後任としてゲヴェントハウス管弦楽団の指揮者に就任し、コペンハーゲン音楽院の創始者のゲーゼには、数多くのピアノ作品があり、楽譜出版やCDなどで再評価が進んでいます。このゲーゼを生んだ土壌を考える上でも、デンマークは音楽史の未知の領域といえるでしょう。
《目次》
山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。